「東日本大震災を実感していない自分は、震災とどう向き合えばいいんだろう?」
ほぼ日でインターンをしている
大学3年生のマツザキが、
あらためて震災について考えた。
メール紹介①

高校教師と若者より

こんにちは、マツザキです。
今回から「東日本大震災を実感していない自分」
というテーマに寄せられたメールを紹介します。
これから、全7回にわたって、
みなさんからいただいたメールを紹介していきますが、
すべてのメールは、平成28年熊本地震が起きる前に
お送りいただいたものです。

まず今回は、印象的だった、
高校教師の方からのメールを1通と、
当時高校生だった方からのメールを2通、選びました。

3通のメールからは、3人それぞれが
「震災を実感していない自分」を掘り起こし、
迷いや戸惑いを抱える自分を受け止め、
それでも前に進もうとする姿が見て取れました。

教師と生徒という関係でも
おかしくない3人ですが、
教師の方は全くいばらず、
生徒のおふたりはすこし大人になって、
同じ目線で気持ちを打ち明け、
震災と向きあおうとしています。

3人の正直なことばで綴られたメールに、
僕は力強さを感じたので、ぜひ紹介したいと思いました。

それでは、教師の方のメールから順に、紹介します。

迷う大人として、高校生に震災のことを話す。
(すずろさん・教師)

私は今、
「東日本大震災を実感していると思っていたのに、
5年経って、本当に実感しているかわからなくなった。」
という状況です。

震災当時、私は山梨に住んでおり、
高校教師として3年目を迎えようとしていました。
生徒の避難対応や心のケアに苦心したことを、
今でも折々に思い返しています。

しかし、私は震災に対して
ほとんどアクションを起こしていません。
東北のものを買ってみたり、
節電してみたりすることはたしかにありますが、
被災地に足を運ぶことは、ありませんでした。

そうこうしているうちに震災から5年が経ち、
日々の忙しさにかまけて、
震災の記憶がどんどん
薄れていっているように感じています。

そんな私でも、毎年3月11日は、
クラスで生徒に震災のことを話します。
どの子も真剣に話を聞いてくれるので、
私も自分の言葉できちんと話そうと
真剣に考えているつもりです。

それでも今年は、
「震災の実感を失いかけていて、
震災に対してなにも取り組んでいない私に
いったいなにが言えるのだろうか」と、
何を話すべきか、本当にわかりませんでした。

結局私は、3月11日の教室で、
迷う大人として、話すことにしました。

震災のことを忘れてしまったわけではないし、
何かしたいと思っているけれど、
今は何もできないでいる、ということを
生徒たちに正直に話しました。
また、東日本大震災だけじゃなくて、
いろんな災害に遭った人々のことも
忘れないようにしたい、ということも
ゆっくりと話しました。

クラスの生徒の多くは、おそらく大学に進みます。
そのときは、自由に使える時間の中で、
実際に東北に足を運んでほしいと、
言葉に詰まりながら、話しました。

私の言葉が本当に生徒に伝わったのかはわかりませんが、
今年も彼らは真剣に話を聞いてくれました。

今でも、
「私に何ができるんだろう。
何もできないし、何も言えないのではないか。」
という気持ちは残っています。
それでも、喉元過ぎても熱さを思い出せる
私でいたいと、強く思っています。

震災のことを考える「受け皿」ができた。
(Yoichiさん・大学生)

僕も、東日本大震災を実感していなくて、
震災を自分事にも、他人事にも、できていません。

僕は震災当時、
岡山県に住む高校生で、
2013年に東京の大学に入りました。
震災の被害はほとんど受けていません。

大学1年の夏、
気仙沼と女川へ一人旅に行ったことあります。
なぜ東北に行こうと思ったのか
詳しくは覚えていないのですが、
当時は「震災を自分事にしよう」という意志が
多少なりともあったと思います。

ですが、今振り返ると、
その旅行から何かを感じたり、
考えたりしていたようには思えません。
震災当時17歳だった僕や、東北に行った20歳の僕には、
まだ震災について感じたり、考えたりする
「受け皿」がなかったのだと思います。

うまく震災を受け止めきれていなかった僕は、
震災について語ることも避けるようになりました。
そうやって震災から5年が経ち、
震災は僕の中で少しずつ「他人事」に
なっていこうとしていました。

それでも今回、ほぼ日の
震災のコンテンツを読んだときに、
その「受け皿」が僕の中にもできた、と感じました。
想像力を働かせ、自分と照らしあわせて考えることや、
流されないように、自分の軸を持って考えることが
できるようになったと思います。

僕も震災に向き合い、
知ろうとすることを始めようと思います。
もう一度、東北に行ってみます。

自分なりの震災との関わり方を探す。
(ゆうきゃんさん・大学生)

私は東京生まれ東京育ちで、
5年前の東日本大震災の日も
渋谷近くの自分の高校で震災を経験し、
帰宅困難者になりました。
自分の母校の教室で、
夜な夜な鳴り響く緊急地震速報に怯えながら
友達と夜を明かしたのを、今も鮮明に覚えています。

ですが、私の震災についての経験は、
それだけと言ってしまえばそれだけなのです。
周りでは誰も亡くならなかったし、
壊れたものもありませんでした。
だから、深く悲しむのもなにか違うように思うし、
打ちひしがれていい立場にないように感じました。
それでも、震災が全く「他人事」だとは思いません。

東日本大震災から5年が経った今、
どうやって東北と距離を取ればいいか
わからない自分がたしかにいます。
「何をしたらいいんだろう?」とか
「今さら何かを始めるのは遅すぎないだろうか?」
という考えが、頭のなかをぐるぐるしています。

ただ、東日本大震災後の時代と
生涯を通して関わり続けるのは
私たちの世代です。
だから、自分なりの震災との関わり方を、
私は探していきたいと思います。

メールを最後まで読んでいただいて、
ありがとうございます。

今回紹介した3通のメールを書いてくださった方々は、
それぞれきっかけや方法は異なるかもしれませんが、
東日本大震災に向き合い始めているように思えます。

震災に向き合うためには、
なにか決まったやりかたがあるわけではなく、
自分なりのきっかけを、偶然にでも見つけて、
自分の実感をすこしずつでも積み重ねていくことが、
大切なのではないかな、と感じています。

それでは、次回につづきます。

2016-05-10-Tue