・ぼくは、子どものときに、小児喘息でした。
子どもというのは、おもしろいもので、
冬なんて、寒い外で遊んでて咳が止まらなくなると、
そのままじっとして治まるのを待って、
また駆け出したりしていました。
そういう意味では、じぶんより、
家族に心配かけたように思います。
大人になってから、また出たときには、
とにかく治りたいという気持ちが強かったです。
なんなんだ、治りたい治してくれと思ってました。
そのころに読んだのが、今年に亡くなった
多田富雄さんの『免疫の意味論』でした。
免疫というのは、自己を脅かす他者(異物)と戦い、
それを排除するようなシステムなんですね。
アレルギーというのは、その機能の過剰なわけです。
戦うべきでないものまで総攻撃しちゃって、
荒れた戦場を拡大してしまうというようなこと。
喘息も、そういうものだと知ったわけです。
つまり免疫って、
「自己」とはなにか、敵とはなにか、なんです。
それを知ったから喘息が治ったというわけではないけど、
なんだか薬が身体にしみこむように、
この本を読んだっけなぁと思い出しました。
いや、なにが書きたかったのかというと、
ん? なんだっけ、録画しておいた
多田富雄さんのドキュメンタリーを観て、
あれこれ、じーんとしたというようなことです。
・多田富雄さんの最後のメッセージは、
「寛容の世界」というものでした。
免疫にも、「免疫寛容」というのがあるんですね。
その考え方を、人間たちの社会の行く末に、
希望として見ていたんですね、多田さんは。
うん。「寛容」かぁ、いいなぁ。
「寛容」のなかに、とても多くのことが入ってる。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
こりゃ、本腰を入れてつきあってもらえそうな金曜だ。
子どもというのは、おもしろいもので、
冬なんて、寒い外で遊んでて咳が止まらなくなると、
そのままじっとして治まるのを待って、
また駆け出したりしていました。
そういう意味では、じぶんより、
家族に心配かけたように思います。
大人になってから、また出たときには、
とにかく治りたいという気持ちが強かったです。
なんなんだ、治りたい治してくれと思ってました。
そのころに読んだのが、今年に亡くなった
多田富雄さんの『免疫の意味論』でした。
免疫というのは、自己を脅かす他者(異物)と戦い、
それを排除するようなシステムなんですね。
アレルギーというのは、その機能の過剰なわけです。
戦うべきでないものまで総攻撃しちゃって、
荒れた戦場を拡大してしまうというようなこと。
喘息も、そういうものだと知ったわけです。
つまり免疫って、
「自己」とはなにか、敵とはなにか、なんです。
それを知ったから喘息が治ったというわけではないけど、
なんだか薬が身体にしみこむように、
この本を読んだっけなぁと思い出しました。
いや、なにが書きたかったのかというと、
ん? なんだっけ、録画しておいた
多田富雄さんのドキュメンタリーを観て、
あれこれ、じーんとしたというようなことです。
・多田富雄さんの最後のメッセージは、
「寛容の世界」というものでした。
免疫にも、「免疫寛容」というのがあるんですね。
その考え方を、人間たちの社会の行く末に、
希望として見ていたんですね、多田さんは。
うん。「寛容」かぁ、いいなぁ。
「寛容」のなかに、とても多くのことが入ってる。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
こりゃ、本腰を入れてつきあってもらえそうな金曜だ。










