「東日本大震災を実感していない自分は、震災とどう向き合えばいいんだろう?」
ほぼ日でインターンをしている
大学3年生のマツザキが、
あらためて震災について考えた。

「東日本大震災のことを、考え続けたい」と、
より強く、思い始めています。

こんにちは。
お久しぶりです、マツザキです。

3月11日にこのコンテンツを公開したところ、
今日までに172通のメールが寄せられました。
ほんとうに、ありがとうございました。
すべて、読ませていただきました。

「東日本大震災を実感していない自分」
というテーマで募集したメールには、
東日本大震災との向き合い方に悩みながら、
それぞれの方が考えたこと、
この5年間、心のなかに抱えていた
想いがつまっていました。

大切な気持ちをつづっていただいた
読み応えのあるメールばかりでしたから、
できるだけ多くのメールを
「ほぼ日」で紹介したいと思い、
掲載の準備を進めていました。

そんなときに、
「平成28年熊本地震」が起こりました。

熊本県出身の僕にとって、
今回の地震はたいへんショッキングなものでした。

4月14日の夜、
熊本で地震が起きたことを、
僕はテレビのニュース速報で知りました。
地震が起きた直後は
電話がつながりにくくなるということを、
「ほぼ日」のコンテンツを通して、僕は知っていました。
しかし、ニュース速報を見た直後、
「震度7」という文字に冷静さを失い、
反射的に両親に電話をかけてしまいました。
3、4回かけた後、やはりつながらなかったので、
インターネット経由で連絡したほうが
いいかもしれない、とやっと気づきました。

僕の実家は、海にほど近いところにあります。
津波のことが頭をよぎりました。

「みんな大丈夫!!!!?????
すごいじしん!!!
津波に気をつけて!!!」
と、焦って「地震」をひらがなにしたまま
両親にメッセージを送りました。
長いこと九州に住んでいて
地震に慣れていないであろう両親に、
強く注意喚起をするために、
「!」マークをたくさんつけたいという気持ちと、
一刻も早くこのメッセージを送りたいという気持ちが、
自分の中でせめぎあったことを覚えています。

するとすぐに、
「揺れたけど、大丈夫です。
津波の心配はないって、テレビで言ってるよ。」
との返信が来ました。

僕は、テレビの前にいたにもかかわらず、
「津波の心配はありません」というアナウンスに
全く気づいていませんでした。
明らかに自分はパニックになっている、と
両親のメッセージを見てハッとしました。
今までに経験しなかったほどに
ひどく落ち着きのない行動をする自分に気づいて、
「物理的に遠い地の地震が自分事になる、というのは、
こういうことかもしれない」と思いました。

そして、正直な気持ちとして、
熊本地震が起きてからは、
東日本大震災に対する認識が、変わりました。

東日本大震災と熊本地震を
重ねあわせて語るのは、
すこし筋が違うことなのかもしれません。
ですが、熊本が「被災地」と呼ばれるようになり、
「本棚が自分に向かって襲いかかってきた」とか
「本当に死ぬかと思った」という言葉を
家族や友人から直接聞くにつれて、
東日本大震災で被災した方がかつて経験したことを、
不十分ながら、より自分に近いところで
想像できるようになりました。

熊本市に住む高校時代の親友に連絡すると、
ふだんは無口で落ち着いた性格であるにもかかわらず、
おびえているような声で
「余震が怖くて家に帰れない」と話していました。
その声から、被災地の苦労の様子が目に浮かんで、
文字通り胸が苦しくなりました。
一方で、「テレビの全国放送でも熊本弁が聞こえるぞ!」と
実家に住む祖父が笑いながら言うのを聞いて、
現地ならではの落ち着きも感じました。

東日本大震災のときと同じく
僕は実際の揺れを経験したわけではありません。
しかし、正確な理解ではないかもしれませんが、
熊本でたしかに地震が起きたということを、
自分の心の動きや行動から、
精神的にも、身体的にも、実感しました。
その実感は、僕と東日本大震災との間にある、
縮めたくても縮められない距離感のようなものを、
僕の方から一方的に、ほんのわずかかもしれませんが、
縮めたような気がしています。

僕を含めて「東日本大震災を実感していない」という方が
たくさんいらっしゃったのと同じように、
「熊本地震を実感していない」という方も
きっといらっしゃると思います。

たとえこれから、自分にできることを積み重ねても、
僕の「東日本大震災を実感していない」という気持ちが
今後どうなっていくのか、ということについては、
先がまだ見えていません。
もしかすると、この気持ちは、
ずっと変わらないのかもしれません。

それでも、自分の心の中にある
なにかしこりのようなものが、
小さくなって消えてなくなるまで、
つまり、僕自身のために、
実感できなくてもいいから、すこしずつ
「東日本大震災のことを、考え続けたい」と、
より強く、思い始めています。
そして、もちろん、
「熊本地震のことに、関わっていきたい」ということも
実感を持って、強く思っています。

「東日本大震災を実感していない」というテーマで
メールをくださった方々も、
東日本大震災を実感しているわけではないけれど、
5年経った今も、それぞれの場所で、それぞれのかたちで、
東日本大震災のことを考え続けてらっしゃるのだろうと
僕は思います。

長い前置きになりました。
次回から、いただいたメールを紹介します。

(つづきます。)
2016-05-09-Mon