伊丹十三特集 ほぼ日刊イトイ新聞

1000円の消しゴムの男。村松友視+糸井重里

第6回 説明してみせる、という決意。
糸井 伊丹さんにとって、ほんとうは、
「ひとり作業」はありえないんでしょうね。
村松 うん、ありえないと思う。
俺は『海』という雑誌の担当になってからは、
伊丹さんに小説を書かせるということが
ひとつの目標になった。
『海』は小説の雑誌だからね。
そういう話になったときに、伊丹さんは
「小説を書くのは50過ぎでいいね」
って言ったの。
つまりそれは、書かないよという意味なんだよ。
文章を研ぎ澄ませたり、
何かをひとりで作っていく仕事には
本来、そんなに
興味のない人だったんじゃないかな。
糸井 うん、うん。
村松 『ヨーロッパ退屈日記』からはじまるような
伊丹さん節と言われる文章も、
実はそういうしくみになってんの。
つまり、自分の文章が個人の作業だとすると、
あれはおびただしい迷彩をこらす
パロディの重層的なものなんだよね。
内田百フからイギリスの作家から
ぜんぶのテイストをうまく使って、
日本人の子どもじみた世界に対して
ちょっとひねくれた
大人びた視線を持った若者を
作り上げて書いているわけです。
だから、あの文章を書くやり方には、
団体競技みたいなとこがあったと思う。
糸井 それは、レタリングをやるのと
同じ方法で、つまり
「なぜこうなってるかというとね」
と、言える作業なんですよね。
自己表出したくないという気持ちや、
しないということが
伊丹さんのいちばんの作品なのかもしれない。
村松 うん、そうだと思う。
糸井 それはいまの時代の人たちに
ものすごく合ってる気がするんです。
みんながやりとりしてるものって、
自己表出に見せかけてるけど、そうじゃない。
自己表出しないぞという
決意に近いようなものを感じるときさえあります。
村松さんはけっこう、両方を
行ったり来たりするでしょう。
村松 いや、でも、ちょっと無理があるんだよ。
俺はいろんな人の評伝なんか
書いたりしてるから、
「次は誰ですか」という話になったら
「じゃあ、伊丹さん」というふうになりかねない。
でも、いま、イトイが言ったようなことが
とても重要になってくるんです。
最後の死からここへつなげて完結させよう、
なんていう古風な捉え方をしちゃうと、
ぜんぜんダメなんだよね。
糸井 違いますね。
まず、伊丹さんを
立派化しちゃいそうになるけど
それはダメなんですよね。
村松 立派化しちゃダメなんだ。
だけど、あの人の最後のあたりに
その端緒ができちゃったんだよ。
だけど、根拠をつけて立派にしていくことは、
ほんとうはできないんだ。
糸井 ああ‥‥、どう言ったらいいんだろう、
自分でもそういうところがあるし、
村松さんもその部分を芸にしてるんだけど‥‥、
ブリーフいっちょうの
ハリウッドスターというのは、
ある種の自由さと傲慢さを表現してますよね。
村松 まあ、そうだね。
糸井 ブリーフいっちょうになっちゃうと
誰もそれ以上尋ねないんで、
ひとりで小部屋を守っていけるんです。
それは、いまの人たちが好きなパターンです。
村松 かもしれないな。
糸井 ぼくもおそらくそれを
しょっちゅうやってるわけです。
何かを出すときには別の何かに混ぜて、
おまけの部分が本音みたいな、
そういうことで、たぶんやってるんです。
伊丹さんと僕は、視線は全然違うんだけど、
そこのところは、わかるんですよ。
村松 うん。だからさ、
伊丹さんってのは、難しいんだよね。

伊丹さんだって、
ああ見えて、掛け算で行こうと
思ってるところがあるからさ。
『ロード・ジム』も『北京の55日』も
日本での伊丹さんの
俳優としてのインパクトには
そんなに関係してこなかったけど、
そりゃ、人には言わないところで、
そうとう努力してた部分もあったと思う。
糸井 うん。いわゆる、すごい努力家ですよね。
村松 ある意味オーソドックスなやり方なんだよね。
伊丹さんにも、
努力してもゼロになった、なんてことは
あるわけだけど、
それは誰にも言わないんだ。
糸井 ぼくらにとっては、晴れやかな存在として、
伊丹さんはずっといました。
村松 うん。
糸井 コツコツやっていけばできること
というのに対して、
ものすごく真剣にちゃんとやってる。
それは、
職人さんが仕事する時の態度にすごく似てる。
村松 あ、そうだね。
あの文章の作り方もそうだよ。
糸井 あれはスイスイ書いてる
文章じゃないですよね。
村松 ないないない。ガリ版みたいな感じ。
糸井 そんなの、パッと見ただけでは
気配もわかんないですね。
伊丹さんの手法は、まず
丸裸に見せることだと思うんですけど。
村松 そうだね。
糸井 『mon oncle』(モノンクル)の
聞き書きにしたって、
すべてさらけ出して書いてるふうなんだけど
そんなことあるはずもなくて、
「ぜんぶ書いてるというスタイルを
 とっていて、
 ものすごく編集してある」
というものです。
伊丹さんの文章はたぶん、
その後の昭和軽薄体や、
嵐山光三郎さんたちにも影響与えていくと
思うんですが。
村松 そういう意味じゃ
俺なんか、そうとう影響受けちゃってるわけ。
『私、プロレスの味方です』なんてさ、
「と、まあ、こういうわけであります」とか
やってるの。
伊丹さんだけじゃなくて、
唐(十郎)さんにしても
野坂(昭如)さんにしても、
自分がどっぷり浸かった人の染色体に
染まっちゃうところが、俺にはあります。
それに関しては、物書きとしては、
後ろめたいと思ってるところもある(笑)。
糸井 それは、ほんとうは全員にあるはずです。
作家がみんな編集者出身とは限らないから
関係がわかんないだけです。
ぼくは、伊丹さんの文章って
おもしろいなぁと思うんだけど
野坂さんみたいに、
何かつかまれるって感じには、
なぜだか、ならなかった。
村松 それはそうだよ。
伊丹さんはつかませないんだから。
糸井 うん。ただし、これはすげえなと思ってたのは
やっぱり、しゃべり言葉の文体です。
伊丹さんの文章がなければ、
ぼくはデビューできてなかったと思います。
つまり、ぼくの『成りあがり』の仕事は
伊丹さんなしではできなかったんです。

伊丹さんの文章を読んだとき、きっとぼくは
リアリティということを思ったんですよ。
矢沢永吉さんの取材をしたとき、
どうにでもやりようがあったのに、
無自覚で「○○なわけよ」って
書いちゃったんです。
自分としては、伊丹さんの名前さえ
忘れながらやってたわけです。

その後もずっとぼくは、
しゃべり言葉でものを考え、
しゃべり言葉を仕事にしてきました。
それはとてもありがたいと思ってます。

いまのテレビがやってることも
そうとう伊丹さんの工夫に影響されています。
それはやっぱり、職人として
次の仕事が来るように仕事を返していくという、
生きる術としての仕事論みたいなものが
伊丹さんの中には根強かったからじゃないかな。
それが、実にいろんな努力と工夫を生んだし、
弱みはとにかくカバーできるって
信じてたと思う。
村松 うん、そうだろうね。
糸井 だから、無敵なんでしょうね、きっと。
みんなが「そんなもの説明できねぇ」と
言っていたことを
伊丹さんは全部説明しました。
そのおかげであとの人がどれだけ助かったか、
ということがひとつあるのと、
そこにおまえは何載せるんだという
問いかけが残る、ということがあります。

(つづきます)
 
14. 『北京の55日』

1960年に俳優となった伊丹さんは、早くも翌年、
ハリウッド映画に出演するため渡欧します。
その映画は、『北京の55日』。
中国で1900年に起こった義和団事件を
モチーフにしたものです。
主な出演者にチャールトン・ヘストン、
エヴァ・ガードナー。そして監督は、ニコラス・レイ。
日本では、ジェームズ・ディーンの代表的作品
『理由なき反抗』の監督としても、有名な方です。
 
映画のストーリーは、清の時代の中国、
イギリスやアメリカ、イタリア、ロシア、
ドイツなどの国から人の流入が増えていた北京で起こった
外国人排斥を目的とした事件を軸としています。
もとは義和団という結社のはじめた圧力行動に、
その頃の為政者である清の女帝・西太后が加わって
世界列国を巻きこむ戦闘となりました。
北京に籠城し、欧米列強国が助けに来るまでの
55日間がタイトルの由来です。
日本では、1963年に公開されました。
 
この中で伊丹さんは柴五郎という、
北京公使館に勤めていた武官を演じています。
この柴という人は、55日間たいへん紳士的に交渉を進め、
この事件のあとも、日本人だけでなく欧米人からも
信頼篤かった人物だとか。
 
映画自体はこのように各国入り乱れる
壮大な歴史ものとなっており、
何千人というエキストラが投入されました。
また、セットがたいへんものものしく凝っており、
巨額を費やされたようであることも、
伊丹さんの『ヨーロッパ退屈日記』に記されています。
(ほぼ日・りか)
 
参考:『伊丹十三の本』(新潮社)
   DVD『13の顔を持つ男』ほか。

DVD『北京の55日』。Amazonではこちら。

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2009-06-30-TUE
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