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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-04-25

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・やったことのないことをやったら、うまくいかない。
 まぁ、だいたいは失敗することになる。
 しかも、入門者、初心者のころには、
 ある程度わかってからでは考えられないような
 「誤解」や「思い込み」をたっぷり持っているから、
 のちにそれがわかると、さらに恥ずかしい気持ちになる。
 しかし失敗するにちがいない「やったことのないこと」を、
 ぼくは、なけなしの勇気を出してやろうとすることがある。

 たとえば、かつて釣りをはじめたばかりのとき、
 そのなにもわかっちゃいない時期にはじめた釣りのことを、
 文章に書いて残しておこうと考えて、
 『紙のプロレス』という雑誌にお願いして連載をもらった。
 これはやがて『誤釣生活』という本にもなったが、
 いやぁ、みごとに恥ずかしい妄想に満ちた本になった。
 おそらく、純初心者のころに考えたようなことは、
 いずれ慣れてきたときには、忘れてしまっているのだ。
 そんなおバカなことは考えたことがない、
 というような記憶の改ざんが行われるものなのである。
 でもね、ぼくの場合には『誤釣生活』という本になって、
 さまざまな誤解や思い込みが文字になって残っているから、
 どんなに恥ずかしくても、逃げることはできない。

 もうひとつたとえば、『鶴瓶の家族に乾杯』という
 番組のゲストで出演することも、勇気の必要なことだ。
 知らない町や村に出かけていって、
 いままで会ったことのない人に声をかけ、
 あれこれと話を聞いたりするというのが番組の構造だ。
 だれにでも知られている有名人ならなんとかなるのだが、
 ふだん「お茶の間」になじみのない「イトイシゲサト」
 なんておじさんが、縁もない地方に出かけていっても、
 「知らない人」に話しかけられているのと同じだ。
 話しかけて「ところで、あんたはだれ?」とかなったら、
 なかなかそのあとの展開がややこしいことにもなる。
 そういう事態も覚悟して、あの番組には3回出演した。
 これも、じぶんの「勇気のおためし場所」だったのだ。
 「恥もかけないようじゃ、文章も書けない」というわけ。
 自信がなくて、いやだと逃げてしまいたいようなことを、
 ぼくは、何十年に一度くらいはあえてやることにしている。
 もしや、そのうちのひとつが、今回の俳句かもしれない。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
俳句は、本職の短文の近くにあるので、ますます恥ずかしい。


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