ことしの8月に没後20年を迎えた写真家の星野道夫さん。
何千、何万というカリブーの群れ、スヤスヤねむるシロクマ、グリズリーと相対する一匹のサーモン。
魅力的な写真を、たくさん残しました。
文章に惹かれる人も多くて、ボロボロになった『旅をする木』を常に持ち歩く知人もいます。
今も、多くの人の心の中に生きている星野道夫さんって、いったい、どんな人だったんだろう?
奥様の星野直子さんと担当編集者だった松家仁之さんに、自由に、話していただきました。
年譜にはたぶん載らない、なんでもない日の、星野さんのこと。
担当は「ほぼ日」奥野です。

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星野道夫(ほしの・みちお)

1952年、千葉県市川市に生まれる。自然写真家。
1968年、慶應義塾高等学校入学。
1969年、移民船アルゼンチナ丸でロサンゼルスへ。
約2ヶ月間、アメリカを一人旅する。
1971年、慶應義塾大学経済学部入学、探検部に入る。
1973年、アラスカ・シシュマレフ村でエスキモーの家族と一夏を過ごす。
1976年、慶應義塾大学を卒業。動物写真の第一人者、
田中光常氏の助手をはじめる(以後2年間務める)。
1978年、アラスカ大学受験のため、シアトルの英語学校に通う。
1978年、アラスカ大学野生動物管理学部入学(4年間留学する)。
1986年6月、第3回アニマ賞・受賞(「グリズリー」)。
1990年、第15回木村伊兵衛写真賞・受賞(週刊朝日連載)。
1993年5月、結婚。
1996年、ロシア・カムチャツカ半島クリル湖へテレビ番組の取材に同行。
1996年8月8日、ヒグマの事故により急逝。
1999年、日本写真協会賞・特別賞受賞。

第三回 2016-9-9金曜日 お酒がダメで、トンカツ好きで。

──:
今、思い返したとき、
星野さんが、
そこまで「アラスカ」に没入した理由は、
何だったと思われますか?
直子:
そうですね、すごく大きく言うならば、
「人の暮らし」というものに、
いちばん関心があったんだと思います。

本人も言ってましたし、
本にも書いたことがあるんですけれど、
自分は、アラスカも、ニューヨークも、
どっちも好きなんだって。
──:
大自然と大都市、対極的ですけど‥‥。
直子:
はい、アラスカには
厳しい自然の中で生きる人々の暮らしがあり、
ニューヨークには、
大都会のなかで
懸命に生きている人々の暮らしが、あるから。

そんなふうに、考えていたようです。
──:
でも、アラスカのフェアバンクスに
ご自宅を建てて、
移住までしてしまったわけですよね。

ニューヨークではなく。
松家:
アラスカは、エリアによっても
さまざまな気候がありますけれど、
短い夏と秋が終われば、
雪に覆われて、マイナス何十度にもなる世界。
──:
はい。
松家:
星野さんは
十数年に及ぶアラスカでの仮暮らしを経て、
そんな厳しい環境で暮らす人たちと、
どんどん、親しくなっていったわけですね。

自然と折り合いをつけながら暮らす人たちの
生きる喜びを、星野さんも
共有するようになっていったんだと思います。
──:
どんなに大変な場所でも
人々がそこに留まる理由が、かならず、
あるわけですものね。
松家:
養老孟司さんがよくおっしゃるんですが、
私たちの目の前にある
「都市の光景」って、
すべて人間の脳がつくったものなんです。
──:
はい。高層ビルにしろ、高速道路にしろ、
公園の緑でさえ。
松家:
でも、アラスカの大自然というものは
人間がいないころから、
ずーっとそこに存在したものですよね。
──:
ええ。
松家:
よく「意味のない世界」という表現を
されていたんです、星野さん。

セスナで広大な原野を飛んでいるとき、
「眼下には
意味のない世界が広がっていて‥‥」
というような言い方で。
──:
意味のない?
松家:
はい、「意味のない世界」と言うと
「価値がない」みたいに
取られてしまうかもしれないですが、
星野さんの真意は、
養老さん的な
「脳化されてない世界」だったんですね。

それを「意味のない世界」って言ってた。
──:
人間が「意味づけ」をする前の世界。
松家:
そうですね。そして、そういう世界、
つまり、自分たちが手をつけていない自然に、
なぜか惹かれる。
都会で育ち、暮らす人であれば、あるほどに。

そういう感覚って、
日常的には忘れていますけれど、
たとえば、旅をして
目の前にバーッと大きな自然が広がれば、
誰しも覚える感覚だと思うんです。
──:
先日の『BRUTUS』の星野さん特集号で
松家さん、
星野さんのことを「シティボーイ」って
書いてらっしゃいましたが‥‥。
松家:
ちょっと、そう言ってみたかった(笑)。
星野さんは慶応ボーイだし、
いま直子さんがおっしゃったように
ニューヨークも好きだって、言ってましたしね。

そもそも星野さんは
高校生のときに、アメリカを放浪してるんです。
──:
あ、そうなんですか。
松家:
1968年のアメリカですから、
ベトナム戦争が泥沼化していた時代で、
ロック、フォーク、ジャズ、映画など、
世界でも例がないほど
おもしろいものが次々に生まれていた、
ひとつのピークでした。

そんなアメリカ文化全般への
憧れのまなざしがあったと思うんです。
──:
なんだか、ちょっと意外な気もします。
松家:
ええ、そうかもしれないですね。
でも、単に自然や野生動物や冒険だけを
追い求めていたわけじゃなく、
文化‥‥人間の営み全般に対する興味が、
もともと強い人だったと思うんです。
──:
それでは今、松家さんの心に残っている
ふだんの星野さんのこと、
ひとつふたつ、教えていただけますか?
松家:
そうですね‥‥そう、星野さんには
「究極のセリフ」がありまして。
──:
究極の?
松家:
それはね、「どうしてですか?」という。
──:
どういう意味ですか。
松家:
たとえば、写真を選びましょうというとき、
星野さんの選びたい写真と、
編集者や
デザイナーの選びたい写真が違う場合。

そういうときに、
決まって「どうしてですか?」って(笑)。
──:
やわらかな抗議(笑)。
松家:
ええ、星野さんの声も、トーンも、
耳障りこそやわらかいんですけど、
これが出ちゃうと、
もう「梃子でも動かない」んです。
──:
あ(笑)。
松家:
星野さんには、
撮影していたときの厳しい自然条件など、
それぞれ、思い入れがありますよね。
編集者やデザイナーは
そのような背景はとりあえず横において、
作品自体の魅力で判断しようとする。

写真選びについては、お互いに率直に
やりとりをしていましたから。
──:
編集者やデザイナーも
プロとして真剣に写真を選んだ結果、
ぶつかることもあった。
松家:
でも、星野さんの口から
「どうしてですか?」が出ちゃうと、
もう「勝負あった」。

「これはどうしても譲れない」と
星野さんが思っている写真を
「どうしても落とす」だけの理由なんて
こちらには何もないというか‥‥。
──:
それは、そうですね。
松家:
星野さんの思いほどには、ないわけで。
──:
では、穏やかな人柄のなかにも、
確たる「やりたいこと」というものが。
松家:
決して怒ったりはしないんだけど、
ある意味で、めちゃくちゃ頑固でした。

自分がこうと決めたことは、譲らない。
ですよね、直子さん?
直子:
‥‥はい(笑)。
──:
話は変わりますが、
直子さん、アラスカで暮らしているとき、
星野さんとサーモンを獲りに
行ったりすることも、あったそうですね。
直子:
ええ、知人にいい場所を教えてもらって、
四輪駆動車で7時間くらい‥‥。
──:
7時間!
直子:
寝ずに運転するような感じで行きました。

当時は、家族持ちは30匹まで、
独身の人は15匹まで‥‥だったかな。
──:
獲っていい数が決まってるんですね。
直子:
ピークの時期に行くと、
網を入れたら2匹とか入ることもあって、
数時間もあれば
リミットいっぱいに獲れちゃうんです。

で、獲れてからも大変で、
内蔵を出して、持って帰れるようにして、
また7時間かけて運転して‥‥。
──:
サーモン30匹というのは、
食べるとなると、どういう量なんですか。
直子:
そうですね、けっこう量はありますけど、
でも食べちゃいます、1年で。

お客さんが来たら出しますし、
自分たちでも、せっせと食べるので。
日本へ帰国するときに、
冷凍したまま
一匹まるまる持ち帰ったこともありました。
──:
星野さん、お料理はされたんですか?
直子:
好きで、よくやっていました。

凝った料理とかではなかったですけど、
カレーをつくったり、
スパゲッティのミートソースだったり。
松家:
ぼくが、最初にフェアバンクスの家に
うかがったときは、星野さんが
サーモンの親子丼を出してくれたんです。

キングサーモンの輪切りのステーキに、
イクラがたっぷり載っていて。
豪快で、めちゃくちゃおいしかった。
──:
お酒は‥‥。
直子:
飲めなかったんです、ぜんぜん。
──:
では、晩酌なんかも、することもなく。
直子:
はい。コーヒーばかり飲んでました。
松家:
フィールドへ出ているときに、
パイプをふかすことが、ときどき。
直子:
そうなんですってね。
私は、その場面を見たことがなくて。
松家:
あ、そうですか。
直子:
結婚するときに、やめたみたいです。
松家:
デナリ国立公園の小屋のテラスにいたとき、
夕方、あまいにおいがしてきたんです。

見ると、星野さんがパイプを手にしていて
「あれ、吸うんですか?」って聞いたら、
「家では吸いたくならないんだけど、
こういうところに来ると、
なぜだか吸いたくなるんですよね」って。
直子:
そうなのですね。
松家:
はい。でも、結婚と同時にやめたんですね。
直子:
いずれ子どももできるだろうし、
長生きしなくっちゃって言ってたから‥‥。
松家:
そう言えば、直子さんと
お付き合いがはじまるっていうころに、
「もうすこし
シェイプアップしなきゃ」
とアラスカの友人に言っていたとか(笑)。
直子:
そんな、太ってるだとか、
ぜんぜん思いませんでしたけど(笑)。
──:
お酒を飲まないってことは、
あまいものが、お好きだったんですか?
直子:
好きでしたね‥‥とっても。
アイスクリームもチョコレートも和菓子も。

とくにアイスクリームは、
夫の母が大好きだったということもあって。
その影響が、たぶん。
──:
ざっくりニットと
耳あて付きのニット帽の印象もあいまって、
アイス好きの星野さんって
ちょっと、かわいらしい感じが(笑)。
松家:
あとは、揚げ物ですよね。
日本に帰ったら、まず「トンカツ」だし。
直子:
はい、大好きでした。
──:
日本のトンカツ、おいしいですもんね。
直子:
だから帰ってくる日には、いつも‥‥。

あの、私たちに子どもができると
フィールドにはついていけなくなったので
撮影のときには、
家で留守番をするようになったんです。
──:
はい。
直子:
だから、撮影から帰ってくる日には、
私たち、
かならずトンカツをつくって‥‥。

まだかなぁって、待っていたんです。

<おわります>

( 2016-9-9金曜日 )

オリジナル・プリントも 販売します! 2016年9月8日(木)- 9月19日(月・祝)HOBONICHIのTOBICHI② 星野道夫さんの傑作、100点を一挙に展示!作品によっては購入も可能です!

TOBICHI2の2階に
テーブル大の巨大ライトボックスを設置し、
今回のために選び抜いた
星野道夫さんの「35mmフィルム」を、
100枚、並べます。 
ご来場のみなさまには、ルーペを使って、
作品と1対1で向き合うように、
ご鑑賞いただきます。
また、そのうち9点の作品は
プリント・額装の上、ご購入いただけます。
さらに、TOBICHI2の1階には
カレンダーや一筆箋などのグッズの他、
現在、入手できる星野さんの著作を
できるかぎり取り揃えます。
没後20年の大回顧展『星野道夫の旅』とは
がらりと雰囲気を変えた内容です。
販売するオリジナル・プリントも、
「旅」展とは、別のもの。
この特別な空間に、ぜひ足を運びください。

「星野道夫の100枚」展で
購入できるオリジナル・プリント

  • 1, グリズリーの親子 

  • 2, 北極海沿岸に、アザラシを求めて
    さまようホッキョクグマ

  • 3, ホッキョクグマ 

  • 4, 雪解けのツンドラをさまようカリブー

  • 5, 秋のツンドラに佇むカリブー

  • 6, 秋色に染まるツンドラに、
    水を飲みながら憩うムースの親子

  • 7, 山岳地帯に生きるドールシープの親子

  • 8, クジラの骨の遺跡と
    ベーリング海に浮かぶ半月
    (ロシア、チュコト半島)

  • 9, 蘚類(せんるい)に
    覆われたレインフォレスト

価格
54,000円(税込・配送手数料別)
サイズ
六つ切り
限定数
なし
お届け
最終日(9月19日)より2か月以内

作品自体のサイズ:
縦162mm × 横244mm(1~7)
縦193mm ✕ 横241mm(8,9)

額装をしたサイズ:
縦358mm × 横434mm(すべて共通)

※「キャビネ、大四つ切、半切、全紙、全倍」など
「六つ切り」以外のサイズをご希望の方は
会場のスタッフまでお問い合わせください

会期
9月8日(木)~ 9月19日(月・祝)
会場
TOBICHI2
住所
東京都港区 南青山4丁目28−26
時間
11時~19時