石川直樹+エリック+糸井重里 鼎談 ぼくらの写真を見てほしい
第5回 写真屋に居候するうちに 写真家になった
糸井 そもそもの話なんだけど、
エリックは、いつから日本にいるの?


エリック 1997年。もう12年くらい。
糸井 それまでは‥‥香港?
エリック はい。
糸井 どうして、日本に来たの?
エリック ボク、12歳のころからアルバイトをはじめて、
夏休みとか、冬休みとかも、
学校に行きながら、ずっとはたらいてたんです。
高校を卒業するまで。
糸井 うん‥‥うん。
エリック で、高校卒業してすぐ、
クツ屋さんに就職してしまった。

もう、これから
死ぬまで店員さんになってしまうのかな、
と思ったんです。
糸井 ああ‥‥。
エリック それじゃあイヤだと思って、お金を貯めて、
自分で申し込みをして、
日本語の学校に通うために、来たんです。
糸井 日本に。
エリック そう。で、親には、
出発する2週間前のときに、告白して。
糸井 うん、うん。2週間前。急だねぇ。
エリック それまで、ぜんぜん相談なしでしたから、
ウチの父がキレまして。


糸井 そりゃそうだよ(笑)。


エリック 「おまえ、何を考えてるんだ。
 これまで
 ぜんぜん勉強しなかったじゃないか」って。

でもボクは、勉強しに行くというより、
ちょっと、中国を離れてみたかった。
糸井 それだって理由だもんな。
エリック そんなふうに親とケンカしちゃって、
中国を出てきちゃったんです。
糸井 へぇー‥‥で?
エリック 日本で居候先を見つけて、
それが写真屋さんだったんです。

そこにいれば、住んでる場所もタダですし、
ごはんも、出してくれたんですね。
糸井 うん。
エリック だから、お礼をしなきゃいけないと思って、
空いてる時間に
掃除の手伝いしに行ったりしてたんですが‥‥。
糸井 うん、うん。
エリック 貯めたお金が、すぐなくなっちゃった。
ここまで高いと思わなかったわけです。
糸井 日本の物価がね。
エリック だから、こんどはアルバイトしなきゃと
思ってたんですけど、
たまたま、その居候をしていた写真屋さんが
人が足りなくて、雇ってくれたんですね。
糸井 へぇー‥‥。
エリック そのときすごい感動したの、ボク。

日本語が話せなくて、何もできなかったのに、
すごく応援してくれたんです。

だから、すごく感謝してるんです。


糸井 うん‥‥。
エリック 入ってから、もう10年になるんですけど、
あのお店でアルバイトして、
毎日毎日、写真に触れていたら、
「撮ってみたいなぁ」って
思っていたりとか‥‥したんですよね。
糸井 なるほど、そこから始まったんだね。
エリック そこから始まったんです。
石川 えーと‥‥つまり、カメラが先じゃないの?
エリック じゃない、じゃない、じゃない。
石川 最初は撮ってなかったんだ?


エリック 撮ってなかった。
石川 写真屋のバイトが先‥‥だったのか。
はー、それは知らなかった。
エリック そうなんです。
石川 あの‥‥そのへんのカメラ屋さんに
ふつうに「サービスプリント」を頼むと、
何十枚も束になって
写真ができあがってくるじゃないですか。
糸井 うん。
石川 エリックは、その一枚一枚、
きちんと色を調整してあげてたんですよ。
糸井 ふつうそんなことしないでしょ?
エリック しない、しない。
石川 だから、エリックの勤めていた
カメラ屋さんにサービスプリントを出すと、
この『中国好運』みたいに
ビビッドな色に仕上がってくるんです(笑)。
エリック うん、きれいに出してたよ。
糸井 ようするに「オレの色」にしてたわけだ。
エリック そうそう、ボクの色です!
糸井 誰かが撮った写真を、一枚一枚。
石川 そのへんのコンビニにプリント出したときと、
ぜんぜん、ちがってたはずですよ。見栄えが。
糸井 近所でちょっと評判だったりして。


石川 いや、ぜったい評判だったはず。
エリック うん、けっこう評判だったんです。
糸井 おもしろいなぁ(笑)。
 
石川直樹『VERNACULAR』(赤々舍刊)より
 
エリック『中国好運』(赤々舍刊)より
<つづきます>
2009-03-06-FRI
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