進行性筋ジストロフィーという難しい病気で 未来や希望をあきらめかけていた 岩崎航という詩人は 17歳のある日の午後に、ナイフを前にし、 「生きるかどうか」と、突きつけられました。 そして「やっぱり生きよう」と みずからの意思で、選びとりました。 『点滴ポール』という詩集が 本当に素晴らしく、じつにかっこよかったので 著者の岩崎航さんに、話を聞きました。 短い対話のなかで、多くのことを教わりました。 生きるということ。生き抜くということ。 はたらくについて。ご両親への、感謝の気持ち。 全3回の連載にして、お届けします。 聞き手は「ほぼ日」奥野です。
── 写真家の齋藤陽道さん
岩崎さんの詩集をいただいたんですけど、
素晴らしかったです。
岩崎 ありがとうございます。
── 何と言ったらいいのか、
「本当のことが、書いてあるんだなあ」
という感想を、持ちました。
岩崎 そうですか。
── ご両親についての歌が、ありますよね。
岩崎 はい、たくさん詠んでいますね。
母のことや、父のことは。
── 個人的には、とくに、それらの歌について。
岩崎 こういう身体でもあるので
やはり、いろいろ助けてもらってますから
感謝の気持ちを抱いているんです。
── ご両親に、感謝を。
岩崎 それはもう、生活していくうえで、日々。
── そういう、ご両親への感謝の気持ちって
いつごろから芽生えましたか?
岩崎 そうですね‥‥まだ若いころ、
ものすごく身体の調子が悪い時期があって。

吐き気が、ものすごかったんです。

生活のすべてが
吐き気に取り込まれているような感じで。
── 本にも書かれていましたね。
岩崎 あのころは、本当に苦しかったです。

で、そんなときに
両親が背中をさすってくれるんです。
── ええ。
岩崎 吐き気止めの薬なども、ぜんぜん効かなくて
どうしても
症状がおさまらなかったんですけど、
父と母が、
ずっと傍にいて、背中をさすってくれた。

そのときに、私は、自分が大変なときに、
傍に誰かがいてくれるということ、
背中をさすってくれるということ、
そのことが、本当に幸せなことだなあと
心の底から思ったんです。

自分の根っこのほうで、本心で、そう思えて。
── なるほど。
岩崎 そのときですね。

両親への感謝の気持ちが強くなってゆくのを
自分自身、感じたのは。
── 具体的には何歳くらいのころですか?
岩崎 20代の前半です。
── いや、あの、お聞きしたかったのは、
ご両親に反発することだって
ふつうにあったよなあ、ということなんです。
岩崎 ああ、それは、もちろんです。
人並みの親子ですから。
── ですよね。
岩崎 喧嘩もしますし。
── 反抗期だって、あったはずですよね。
岩崎 それなりに、なんでしょうけどね。

よく
「ご両親とは
 喧嘩なんかされないでしょう?」とかって
聞かれるんですけど、
まあ、そんなことはないですよ。

だって、ただの、ふつうの親子ですもの。
── ぼく、岩崎さんと同い年なんですが
親に対する思いって
今でこそ、ありがたいなって思いますけど、
まだ若いころには
なかなか、持てないじゃないですか。
岩崎 そうですね。

未だに両親とは
衝突したり言い争ったりしてますけど(笑)、
でも、そんなものを超えて
「親心」という気持ちを持ってくれている。

今はそう、感じることができるんです。

だから、そういう喧嘩や衝突や言い争いを
ぜんぶひっくるめて、
親というのは、
本当にありがたい存在だなあって思います。
── では、苦しかった20代前半を越えてからは
徐々に、ご両親に対して素直になれたと。
岩崎 ええ、そのあたりから
感謝の言葉を素直に伝えられるようにも
なってきました。

‥‥ちょっと照れくさいなって気持ちは
やっぱりまだ、あるけど(笑)。
── 五行歌を書きはじめたのは?
岩崎 ですから、「そのあと」なんですね。
20代の半ばすぎくらいから。
── とすると、感謝の気持ちを
両親に素直に伝えられるようになったことが
創作をはじめる、ひとつのきっかけに?
岩崎 そうだと言えるかもしれません。

そのころには
「吐き気」に飲み込まれていた最悪の状況が
徐々に落ち着いてきていましたし。

自分自身、心持ちにも余裕が出てきて、
いろいろなことを
静かに考えられるように、なっていたんです。
── 岩崎さんの五行歌を読んで、まず思ったのは、
喜んだり、悲しんだり、楽しんだり、ヘコんだり、
「前へ進もう」と思ったり、
そういうことって
ぜんぶ「自分発」なんだなあってことでした。
岩崎 ああ、そうですか。
── 吐き気で苦しい、死にたいと思い詰めることも
やっぱり生きようと思い直すことも、
青空を見ただけで、うれしいと感動することも、
病気に思わされてるんじゃなくて
岩崎さんは、自分で、そう思っている。

いや、当たり前の話なんですけど。
岩崎 でも、それは、本当にそうですね。

たしかに、吐き気に支配されていたときは
創作どころではなかったです。

でも、このまま、自分が何もせぬまま、
漫然と時間を過ごしていくのかなあと思ったら、
それは絶対に嫌だと思ったんです。

「何かをしたい、しなければ」と、思った。
── はい。
岩崎 でも、それまでの私は、ほとんど家のなかだけ、
ごく限られた人たちのあいだだけで
生きていたんですが
この先、自分の将来を考えたら
「こんなんことじゃあ、絶対にダメだ」って。
── もっと、人と関わっていこうと。
岩崎 はじめは、とても怖かったです。
── 人と関わるのが?
岩崎 はい。実際、すごく苦痛も感じました。

だけど、いつまでも、そんなことを言っていたら、
私はこの先、生きていくことができない。

そう思って、いろいろな人と関わっていく努力を
はじめてみたんですね、自分から。
── 誰かに促されたというより。
岩崎 ええ、自分で、そうしなければと思った。

ずいぶん疲れましたし、大変だったんですけれど、
訪問介護の方に来ていただいたり、
少しずつ、少しずつ、挑戦してみたんです。
── はい。
岩崎 そうしたら、
狭かった自分の世界が広がっていったんです。

人と会って話し、出会いを重ねていくことで、
自分自身が変わっていくのが、わかって。
── すごいもんですね、人と会うとか、話すって。
岩崎 本当に、そう思います。

そして、そのときに、
これまでお世話になってきた人たちや
両親に対して
感謝の気持ちを伝えたいなあと、思ったんです。
── じゃあ、
感謝の気持ちを素直に伝えられるようになって、
感謝の気持ちを伝えたいとも思うようになって、
そのことが、五行歌の創作につながっていった。
岩崎 はい。
<つづきます>
2014-02-05-WED
岩崎航 『点滴ポール 生き抜くという旗印』 のこと。アマゾンでのおもとめはこちら。
20代のなかばから 岩崎さんが書きためてきた五行歌の作品を 一冊にまとめた本。 岩崎さんの言葉には 「生きる」ということについての、 やわらかいけれど、決然としたものがあって たくさん感じて、考えさせられました。 五行歌に触れたのははじめてでしたが 内容的にも、見た目にも、 五本の柱がすっとまっすぐ立っているような 気持ちのよさと、力強さを感じました。 気負いなく、自然に、 岩崎さんと向かい合っている写真は 齋藤陽道さんが撮ったものです。 これも、いいです。 この本には、読者からの「感想ハガキ」が たくさん届くそうなのですが、 版元のナナロク社に 「いちばんはじめに届いた」のは 「東京都在住、谷川俊太郎さん(81)」 が書いた 「人生初の感想ハガキ」だったそうです。 糸井重里は、この詩集を読んだ次の日に 「そのことに追い立てられるように、  間を置かずに伝えたくなることがあります。  誰かに迷惑がかかるわけでもなさそうなので、  躊躇なく、いますぐに書くことにします」 と、コラムにいくつかの詩を引用しました。 ぜひ、たくさんの人に 手にとっていただきたい詩集だと思います。 (ほぼ日・奥野)