ITOI
糸井重里の脱線WEB革命

ドゥニーム探して90分。(その1)

引っ越しの話になる。
流れとしてはジーンズの話題が続いているのだが、
じつはこれが引っ越しの話につながるのである。
そういうものなのだ。
これは、かなり重要なことだった。

筋道を追ってみることにする。
まず、は、ジーンズのことだ。
前回の「ADのジーンズ」についての文章を
みんなが憶えているという前提で進めて行こう。

ぼくは、どこかの他人のつけた「あじ」を買うのではなく、
自分で徹底的にジーンズを履き続けて、
自分の「あじ」のついたジーンズを履いてみようと思った。

LEVI’Sが復刻版の501と呼ばれるジーンズを
発売していることは知っていたけれど、
ジーンズの知識が深まっていくと、
この「本家の復刻」が、本家であるにもかかわらず
というか本家であるがゆえにというかの理由で、
「昔の色落ち」を
期待できないらしいということがわかってくる。
そんなことは、現代(いま)のジーンズファンなら
誰でも知っていることで、ブランド・ネームよりも、
「リアルなジーンズ感」のほうを優先させる消費者が
けっこう多いという商品は、そんなにはない。
モーターサイクルや、
ロックンロール・ミュージックの
ファンと重なった部分があるようだ。

ぼくは、やっぱり昔のタイプのジーンズファンで、
ブランド信仰があいまいなかたちで残っている。
本家の復刻版なら、まちがいないはずだと、
それ以上考えずに買ったりするお客さんだ。

いまのジーンズファンというものがいることを知ったのは、
木村拓哉くんにであってからのことだ。
木村くんを知ったことは、
かなりぼくの人生の後半戦に影響を与えていると思う。
ぼくは、そのへんのことを、
「イージーライダーという映画で、
ピーター・フォンダの運転するハーレー・ダビッドソンの
バックシートにまたがって
すっかりハイになってるジャック・ニコルソン」
に喩えていたけれど、
その感じは当たってたなぁと、いまも思っている。

ま、新しいジーンズ・ファンとしての木村くんは、
「本家の復刻版」よりも、
もっと「草創期の本家製品」に
近いものをつよくすすめてくれた。
これが、「日本製のレプリカジーンズ」というものだった。
木村くんというのはマメな人で、
いつも誰かにガンをつけてるような目をしながら、
ちいさな親切みたいなことをやってくれる。
ぼくが、最初に「まじめ」に履いたのは
彼が横浜だったかで買ってきてくれたレプリカだった。

ただ、その頃は、ぼくのほうが、
ジーンズの選び方については入門したけれど、
ジーンズの育て方を理解してない時期だった。
こまめに何度も洗濯すれば、早く色が落ちて
「いいジーンズ」になると誤解していた。
それじゃダメなんだということは、
木村先輩は口を酸っぱくして教えてくれていたのだが、
ぼくはちゃんと聞いてなかった。
ぼくは、スーツにネクタイの日もある社会人なので
「なるべく洗濯の回数を減らして」なんて
不潔なジーンズを履くつもりはなかったのだ。
おかげで、せっかく
「まじめに、自分のあじをつける」はずだった
ジーンズは、めりはりのない色落ちの
「とおりいっぺんな作品」になってしまった。

これは失敗だったと気づくくらいには、
ぼくのジーンズ知識も深くなってきた。
レプリカジーンズのことを書いた雑誌や単行本も、
簡単に手にはいるようになっていたし、
街を歩いていると「レプリカジーンズ育て中」の男の子や
女の子にすれちがうことも多くなった。
早く言えば(笑)流行っていたってことだ。

ほんとうに納得できる新品の
ごわごわしたジーンズを手に入れて、
そいつをまじめに育てて自分のあじをだした
「作品」をつくってみよう。 ぼくは、決意していた。
そういうとおおげさに聞こえるかもしれないけれど、
中年のおっさんがジーンズを育てようなんてことを
思いついたらかなりの決意がいることになるのだ。
肉体労働をしていないのだから、
日常生活のなかにジーンズの
色落ちの原因になる「摩擦」が少ない。
毎日ジーンズを履いていていい職場なんて、
そうあるもんじゃない。
それに、ジーンズばっかり履いていると、
他のおしゃれができなくなる。
とにもかくにも、毎日毎日履き続けて半年以上経って、
やっと「あじ」は出てくるのだ。
まともなホワイトカラーには、
なかなかできることじゃありませんよ。
やっぱり、服っていうものは、
その人のライフスタイルに密着しているものなのだ。

つまり、古い「いいあじのジーンズ」を
買ってきて履いている
ということは、別の人生を送っている
「演技」をしているというわけだ。
ロールプレイング・ゲームを、
ファッションでやってるということだ。
これはこれで楽しいし 、
否定するようなことじゃないけれど、
ぼくは、なんだかとにかく「ジーンズ」を育てる
「ライフ」を味わってみたくなっていた。
まぁ、バブルの時期のカネでなんでも
買えるような時代の雰囲気が
気持ち悪かったということも言えるし、
老人になっていくことが確実にわかりはじめてきて、
もういちど最後の
「若作り」をしたかったのかもしれませんがね。
ぜんぜん引っ越しの話にならないでしょ。
そういうものなんだ。いろんな要素が複雑にからみあって、
いろんなことになっていくのが世の中ってやつさ、
なんて説教じみたことを言いつつ、
いくらなんでもそろそろ本題にいかなきゃなどと、
自分でも思いはじめたぞ。

買い物に出かけたわけよ。「育て用」の、ジーンズを。
ずうーーっと、履き続けるつもりの一本なんだから、
途中で飽きたりしたくない。
そういうつもりで、じつはもう、
数本ストックしてあるのだけれど、
もっと「運命」を感じるようなジーンズと
半年なり1年を過ごしたかったのだ。

ずいぶん考えたけれど、
「ドゥニーム」というブランドに決めた。
いろんな理由も言えば言えるけれど、
要するに、決めたんだ。
雑誌に記されてある住所は「千駄ヶ谷」だ。
ぼくの家と事務所が南青山だから、
いつでも時間のある時に歩いていける。
クルマで行くより、ぜひ歩いていきたかったのだ。
電話番号もメモはしたけれど、
連絡するのもちょっと気恥ずかしいので散歩をかねて
探せばいいと思っていた。
1997年の10月だったっけ。

このあとも、原稿としては書いてあるのだけれど、
このへんでいったん切ろう。
読むほうが集中力をなくすからね。
インターネットは長い文章と
相性がよくないような気がする。
あんまり間を置かずに、次を掲載するので、
いったんここで「つづく」にさせてください。
次回は、ほんとに「引っ越し」
ムードいっぱいの題名に
偽りなしって感じの回になるはずでんがなまんがな。

1998-08-16-SUN

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