ITOI
糸井重里の脱線WEB革命

第10回
大後監督にショック。(その2)

メディアから遠ざかっていた状態の自分について、
前回は書いていた。
文中でけっこうしつこく言っていたはずなのだが、
ぼくが、なにかさみしそうに
告白しているものと錯覚したひとがいて、
急に励まされてしまって苦笑した。
この連載は、私小説でもなんでもなくて、
自分をも含めた状況の変化を、
なるべく飾らずに書こうということなので、
時には「そこまで言わなくても」と
思われやすいようなことを
書くこともある。
ぼくは、別にマゾヒスティックに
裸になっているわけでもないし、
ちゃんとちんちんは隠しているので、ご心配なくね。
読む人がひとりもいなくなっても書く、
とか言ってるのも、
いま書いておかないと忘れちゃうからって、
さぼりがちな自分にチェックを入れてるだけだから、
気にしなくていいのよ。
ま、そういう誤解も、
少しずつ読み進めてもらえばとけるでありましょう。

さて、とにかく話をもどさなくちゃ。
そうそう、「婦人公論」だ。この婦人用の雑誌から、
座談会連載の企画が持ち込まれたとき、
ぼくは、ひょっとするとおもしろいかもしれないぞ、
と思った。
ひとつは、連載であるということだ。
連載で、(少なくとも何回かは)イトイで、持つ。
と考えられているのだとしたら、
いわゆる「誌面のバランス」をとるための
顔見せではない。
ということは、内容についても、
ぼくに相談していっしょに
考えていこうということもあり得るぞ、
と思ったわけだ。

基本的に女性向けの雑誌の
「セクシーな女性とは?」とか、
「いま輝いて見える女」とか、
「映画のなかの私のマドンナ」とかいう企画は、
引き受けようがない。
そんなこと、ぼくには興味もないし
おもしろいサービスができる自信もない。
だいたい、そんなタイトルの記事を
本気で読んでいる女がいたら
バカだと思うし、そういう企画を
会議している編集部があったら
近づかないようにするだろう。
要するに、こういう企画は、
「だれか」知られた名前の人が
「何か」言っていればいいのだろう。
誌面がかたちになっていれば、それでいいのだ。
しかし連載となると、そうはいかない。
「流行ってる人」なら、それだけでいいのだが、
そうでない人に連載をさせるということになると、
「内容」をしっかりさせなくてはいけない。

そのために、ぼくと「相談」をしながら
企画を詰めていくことがあるとしたら、
ぼくにはやりたいことがあった。

もうひとつが、「婦人」雑誌というものが、
直接ぼくに関係がないということが興味深かった。
これは、「ほぼ日」でも
気をつけなければいけないことなのだが、
自分のいつも読んでる雑誌だとか、
いまその時点で勢いのある雑誌だとかには、
そのメディアなりの「売れている理由」が
発見しやすいものなのだ。
そうなると、その売れている理由は
「よい」わけなのだから、
そこに登場する筆者もそのムードを無意識
に守ろうとしてしまう。
むろん、編集者だって同じだ。
その反対に、そのムードの逆をねらおうとする場合も、
同じことだ。
どこかで、媒体特性に影響されてしまうのである。
ところが、「婦人公論」なんて、
ぼくは読んでないのだから、
なんにも意識する必要がないわけだ。
おもしろいと、ぼくが思った企画ならやればいいし、
つまらなかったら縁がなかったと断ればいい。
読者のことなんか考えないのが、
いちばんおもしろいことをできるコツなのだと、
ぼくは信じている。
自分がおもしろがれないのに
読者がおもしろがっていたとしたら、
その企画はやっぱり失敗だと思う。
短期的にうまくいっているように思えたとしても、
かならず、読者にも飽きられてしまうだろう。
マジシャンが、
「さぁ、この帽子から何を出しましょうか?」と
客席に聞いたら、ばかにされるでしょう?
そんなもんだと思う。

ぼくは、前に、「釣り」についての
文章が書きたくなったことがあって、
どこかに連載を考えた。
そのうわさで、いくつかの雑誌が、
やりませんかと言ってくれたが、
どれも本気でやろうというようには見えなかった。
その、キミたちが望んでいるようなタイプの
釣りの原稿は、
ぼくには書けないし書く気もないんだよ。
という感じだった。
結局、ぼくは、まったく頼まれてもいない
「紙のプロレス」という雑誌にお願いして
連載をさせてもらった。
「紙のプロレス」と釣りはなーんにも
関係なかったけれど、
離れに住んでいる居候のような立場で、
ぼくはほんとに自由に釣りのことを書いた。
のちにこの連載は書き下ろしをくわえて
一冊の単行本になったけれど、
いちばん楽しかったのは、
無理やりのように持ち込みで
連載をしているときだった。
原稿料もないし、締め切りの催促さえ
(してもらえ)なかったけれど、
書くことがうれしかった。
この時の気持ちも、「ほぼ日」の
基礎になっているのかもしれない。

ああ、また、寄り道してるよ、オレ。
「婦人公論」は、編集長と担当者(打田さんです)が、
打ち合わせにきてくれて、
ぼくはその場で次のようなことを言った。

うろおぼえで、正確さには欠けるけれど。
「わしは、いま、自分の興味にあわせて
いままで会ったことのない人たちに会いたいと思っておる。
自分の興味とは、
御婦人というものとの接点のないものである
可能性が高いものである。
しかし、わしが、
<なぜ、こんなことに興味を持っているのか>を
伝えることならばできるにちがいない。
それが、たとえ、
サンショウウオの金玉についてであっても、な。
とりあえず、
第一回はインターネットと複雑系なのじゃ!
その次は、スポーツ科学じゃ〜っ!!」

これで、OKだったら、
もう引き受けない理由なんかうぶ毛ほどもない。
そしたら、いいですねそれで行きましょう、
だっちゅうのではないか?!

うろおぼえで、不正確な気もするけれど。
「世の中の、おおきな転換期がいま来ている。
ともすれば従来の女性誌というものは、
その流れと無関係に存在していたようである。
しかーし、いまリニューアルする我が雑誌のあり方は、
まさしくいま貴君(イトイ)が
つばを飛ばして語ったような企画をあえて
読者に問うようなものでありたい」
というような返事がきたのである。
御婦人の雑誌で、
こんなイトイでインターネットで
複雑系でスポーツ科学で連載だって。
ひょっとしたらサンショウウオの金玉だって?!

他のメディアからこんな企画が持ち込まれる可能性は、
金輪際ありえないだろうと、ぼくは思った。
あまりに不人気だった場合は、
おわりにしてもらえばいいや、
とすぐに考えた。

しかし、それと同時に、
「これはうける」と、
大人気ということにはならないだろうが、
たのしみに読む人がかならず
出てくるだろうという自信があった。
なぜなら、ぼくが、おもしろいと
本気で思ったことしかやらないのだから。
ぼくは、芸人としてはおもしろくない人間だけれど、
ぼくが本気でおもしろがったことは、絶対におもしろい。
10割とまで大風呂敷は広げないけれど、
7割5分から8割9分くらいは
おもしろいはずだと断言する。
(「イトイが流行ってない」とぼくが平気で言えるのは、
こういうことを平気で言えるやつでもあるからなのです。
わかりましたか?)

やっと、ここまでたどりつきました。
この、こういう「婦人公論」の連載座談会の第2回目に、
スポーツ科学というテーマを選んで、
そこにゲストとしてお呼びしたのが、
神奈川大学の駅伝の監督・
大後栄治さんだったわけなんです。

はい、それでは、みなさまの予想通り、
この先は次回に続く、
と・・・。

1998-09-11-FRI

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