KAGUCHI
カナだから、の手紙

<ヒナコ復活!!!の巻>

★佐々木さん

ついについに、NHK名古屋のお仕事終え
ヒナコ帰って参りました。
お仕事モードにはいってしまうと、
他のことは何も手につかなくなってしまう性格なので
メールお休みしていてごめんなさい。

この1カ月、隅田川の水上バスに乗ったり、
谷川岳に行ったり、群馬県の前橋、そして横浜、名古屋、
いろ〜んなとこロケしてたんですよ。

共演は、佐々木さんもお好きだという小林薫さん
まだ朝ドラの棟梁! のイメージが強い方も
いるかもしれないけど、今回は、奥さんのいるお家と
私の演じるフミさんとの二重生活を送る
渋くもかわいい男の人の役なのです。

(私は「甘辛しゃん」の時もフミさんだったので、
時々気持ちが
おかぁちゃんになりそうで困った、困った。 あはは。)

現場の薫さんは、
よくアカペラでムード歌謡を歌ってくれたり
(ダレも頼んでないけど、でもウマイ!)
「健康のためにポリフェノールとらないとね」とか言って
チョコレートくれたり、とても楽しく優しいお方です。

そしてお芝居に関しては、モチロンきびしい。
解せないところは、とことん追求していく。
この時の薫さんは、かっこいいですよー。

これは、来年2月放送予定。
タイトルは「デュアルライフ」。
ぜひぜひ見てくださいね。
大どんでん返しがあるのでお楽しみに!

台本の表紙
いわゆる台本
台本の中身
どんでん返しの秘密が
書かれているページ。
まっ、雰囲気だけでも

話は変わって・・・・・・・

このあいだ佐々木さんからのメールに
「20歳の頃、どのように過ごしていましたか?」という
ご質問がありましたよね。

はいはい。それでは。
20歳の誕生日は、赤坂TBSのスタジオで迎えてました。
その頃ポーラテレビ小説というのがあって、
私はそこで女優として初めての
「しごと」をしていたのでした。

当時、私は、女子美の造形学部の2年生で
女子寮からやっと
お風呂付きのアパートに引っ越したばかり。
当時7万円くらいのお家賃だったと思います。

毎日、毎日、地下鉄に乗って、
一ツ木通りをテクテク歩き
TBSに通う日々でした。
赤坂見附の駅の近くにある
「なかよし」っていうラーメン屋さんに寄ることが、
ものすごく楽しみだったなぁ。(かわいい)

気は強いけど体力のない私は、
(まっ、今でもそうだけど)
ハードスケジュールの中、3回も倒れ
みんなを、ハラハラさせたような気がします。

そんな弱い駆け出しの女優のくせに、
言うことだけはちゃんと言ってて、脚本家の先生に
「このヒロイン、もっと悪くなりませんか?」
と希望を出し、
私の役の旅館のおかみさんが、
急にお客さんと不倫の関係に
なってしまったことなんかもありました。

その頃は、とにかく【せりふ】を頭に詰め込むので
せいいっぱい。
自分としての思考が、ほとんどストップ状態。
まだ、自分の中に女優モードの切り替えスイッチの
ない時代なのでヒロインと一緒に老けていった私は、
終わった頃40歳になっていて
20歳の気分に戻るのがすごく大変だった。

20才のわたし。
20歳の頃のわたし。
顔がパンパンですの。
つけまつ毛は付けてない

そうだ、今思い出したけどその時共演していた
加賀まりこさんから【つけまつ毛】と【のり】を
セットでいただいたんです。
「カナコ、大人の役になったら
【つけまつ毛】付けるのよ」って。
なんだか女優の秘密を知ったような気がして、
すっごく嬉しかった。
あ〜、そんな時代だったです。

きゃぁ〜、気がついたら
どんどん長くなっちゃった。
さてさて、あさってから今度は、
「竹中直人の会」の
お稽古が始まります。
台本は、まだない。
どないしょ〜!

佐々木さんは、どんな日々お過ごしでした?

Hinako Kaguchi

----------------------------------------------

ヒナコさま

おっつかれさまでーす、なつかしのヒナコさま。
メールチェックで、
まず飛び込んできた「復活」という文字。
ああ、これはヒナコさんにちがいないと、
心臓がカチッと音をたてました。
そしたら、やっぱり、そこには一仕事終えて、
心が鮮やかに紅葉(高揚)した
元気なヒナコさんを発見! なーんか、とっても嬉しい。

それにしても。
お仕事モードに入ると、もうそれしかできない。
女優ってそういう純粋さが要求される
お仕事なんでしょうけれど、
そういう生き方がとてもうらやましい。
ふつうは、なんやかやと並行してあって、
あれもこれもやりながら雑然と
毎日が過ぎていってしまいます。

そうですか。
この間、東京はもちろん、谷川岳、群馬、横浜、名古屋、
いろいろなところを駆けめぐっておられたのですね。
来年2月の「デュアルライフ」、とても楽しみです。
大阪の母にも知らせなくっちゃ。
母は、「甘辛しゃん」のフミさんファンでしたから。
それにしても、
もう来年の話をする季節になったのですねえ。
うーん、かなり、あせります。

それから。
お約束どおり、
20歳のころのお話をありがとうございます。
ドラマを見ているように、
その頃のヒナコさんの日々を映像にしながら
読ませていただきました。
「このヒロイン、もっと悪くなりませんか」は、
演じてみてわかる現場の発言だなあと、スリリングでした。
脚本家の方はびっくりされたんじゃないですか。
でも、面白いなと。
女子美の学生が、女優を目指し始めたきっかけなども
聞いてみたいなと思いました。

さて。
ヒナコさんがお仕事モードに入られてから、すぐ、
ボローニャ・オペラの引っ越し公演が始まりました。
それで、私は、とにかくオペラオペラの1カ月。
初日には、出番のない歌手たちが見に来ていて
客席も華やかでした。
私の1列後ろの席に、なんとあのカレラスが!!!
びっくりしました。思いっきりじろじろ見てしまいました。
その翌日が、カレラスとミッレッラ・フレーニの
「フェドーラ」。
これが素晴らしくって、二人が歌い出すと、
その周囲がぱっと輝いて、
舞台上のすべてが消えてしまいます。
あとから思い出しても、
二人の姿しか思い出せないんですよね。
そういうのが“スター”なんだなとつくづく感じました。
ちなみにフレーニはすでに63歳です。

ところが。
つい先日、東大・旧立花ゼミのT君と、武道館で
すっかり「ヴァン・ヘイレン」してきました。
T君が徹夜で並んでくれたおかげで、
前から5番目の真ん中、
エディの真っ正面というラッキーな席。
エディは、私たちの年代(ヒミツですが)には、
ギターの神様のような存在。
その頃からはや、ん年。
エディが少し大人っぽくなって、
−−そうあの頃はギター小僧って感じだったんですが−−
すっごくかっこよくなっていて、目が離せませんでした。
とにかくギターひいてさえいればそれでいいという感じで、
天才の無欲さというか、
この人、性格よさそうなんですよね。
で、いまは、
心身ともに
ハードロック・モードになってしまっています。
心身とも、というところが困るんですよね。
急に古ーい皮ジャンを引っぱり出して着てみたり。
ハハハ、相当バカです。
ということで、早くオペラ・モードに戻りたい。

久しぶりだったので、話したいことがいっぱいあって、
長いメールになってしまって恐縮です。
またすぐ、舞台のお稽古が始まるとのこと。
お忙しい合間をぬって、
メールをありがとうございました。
落ちつかれたら、また、お会いしたいわあ−。

Chikako Sasaki

1998-11-05-THU

BACK
戻る