伊丹十三特集 ほぼ日刊イトイ新聞

1000円の消しゴムの男。村松友視+糸井重里

第4回 聞き書きスタイル。
村松 俺は、26、7歳のときに、
雑誌の取材のためじゃなく、
まったく個人的な突っ張りで、
ベトナムへ行きました。
あの頃、ベトナム戦争つったら
大変なことなんだけどさ、
伊丹さんは俺を誰かに紹介するとき、
「この人は東南アジアにひじょうに詳しい人です」
てなこと言ってた。クスクス笑いながらね。

そういう伊丹さんの距離感って
すごいと思うんだよ。
「ベトナム戦争はどうしたの、
 俺は、そのベトナム行って帰ってきたんだよ!」
って、こっちは思ってるんだけど(笑)、
そういう世間の風のようなものに
見向きもしない伊丹さんというのは、
テレビに出るようになったあとも残っていました。
糸井 伊丹さんはそういうとき、
俯瞰でしゃべってますよね。
いまの流行り言葉で言うと「上から目線」。
きっとその塊ですよね。
村松 もうね、すごい「上から目線」ですよ。
コートダジュールかどこかにいる
撮影中の役者みたいな目線で、
例えば日本の学生運動を見るわけだから。
ある意味、すごく魅力的だった。

ところが、あるとき
伊丹さんが急に
三島由紀夫が自衛隊に体験入隊したことに
刺激を受けたらしくてさ、
「一緒に体験入隊しない?」って
言ってきたんだよ。
これは伊丹さんとも思えない
変な発言だと思った。
三島さんの影響ってそんなふうに
出てきちゃうのかなって感じだった。

そのときはじめて伊丹さんが
世間の風に対して直に関心持っちゃった。
俺はそれがわかったんです。
だからそのとき、
議論するんじゃなくて、曖昧に、
クマちゃん(篠原勝之さん)みたいな感じで
頷いてた。
糸井 「あー、体験入隊ね」
(篠原勝之さんのマネ)
村松 そう(笑)、
これは煮詰まっちゃったら困るな、と
俺は思ってたわけです。
そしたら伊丹さんも、パッと止まった。
そうしたら、次は状況劇場にいた
若いカメラマンの影響で
伊丹さん、急にヒッピー風になっちゃったの。
米軍の放出品を着はじめちゃった。
糸井 あ、そういうグラビア、
見たことあります。
村松 結局、ロータス・エランは人に渡しちゃって、
ジープに乗って
六本木の交差点をチューっと行く。
伊丹さんって、つくづく
トータルファッションの人なんだな、と思った。
糸井 『mon oncle』は岸田秀さんですよね。
村松 そうです。今度は精神分析の世界へ向けて、
トータルファッションになっていくわけ。
ひと頃、落語にハマってたときもあったな。

俺は落語なんて
ガキの頃から知ってるわけだよ。
それを、伊丹さんは
最近知りあった人から聞いたといって、
(三遊亭)圓生の話をするんです。
LPレコード持って、
「ブラバス、これ、おもしろいんだよ」って
うれしそうに言うんだけど、
おもしろいんだよ、つったってさ(笑)。
美術のことでも、
加納光於や中西夏之を
知らないで語ってるような感じがあった。
ところがね、はやいんだよ、習得するのが。
考えられないスピードでね。
糸井 三島由紀夫に刺激受けたということもそうだけど、
伊丹さんはいつも
言行一致型にしたいんですね。
村松 うん。本来はそういう人なのかもしれない。
糸井 あの時代の匂いというのも
影響があったとは思うけど、
言ってることとやってることを
揃えたために行き詰る、ということだって
きっとありえるわけで。
村松 そうだね。
糸井 伊丹さんが映画監督として
「お葬式」を撮るまでには、
デザイナーとか文筆業とか、
いろんな時代がありますけど
やっぱりすべてが
映画に至る道のりだった
ということなんでしょうね。
村松 そうそう、俺も最近そう思うようになりました。
伊丹さんがやってた
聞き書きスタイルも、そうだと思う。

現実に起こる出来事の
風体を変えたりしていくことによって
出てくるおもしろさ。
べつに因果関係を無理に
つけることもないと思うんだけど、
それは、映画に至るまでの布石だと思う。

伊丹さんの『お葬式』も、
その延長線だと思うんです。
つまり、聞き書きです。
糸井 ああ、なるほど。
あれは、聞き書きだったのかぁ。
村松 それが、伊丹さんの育った環境のせいで
また違って出てくるわけだよ。

だって俺たちは、葬式なんてものの
バカバカしさや滑稽さなんて、
知りつくしてるでしょ?
だけど、伊丹さんは
そういう場に立ち会うことがなかったから、
宮本信子さんのお父さんが亡くなったときに
はじめてお葬式のあり方に触れたんです。
糸井 つまり、外国人が見たお葬式ですね。
村松 そうそう、そうなんだ。
すごく新鮮な体験なんだよね。
象徴的にそれが結晶した作品だと思う。

(つづきます)
 
12. 『小説より奇なり』

人から話を聞いて文字にするのがうまい、と、
自他共に認める談話の活字化の名手だった、伊丹十三さん。
 
そもそも初エッセイ『ヨーロッパ退屈日記』のあとがきで、
「わたくしは浅学にして菲才、
 どちらかといえば無内容な人間である」
と書きながらも、うんちくや物の見方、
作法について人からうまく話しを引きだし、
自分というフィルターを通し、
たくさんのひとの心をつかむエッセイに
仕立て上げたところからして、
「聞き書き」は得意中の得意だったと思われます。
 
人から聞いたたくさんのおもしろい話を、
ひとり語りや対談、インタビューの形で集めたのが、
この『小説より奇なり』です。
 
井伏鱒二、吉行淳之介、石川達三、岡本太郎、
江藤淳、石坂洋次郎、野坂昭如、などといった、
当時の文豪や著名人、知識人にとつぜん電話して、
「頭髪の悩みはないか、対処法はどうしているのか」
と聞いた談話集は、相手のあわてるところ、
恬淡として答えるようすなど、
息遣いが聞こえてくるようなリアルさがあります。
もちろん、お話もおもしろいです。
 
そのほか、出産経験者を集めたお産の体験談、
天皇陛下の日常生活の目撃談、
第二次世界大戦時、沖縄で生き延びた兵隊さんの
体験談など、おもしろいだけでなく、
実録物としても興味深い内容です。
 
この本は雑誌『週刊読売』で1971年に連載されていた
「伊丹十三の編集するページ」からおもに収録され、
1973年、文藝春秋社より出版されました。
 
この当時伊丹さんが夢中になっていたものに、
テレビがありました。
「遠くへ行きたい」「天皇の世紀」など、
テレビマンユニオンとともに名作ドキュメンタリーを
たくさん作っています。
 
そして本人は常にテープレコーダーを身につけ、
いろんな人と会って話を聞いていたということですから、
聞き書きのスタイルは
ますます磨かれていたのではないでしょうか。
 
こののち、伊丹さんは、いまにして思えば同じスタイルで、
映画の世界に飛び込みます。
『お葬式』は義父(宮本信子さんのお父さん)の
お葬式の、宮本さんの覚え書きから始まったそうですし、
税金を扱った『マルサの女』では撮影前に、
たくさんの税金関係者への取材が行われています。
 
たとえば『小説より奇なり』の編集者であった文藝春秋社の
新井信さんは、伊丹さんに
「税金に詳しいひとを知らない?」と聞かれ、
紹介したひとと伊丹さんと一緒に
国税局へ行ったりされたそうです。
このころの取材の様子や伊丹さんの聞いた
おもしろい実話については、映画の記録である
『「マルサの女」日記』で読むことができます。
(ほぼ日・りか)
 
参考:伊丹十三記念館ホームページ
   DVD『13の顔を持つ男』
   『伊丹十三の本』『伊丹十三の映画』(新潮社)
   『NHK 知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』

 

『小説より奇なり』(単行本)。
Amazonではこちら(文春文庫版)。

 
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2009-06-26-FRI
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