ITOI
糸井重里の脱線WEB革命

A.D.のジーンズがまぶしかった。

「豊かであると信じていたことが、実は貧しい」
ということについて、
書きはじめたところで、前回が終わった。
さて、続きを書こうと思ったら、
別のことが気になりはじめた。
ま、いつものことだ。

「○○だと信じていたことが、
実は××である」という
一行のフレーズはおそろしい
魔法の数式みたいなものである。

「菩薩だと思っていたら、実は夜叉であった」
「好かれてると思っていたら、実は嫌われていた」
「尊敬されてると思っていたら、軽蔑されていた」
「かりんとうが落ちてると思ったら、犬の糞だった」
ま、早い話が、
そんなはずじゃなかったということだ。
「実は」、
という部分以下で表現されていることが事実なら、
その前の「信じていたこと」というのは、
誤りであったというわけだ。

「思いちがい」「誤解」「誤認識」
「判断ミス」「見えてなかった」
いろんな言い方があるけれど、
こういうものは、あって当たり前だ。

ま、かりんとうと犬の糞なら、
間違っていることに気づくのは簡単だが、
尊敬と軽蔑なんてものは、
表と裏がくるっとひっくり返ったりするものだから、
気づくこと自体がむつかしい。

よくニュースのなかに、
経済犯罪者という人たちが出てくる。
とんでもない脱税をした人とか、
すっげぇ金額を横領した人とか、
賄賂をいっぱいもらった人とか、
いろいろ登場してくる。
ぼくは、ああいう人たちが、
たっぷり尊敬を受けていた広大な世界を想像する。
きっと権力というものを持っていた人だから、
そのパワーのお裾分けくらいは、
あちこちでしていたにちがいない。
パワーのお裾分けをもらい続けていた人たちは、
彼のことを悪く思いにくい。彼を好きなのか、
彼のパワーが好きなのかはわからないけれど、
「すばらしい人」だと感じていたんだろうなぁと思う。
でも、そのすばらしい彼が、
犯罪者であるということになってしまうと、
彼のパワーの世界にいた住人たちは、
急に少なくなってしまうだろう。
そして、その世界から離れていった人たちは、
「すばらしい人だと信じていたが、
ただの小悪党だった」と言うだろう。
しかし、彼のパワーが
なくなったわけではないと判断する人は、
それまでの世界に居残るだろう。
犯罪者であるかどうかなどという
法的な問題なんかどうでもいい。
牢屋から出てきてもまだパワーが残っていると思えば、
その世界に残る理由がある。
「小悪党」ではダメだけれど、
大悪党ならいいんだというわけだ。
どっちも、パワーに価値があるという考え方である。
しかし、きっと、パワーのあるなしにかかわらず、
その経済犯罪者を尊敬したり愛したりしている人間も、
いるのだろうなぁと、ぼくはよく考えるのだ。
娘とか、妻とか、母親とかね。
ひとりもいないとしたら、
その人は超人的なさみしんぼさんです。
ときどき散歩に連れていってもらっていた
土佐犬くらいは、いるだろう。
今回もすっげぇ脱線してるなぁ。ま、いいや。
こういう極端な例だと、
みんな笑いながら読んでるかもしれないけれど、
名刺の肩書きでえばってる人も、
なんかの能力を自慢して生きてる人も、
みんな同じことなわけで・・・。

話をもどそう。
「○○と信じていたら、実は××だった」ということを、
なんで言いだしたのかというと、
「豊かだと思いこんできたことが、
実は貧しいのだ」ということを書いて
いて横道に入り込んでしまったのだった。

「こどもの偽ウオークマン」の話の次に、
テレビ局のアシスタントディレクターのジーンズについて
書こうと思っていたのになぁ。
また、それも、次回にまわそう。

1998-07-28-TUE

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