(9) どうして辞書をつくることに
糸井
今日は、飯間さんはなんで
そういう人になったんですかということも
訊きたかったんですが。
飯間
あはは、不思議ですよね。
糸井
なんで、こういう人になったんですか。
飯間
辞書を作っている人はたくさんいるんですけどね、
辞書編纂者という肩書きで仕事をしている人は、
私の他にごく少ないと思います。
出版社の社員であったり、
あるいは文化勲章をもらったような先生が、
本業とは別に辞書を作っていることはありますが、
フリーランスで辞書を作るのが本業という人は、
あまりいないですね。
一つ、その原因を言いますとね、
あっ、「原因」っていう言葉をね、
私はいま、悪いニュアンスで言っているんですよ。
「原因」ってあんまり良い場合に使わないので。
糸井
(笑)。
飯間
「原因」は、先ほどの見坊豪紀先生なんです。
見坊先生は、おもしろい本をたくさん書いていらして、
その一つが『ことばのくずかご』という本ですね。
見坊先生が自分の足で歩いて、
新聞や雑誌、テレビを自分の目で見て、
「これは変な言葉だな」「言い間違いかな」
みたいな言葉を全部スクラップして、
『言語生活』という雑誌に連載していたんです。
本になったものを読みますとね、
変な言葉ばっかり並んでいるんです。
糸井
うんうん。
飯間
本に載っている変な言葉ばかりを、
ひとりで全部集めたんだと思って驚きました。
でも、見坊先生が集めたのは変な言葉ばかりではなく、
三省堂国語辞典に載せる言葉を集めるのが
本来であると知りました。
見坊先生が、どれぐらい言葉を集めたかというと、
亡くなるまでに145万の日本語を集めたというんです。
145万というと、ちょっとイメージが浮かびません。
学生のときは、見坊先生の著書を見るだけでも、
こいつ‥‥ああごめんなさい、「こいつ」は失言です。
糸井
まだ知らない人だったから。
飯間
はい、まことに恐れ多いことですが、
「こいつ、すげえ!」と思うわけですよ。
そのすごい人と同じ仕事を
やりたくなっちゃったんですね。
その判断ミスが、いまだに響いていまして。
糸井
言葉オタクになっていったんですね。
飯間
私、大学での専門は日本語学で、
もともと言葉オタクではあったんです。
「そうだ、辞書を作りたいな」という気持ちは
漠然とはあっても、辞書というものは
金田一京助さんですとか、
偉い人が作るんだと思っていたんです。
でも、見坊先生の本を読んだときに、
「辞書を作りてえ!」と思ったわけですね。
糸井
誰かがやっていたんだ、という実感がありますよね。
飯間
「こんなの作れたらすごいな」と思っていたんですが、
自分がいざ仕事を始めてみると、
辞書を作っても、ハワイに別荘は建たないし(笑)。
そもそも紙の辞書は今、売れなくなっていますからね。
糸井
飯間さんは、新しい提案をなさっていますよね。
飯間
そうなんです。
紙の辞書は、今や死んでしまっていて、
これからのことを考えなきゃいけない時期に
来ているんですが、誰も考えていないんです。
ぜひ、皆さん一緒に考えましょう、ということです。
辞書が将来どういう形に変わるか、
それはわかりませんが、
「こいつと心中するつもりでどこまでも行く」
というふうに、今は思っていますね。
糸井
へえーー!
飯間さんはとにかく、学問の対象を喜んでいる。
言葉の話をしてるときに、
こみ上げてくる、にやにや感があるんですよ。
もともとのきっかけは、「ほぼほぼ」という言葉が
9月に多いのはなぜかという話でしたよね。
我々、ツイートを読んで嬉しかったんです。
飯間
いや、光栄です。あれは私の勘違いでして。
「ほぼほぼ」という言葉がね、
なんで9月に限って、こんなに検索されるのか。
みんなが「ほぼほぼ」と言い出すわけですね。
合理的に考えるとしたら、
「ああ今年も、ほぼほぼ終わりです」という
つぶやきが多くなるのかと思ったんです。
でも、実際は「ほぼほぼ」ではなく、
「ほぼ日手帳」が検索されていただけだということで。
糸井
「ほぼほぼ」は、消えつつありますか。
それとも、まだ全盛期でしょうかね。
飯間
むしろ2016年が、
「ほぼほぼ」元年だったんです。
糸井
はあー‥‥!
飯間
使っている人が、すごく増えていますね。
糸井
僕、取材を受けているときに気になっていたんですが、
聞き手の「確かに」っていう相づちが
すごく多くなった時期があるんですよね。
だけど、知らないうちに消えたんです。
編集者の相づちというのも、
年表が作れるような気がするんですよね。
飯間
それは、気づいたときに記録しておくといいですね。
私、「確かに」は、いつ頃から
増えたかというのは記録してないんですが、
「なるほどですね」というのは、
ある程度、記憶しています。
糸井
「なるほど」に「ですね」を付ける。
飯間
はじめは、その人だけかなと思ったんですが、
みんな、「あ、なるほどですね」と言っている。
糸井
だとしたら、もう一個あった。
「変な話」。
飯間
あっ、「変な話」も辞書に載せました。
糸井
辞書に載せたんですか!
ふいに出てきますよね。
あれ、違和感あったわー。
飯間
別に変じゃない話の場合もあるんですが。
糸井
ほとんどは、変じゃない。
飯間
「変な話」という、慣用句として載せたんです。
で、1番目の例文としては、
「卒業させるために試験を易しくするというのも変な話」。
これは本当に「変だ」という場合です。
糸井
普通ですね。
飯間
そして2番目が、副詞的に、
「変な話、運転中はトイレにも行けない」。
変というよりは、ちょっとなんですか、
シモがかった話というようなことなんですけども。
この②の例文を選ぶのはすごく悩んだんです。
糸井
ああ、大変ですね。
飯間
というのも、「変な話」っていう以上は、
この後ろにですね、変な話を続けなきゃいけない。
でも、辞書にシモがかったことは書けません。
変でありつつ、辞書に書けるフレーズを探した。
すると、結婚したばかりの人の文章に、
「変な話、お手洗いにいこうと思ったら、
相手が入ってる」
とあって、これを基にトイレの話を考えました。
糸井
ああー、そうですかあ。
いやあ、飯間先生はもっとしゃべるべきですね。
見坊先生の逆で、前に出る役が必要ですね。
飯間
あ、そうですか。
「レクシコグラファー(辞書編纂者)は弁明せず」
じゃなくて。
糸井
飯間先生は、説明がお好きですよね。
飯間
そうですね。
ええ、「私はこう見たんだよ」っていう、
自分の目で見たことを相手に伝えるのが好きなんです。
糸井
好きですよね。
飯間
大好きなんです。
糸井
僕は言葉の専門家じゃないって言い張りながら
今日まで生きてきたんですけど、
違和感を感じる癖があるんですよね。
うん、おもしろかった。
飯間
すごく今日は勉強になりました。
おもしろかったです。
糸井
ありがとうございました。
また、何かぜひ、遊んでください。
飯間
こちらこそ、お願いします。
(飯間先生と糸井重里の対談は以上でおしまいです。
 ご愛読いただき、ありがとうございました!)
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2017-01-23-MON