ヒット一本が、
どれだけうれしいか。

イチロー選手が、言葉で、人の心を打ち抜いた!

第3回 自分を見失ってしまったとき。

糸井 イチローさんが、周囲の評価に
惑わされそうになったことなんていうのは、
あるんですか?
イチロー ええ、ありますよ。
糸井 あったんですか。
イチロー 九四年に、
ぼくがはじめて安打を
二〇〇本打ちましたよね。
ぼくは、その年から
ちゃんと一軍の試合に出だしたんですけど。

当時、まだ合宿にいましたから、
そこの食堂に行くと、
新聞が全紙、並んでいるんですよね。

その新聞の一面に、自分が載っている。
それはうれしいんですよ、やっぱり。

自分の方から、
新聞を取りにいって読むんです。
それでいい気分になる……
あれが、よくなかったですね。


ぼくは、自分のやっていることを、
自分でわかっているはずでした。
ただ、当時の新聞を見ると、
過剰に評価をしているんですよ。

それによって、
自分がちょっと舞いあがってしまう。
その時点で、
自分を見失っているんですよね。
糸井 「舞いあがっている」ということは、
そのとき、自分で意識できるんですか?
イチロー そのときは、できないんですよ。
糸井 舞いあがっている状態は、
どのくらい続くんですか?
イチロー その日の試合がはじまるまで、です。
試合がはじまれば、
昨日のゲームについての新聞は、
関係ないですから。
ゲームに入ったら、ようやく、忘れられる。
でも次の日も同じようになってるんです。

一面に載って、また気分がよくなっちゃう。
で、人から評価される、
チヤホヤされることが、
気持ちよくなってきちゃう
んです。

それが続いたのが、九六年まででした。
オリックスが日本一になった年ですね。
九五年に、リーグ優勝しました。
でも日本シリーズで負けた。
翌年の九六年には、日本一になりました。

そのあたりまでは、もう、
フワフワフワフワしていて、とても、
地に足が着いた状態では
なかったと思いますね。
糸井 その状態でも、成績はずっとよかったわけですよね?
イチロー 数字だけ見ればそうですけど、
実際プレイしてる感覚っていうのは、
好調なんていうのとは、
まったく違うんですよね。

ぼくは、チームが日本一になった時期には、
もうすでにスランプに入っていたんです。
  (明日に、つづきます!)

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2004-03-24-WED


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