(3) 飯間先生の街歩き
糸井
飯間さんが研究しているときに、
「あっ、ルールから逃げたな」と
気づく瞬間があると思うんですよね。
飯間
「逃げた」というのは、例外を処理しようとして、
新しいルールを作っていくところだと思いますね。
糸井
そうですね。逃げの姿勢が、
クリエイティブとしておもしろいと思って。
飯間
私は、すべてを言葉の方面から見ていますが、
既成のルールで飽和状態になったところを
破って逃げようとするパワーが一番見られる場所は、
新聞や雑誌ではありませんね。
どこかっていうと、街の中だと思います。

言葉はすべて、ルールの積み重ねでできていますが、
ルールだけだと、本当に動かないですよね。
既成のルールを破る人がいないと、
言葉が前に進んでいかないんです。
新聞や雑誌は、すべてを共通のルールにしようとするし、
報道するためには、確かにルールの必要性もあります。
新聞・雑誌には校閲が入るので、
逃げようとする余地が、非常に小さいんです。
糸井
はい。
飯間
これが街の言葉ですと、誰からも校閲が入らないので、
どんどん好きなことをやっていこうとするわけですね。
学問のある人は、これを「間違いだ」と言うんですが、
じつは間違いではなくて、
次の言葉を作っていこうという
エネルギーがそこにあると思うんです。
ひとつね、街中で見かけた例を。
糸井
さすが、よく歩いてらっしゃる(笑)。
飯間
あちこち歩いて、気になるものを見るんです。
とある喫茶店の看板に
「ラテ、オレなど ¥450~」と書かれていました。
「ラテ」「オレ」って書いてあるんですが、
「ラテ」はイタリア語で牛乳ってことですよね。
糸井
そうですね、はい。
飯間
つまり、牛乳を450円で売ってるのかと。
「オレ」はフランス語で「牛乳(入りの)」。
すると、牛乳と牛乳を450円で売ってることになる。
実は「カフェラテ」「カフェオレ」の略なんですがね。
こういう語形は、新聞には載らないんです。
糸井
載らないですねえ。
でも、新聞が取り込まざるを得ないくらいまで
当たり前になっちゃった言葉というのは、
辞書を作る人の悩みどころなんでしょうかね。
飯間
悩みというよりはむしろ、おもしろいです。
糸井
それでいうと、僕は子どもの時から
「アイス」が嫌だったんですよ。
「アイス、買ってあげる」とか言われるけど、
「氷じゃん、どうせ省略するんだったら
『クリーム』のほうがいいじゃん」って。
飯間
どちらかというと、クリームが実体ですからね。
糸井
「アイス」はもう、普通の言葉になっちゃいました。
もう一個、似たものですけど、「ソフト」、
「ちょっとソフト買ってこいよ」なんて言いますよね。
「『やわらか』を買ってこい」ですよ。
飯間
そうか、クリームは共通する部分だから、
区別するなら上の「アイス」か「ソフト」しかない。
糸井
そういうことですね。
喫茶店の世界で「ラテ」と「オレ」はすでに、
「アイス」によって許されていたんですね。
飯間
日本語での「アイス」は、
アイスクリームの意味で使われていますよね。
昔、新幹線にまだビュッフェがあった頃に、
英語を話す外国人が店員さんに、
「アイス・プリーズ」と言ったんです。
店員さんは、アイスクリームを
一所懸命出そうとしているんですが、
これは伝わっていないなと思って
すごくおもしろかったんですね。
糸井
そういう勘違いは、あるでしょうねえ。
飯間
日本人の頭としては、「アイス」なんです。
そういえば私、つい昨日、パスタのお店に入りました。
糸井
パスタのお店は、気になる言葉がありそうですね。
飯間
そしたら、メニューにアルファベットで、
「Mini Ice」って書いてあるんです。
「これは何なんだ?」と、氷でしょうか。
糸井
小さな氷。
飯間
もちろん、そうではなくて、
小さいサイズのアイスクリームなんです。
こんなふうに、アルファベットで書くときにも
日本語の頭で書いていますから、
これを英語だと思っちゃいけません。
カタカナの「ミニアイス」では満足できず、
日本語をおしゃれにアルファベットで書いたわけ。
糸井
書いた人は、「やった!」という
気になっていたでしょうね。
飯間
でも、このメニューは英語を話す人は読めないし、
日本語を話す人にはカタカナで書いたほうがいい。
誰が読むんだろうっていうことになりますがね。
糸井
飯間さんの目で街を歩いたら、
めっちゃくちゃ、おもしろいですね。
飯間
ひっきりなしに、おもしろいことがあります。
糸井
他にも見かけた言葉って、ありますか。
飯間
今日、電車の中で見た広告に、
南北線の西ヶ原という駅で降りると
おもしろいよっていう話が書いてあったんです。
「旧古河庭園がありますよ」とか言ったりして、
その中に、ハンバーグ屋さんがありました。
この、榎本ハンバーグ研究所っていうお店には、
「ハンバーグで世界平和を目論む」と書かれていた。
おおっ! 世界平和を目論んじゃうのかと。
普通はね、「目論む」のは世界征服ですよね。
糸井
そうですね、そうだと思います。
飯間
もし、榎本ハンバーグさんが
こういうキャッチフレーズを使っているなら、
すごくセンスがいいと思ったんです。
糸井
いいことを言うときに、
動詞として、悪いことに使う言葉を使うというのは、
知らないうちに、ものすごくはびこってきてますね。
あ、今の「はびこっている」っていうのも、
すでに僕は、その例で使っています。
飯間
ええ。
糸井
自分がインタビューされて、何度も言われてきたのは、
「さて、糸井さん、
多岐にわたっていろんなことをお考えですけれども、
どんなことを今は企んでますか」って。
飯間
「企む」ですね、ええ。
糸井
その「企んでますか」と聞いてくる人には特徴があって、
「私とあなたは同類ですよね」感があるんですよね。
「前からファンです」という人だとか、
あるいは「私は大勢順応型ではございませんよ」
みたいな人が、その言葉を使いますね。
飯間
「企む」っていうのは、本当は悪い意味だから、
初対面の方に向かって、
「あなた、何を企んでるんですか」は、
本来は失礼極まりないことですね。
糸井
そのはずなんですね。
飯間
「企む」と言っても許してくれるだろう、
と思っているんでしょうかね。
糸井
僕は「目論む」も、同じ文脈だと思うんです。
そのハンバーグを作っているシェフを
おもしろい人に思わせたかったという、
コピーライターのテクニックでしょうね。
飯間
紹介文を書いた人の語彙なのか、
ハンバーグ屋さんの語彙なのかわかりませんが、
「世界平和を目論む」とは、普通は言わないなと。
同じ、計画をするという意味でも、
「目論む」は、悪いことに使うんだなっていうことに、
私、電車の中で気づいたんです。
「これはちゃんと辞書に書いてあるかな」って、
辞書づくりに結びつくわけですよ。
飯間
「目論む」の中に「企てる」が入っていますね。
そうすると、「企てる」はどうなのか。
飯間
「悪事を企てる、天下統一を企てる」も例にありますね。
糸井
ちょっと身分不相応な引用を出していますね。
飯間
秀吉のような身分の低い人が、
「俺も天下統一をやってやろう」というのが、
「企てる」ですね。
糸井
ゼウスだったら言わないですよね。
飯間
ああ、そうですね(笑)。
糸井
ゼウスが「天下統一を企てる」のはマズイ。
飯間
「目論む」の説明は、ちょっと弱いかなとも思いますね。
「復権を目論む」という用例がありますけども、
たとえば汚職政治家が一度政界から退いて、
再起を期するようなことが「復権を目論む」ですね。
会社がつぶれてもう一度、再起を目指すときに、
「社長が会社の再起を目論んでいる」とは言わない。
糸井
ちょっと下に置いている感じがしますね。
飯間
これは、すごく微妙なところで、
辞書に細かいニュアンスを書いちゃうと、
ふだんの人々の言語生活がですね‥‥。
糸井
過剰に制約されてしまう。
飯間
ギチギチになってしまいますね。
例えば、「俺もひとつ、大事業を目論んでみよう」
と言った人がいたとします。
「君、『目論む』は、三省堂国語辞典に
悪いことにしか使えないって書いてあったよ」
とか言われたら、すごく窮屈でしょう。
だから、ちょっと遊びの部分が欲しいんです。
辞書にはなかなか書けないんですけども、
一方では「世界平和を目論む」という使い方があって、
「こういう使い方はおもしろいですよ」ということが、
辞書で説明できればいいと思うんですが。
糸井
言葉は生き物だからこそ、
「どっちも取れる」という辺りを
ゆらゆらしているんですね。
飯間
そうですね。つねに変化していますから。
糸井
いやあ、自分の考えと相当近いですね!
飯間
そうですか、それはよかったです。
(つづきます)
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2017-01-13-FRI