糸井 そろばんとカチンコと、
二足のわらじを履くのは、
どっちかに引っ張られてダメなんだ、と
人は言うんですよ。
宮本 ええ。
糸井 だけど、ぼくは、
いまの世の中にある仕事って、
そろばんの部分までがアートに
含まれちゃうんじゃないかな、
と思うんです。
純粋にアートをやってる作家たちも、
売れるか売れないかを
先に考えるわけじゃないと思いますが、
彼らも活動が成り立って
はじめて「次」ができるわけです。
クリスト&ジャンヌ・クロードという芸術家が、
ぼくはとても好きなんですけれども。
宮本 はい。
糸井 あの人たちは、最終的には
プロジェクトの準備期間の記録のような
作品も含めて、ものを売ることで
大掛かりな作品をつくる費用を
まかなっているらしいです。
人をどうやって集めるか、
どうやって原材料を用意するのか、
そういうことも全部が作品ですから。
どこまでがアートなのか、という問題は
いままでの概念から言えばわかりません。
でも「そこまでやるのがぼくの仕事です」
ということだって、あると思います。
だとしたら、映画なんてもう典型的で。
宮本 そうですねぇ。
それで、やっぱり大事なことは
赤字出しちゃダメ、ということです。
糸井 それはダメですね。
宮本 絶対ダメ!
糸井 いいなぁ、この力強さ(笑)。
ウチも、仕事するときの鉄則は
赤字を出さないことです。
「損してもいい」というおもしろさが
あることは、
そんなのわかってるんですよ。
だけど、人が認めてくれると黒字になるんだよ、
と言いたいんです。
宮本 わかります。
人が認めてくれた、
そのときのうれしさ、ねぇ?
たのしいですよね。
糸井 はい、徹底して黒字主義です。
赤字は「出ちゃう」ってことは
あると思うんです。
宮本 はい、それはあると思います。
糸井 だけど「赤字でいいや」ではじめたら。
宮本 もう、とてつもなく、
「いいや」になってしまう。
糸井 そのとおりですね。
「落選でいいや」
って、立候補するのと同じ。
宮本 だったら立候補しないほうがいいんですよ。
やりたいことがあるんだったら、
それは「やらなくちゃ」ということに
ならないと。
糸井 宮本さんと伊丹さんは
どうしてそのあたりで
息が合ってたんでしょうね。
宮本さん、数字は得意ですか?
宮本 数字はぜんぜんダメです。
家計簿だってつけたことないし、
どんぶり勘定、大雑把。
糸井 ぼくも数字はダメです。
だけど黒字にしたいと思う。
そうすると、みんなが笑って終われるからかな。
よく、スポーツのチームの監督が
「勝ってると仲がいいんだよ」
と言うんですよね。
宮本 そうでしょうね。
糸井 負けてると、
あいつがああダメだったとか、
こうダメだったとか、
お互いの批判がはじまります。
だけど、勝っているときには
同じ批判を
笑いながらできるんですよ。
宮本 余裕があるからですね。
そうすると、
信頼関係を壊さずにいられる。
糸井 それが事業なら、
黒字のときには
いろんな文句を言っても
笑ってごまかせるということができます。
宮本 だから、伊丹映画のお金の管理をする
プロデューサーは
すごく立派だったと思います。
細越省吾さんとおっしゃる方なんですけどね。
糸井 はい。
宮本 「これは、伊丹さんのお金なんだからね、
 みんな飲んだり食べたりしてるけど、
 こういうところが
 ルーズになるといけないよ」
と、いつもおっしゃっていました。
食事もたのしいことも
もちろん必要なことですけれども、
度を超すとわからなくなっていく。
そのあたり、細越さんは、
もう絶対に厳しかったです。
そういう方に、伊丹さんは
支えられてたんだと思います。
糸井 その方は、はじめから伊丹さんの映画に
かかわっていらっしゃったんですか?
宮本 そうです。
伊丹さんはちょっと変わってるから、
ということで、
プロデューサーとしていらっしゃったのが
細越さんでした。
どちらかというと、ちょっと乱暴な
もの言いをするタイプなんです。
伊丹さんと、ぜんぜん肌が違うというか、
アイデアも逆なんですよ。
だから、ものすごく合ったんですね。
糸井 そうなんですか。
宮本 ものの考え方が違うから、
すごく触発されていましたね。
糸井 その人を、逆だとわかってて、
仲間に引き入れたのは、
伊丹さんですよね。
宮本 そうですね、いいと思ったんでしょう、
お互いに。
「この人なら」と思ったと思います。
それで、ずーっといっしょです。
糸井 そのへん、おもしろいですね。
(続きます!)
column伊丹十三さんのモノ、コト、ヒト。

34. 『ミンボーの女』。

『マルサの女』『マルサの女2』に続く
伊丹さんの『○○の女』シリーズは、
『ミンボーの女』です。

「ミンボー」とは、暴力団の民事介入暴力のことで、
民間人や一般企業に対して、
圧力や暴力で活動を阻害したり、金品を要求することです。
つまり、ゆすりやおどしですね。

映画公開の1992年は、
一般に「暴力団新法」とよばれる
「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」が
1991年に施行されたばかりでしたから、
世間の耳目を集め、大ヒット映画となりました。

舞台は、「ホテル・ヨーロッパ」というホテルです。
ホテルというものは、信用がたいせつですから、
そのぶん、難癖をつけておきながら、
ことを穏便に済ませるように仕向け、
金品を要求する場として、狙われやすかったそうです。

このホテル、超豪華ホテルという設定ですので、
スタジオにセットを作ったりすると、
莫大な費用がかかってしまいます。
美術を担当された中村州志さんによると、
さんざんセットの案を出して伊丹さんと話しあったあげく、
オーストラリアでの撮影を検討して
下見にまで行かれたそうです。

しかしそのころ、完成寸前だった長崎ハウステンボス
(1992年3月オープン)の「ホテル・ヨーロッパ」が、
撮影に使えるというすばらしい話が
飛び込んできました。
実際に、ハウステンボスの中でも最上級クラスの
ホテルですから、スケール感も調度も申し分ない場所で
撮影することができたのです。

主人公の、宮本信子さん演じる女弁護士・井上まひるは、
『マルサの女』の板倉亮子とちがって、
おしゃれでスタイリッシュです。
でも、やくざ相手にひるむことがない、
やっぱりたくましい女なのでした。

そして主役級のもうふたりが、
大地康雄さんと村田雄浩さん。
決して派手ではないふたりですが、
伊丹さんはほんとうに、こういう、
味のある顔をされた俳優さんが大好きだったようです。

伊丹さんも、お父さんである伊丹万作さんの言葉、

「百の演技指導も、一つの打ってつけな配役にはかなわない。」
(『伊丹万作エッセイ集』の「演技指導論草案」より)

がこころに焼き付いているようで、繰り返し、
キャスティングの重要さと、その苦労を語っています。

さまざまな苦労の甲斐あって、
映画は最高におもしろい仕上がりとなり、
また大ヒットを記録します。

しかし今回は、それで終りませんでした。

伊丹さんが、映画公開一週間後のある日、
3人の暴漢に襲われ、顔や首を切られる、
という事件が起こってしまいます。

あってはならないことですが、
芸能人への脅しとして効果的な顔は切るが、
結局、脅していどであり、致命傷までは与えない。
なぜならばそこまでやると逮捕後、
加害者側にかかる費用や負担が大きいから、という、
映画の中にも出てきた、
“殺されはしない”というエピソードを、
皮肉にも、なぞったかたちになりました。

それも、伊丹さんが無事にお元気になられ、
また映画を撮り始められたから、
今わたしたちがこう思える、ということもあるのですが。

この事件の直後のことを、伊丹さんは次の映画
『大病人』のメイキング本である
『「大病人」日記』の中で、語っています。

その中の伊丹さんは比較的冷静で、
マスコミに出す声明文も堂々としていて
かっこいいのですが、
手術をしても、左手の小指の腱が切れたのは
元通りにならず、ギターなど、
生涯の友である楽器を弾けなくなってしまった、
という部分などは、胸に迫ります。

この映画のメイキングビデオである
『ミンボーなんて怖くない』は、
冒頭に、伊丹さんが襲われて病院に運ばれる、
実写が入っています。
そして、私たちは暴力に屈しない、ということを
謳い上げ、映画のメイキングが始まります。

実際にミンボーと戦ってきた弁護士や、
東京の有名ホテルからやくざを追いだした方たちが
登場し、映画の中のエピソードが
いかによくできているか、さまざま語ってくれます。
(ほぼ日・りか)


参考:伊丹十三記念館ホームページ
   『伊丹十三記念館 ガイドブック』
   DVD『13の顔を持つ男』
   『伊丹十三の本』『伊丹十三の映画』ほか。



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2010-02-04-THU