【読み方】

東行 = とうぎょう
奇兵隊 = きへいたい
高杉晋作 = たかすぎしんさく



【高杉晋作の生涯】

1839年8月20日、萩生まれ。
(ちなみに、長州藩・桂小五郎は1833年生まれ)
名は春風、字は暢夫、号は東行。
藩校の明倫館で学問、剣術を学ぶ。
また、吉田松陰の
松下村塾にも入門し、
蛤御門の変で同士と差し違えた
久坂玄瑞と松下村塾の
双璧であった。
後、江戸の昌平坂学問所で学ぶ。
一度帰国したのち、
藩の軍艦に乗り、江戸へ。
一説には船酔いが激しく、
品川で下船、
その後すぐに登楼したとか。

1862年に、藩命で、上海へ渡航。
清の植民地化の現状などを
つぶさに見聞。
書籍、拳銃などを購入。

帰国後、尊皇攘夷運動に加わり、
伊藤博文、
井上馨などを巻き込んで
品川のイギリス公使館を
焼き討ちし、
さらに、処刑された
吉田松陰の遺骸を掘り出して、
世田谷に改葬。

また、将軍家茂の京都での
賀茂御幸随行の際に、
将軍に向かって、ヤジを飛ばす。

その後、帰国し、奇兵隊を組織。
818の政変時、
長州が京都から追放された際は、
京に攻め上ろうとする
急進派を説得するが、
容れられず、京都に潜伏、
脱藩する。
京都に潜伏中に
桂小五郎に説得されて帰国するが、
脱藩の罪で投獄される。

イギリス、フランス、
アメリカ、オランダによる、
下関砲撃事件に際しては、
罪を許され、
和議交渉にのぞむ。

その後、藩で保守派が台頭するが、
奇兵隊とともに挙兵、
クーデターを成功させ、
藩論を統一。
幕府に徹底抗戦。
第二次長州征伐の際は
海軍総督として、
小倉方面の戦闘を指揮。
(坂本龍馬も参戦)
しかし、直後に結核が悪化し、
明治維新を見ることなく死去。


【辞世の句】

おもしろきこともなき世を
おもしろく


【都々逸】

三千世界の烏を殺し、
主と朝寝がしてみたい

※木戸孝允の作という説もある。


【顕彰碑】

顕彰碑に曰く、

「動けば雷電の如く発すれば
 風雨の如し、
 衆目駭然、敢て正視する者なし。
 これ我が東行高杉君に非ずや」

とあるが、
これは、
幕末に高杉の元で活動をしていた
伊藤博文が書いた。


【読み物】

司馬遼太郎『世に棲む日日』
吉田松陰、高杉晋作を中心に、
幕末の長州藩の動乱を書く。
高杉晋作が、
快刀乱麻の活躍を見せる。


【歴代高杉晋作】

ドラマ『竜馬におまかせ!』で、
寺脇康文、
ドラマ『奇兵隊』で、松平健、
ドラマ『花神』で、中村雅俊、
映画『幕末太陽傳』で、
石原裕次郎。

【スーパー豆知識】

ちなみに、
ほぼ日男子部が語り合った、
『新選組!』では、
「よっ、征夷大将軍!」
とヤジを飛ばした、
「キツネ目の男」として
登場するが、声のみである。

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イラスト:小松紘子
問題文中のイラスト:トレース・ローズ
協力:大沢和宏
(C)Hobo Nikkan Itoi Shinbun