亡命ロシア人から借りた築400年のアパルトマンで壁の電話回線が火を噴き、中から盗聴器が出てきた件。
ぼくの7日間戦争、勃発。
── 真冬のパリの極寒の深夜に
シャワールームの「水漏れ」に見舞われ、
ひとり、
孤独な戦いを強いられていたトビーさん。
TOBI 孤独で絶望的な戦いを、ね。
── 水道工事の人は、なんで来ないんですか。
TOBI (ため息まじりに)パリって街はね‥‥。
── ええ。
TOBI 200年以上も前の管がまだ使われていたり、
排水管が詰まりやすいんです。

洗濯機やバスタブから
大量の水が流れることを想定して
つくられていないので、細いんですよね。
── なるほど。
TOBI だから、あちこちで、しょっちゅう、
水のトラブルが発生しているんです。
── そうなんですか。
TOBI そのため
水道工事の人が「引っ張りダコ」なんです。
いつ電話しても予約がいっぱいで
やっと来たと思ったら
殿様商売なもんでふんぞり返っている始末。
── えー。
TOBI つまりパリ生活では、ある意味においては、
誰より「配管工事の男」が
ヒエラルキーの頂点に君臨しているんです。
── 旅行ガイドブックに載っていないパリの顔。
はじめて知りました。
TOBI 機嫌を損ねて手を抜かれたり、
何もしないで帰られた話は、よく聞きます。

だから、お菓子やビールを出したり、
「そのジーパン、カッコいい!」
とか、ご機嫌を取ったりするほどなんです。
── いろいろ、たいへんなんですね‥‥。
TOBI ぼくの家には、発生から3日目、
つまり1月9日の午後になってようやく
水道工事の男が来たんですけど、
案の定ムスッとして、機嫌が宜しくない。
── ははあ。
TOBI こっちはすでに丸2日以上、
各種生活排水とか
ナスのヘタ、コーヒー豆、パン屑などの生ゴミと
24時間体制で格闘していたんですが、
最後の力を振り絞り
必死で、お世辞の言葉を探しました。

しかしその男は、ガリガリに痩せこけて
頭頂部はバーコード調、
息は酒くさいわメガネは曲がってるわ
タックが2本も入った
ケミカル・ジーンズは履いてるわで‥‥。
── どこか一箇所でも褒めたら
「バカにしてんのか!」と怒られそう。
TOBI しかたがないので
「これは日本のガトーでマンジュウと言います」
と、もみじ饅頭を差し出してみたんですが
「甘いもの嫌い」と、素っ気なく断られました。
── トビーの気に入られ大作戦、撃沈。
TOBI そこで、
とにかく今の窮状を訴える作戦に
切り替えました。

するとその男は、
あからさまに面倒くさそうな顔をして
洗面台の下のS字の管を外し、
コンコンと数回、軽く叩いただけで
「よし直った」
と言って、立ち上がったんです。
── えええ。
TOBI もう、早く家に帰りたいだけなんです。

そんなところじゃなくて
建物全体の排水管が詰まってるはずだと
必死にアピールしたんですが
「いいや、ちょっと押してみたら
 詰まってたゴミが流れていったから
 絶対に直ってるはずだ」
と「150ユーロ」の請求書を置いて
帰ってしまいました。
── 150ユーロといったら
日本円にして約2万円‥‥で、水漏れは?
TOBI 直ってるわけないんですよ。
適当にチョイチョイ見ただけですから。

しばらくしたら、
あの、若くてハト胸のボリビア女性が
早めの泡風呂に浸かったらしく、
例のお花畑のような香りの泡水が‥‥。
── ブクブクと。
TOBI いや、そのときにはもう、
「シャシャシャシャーアアアアッ!」
という、
容赦のない音に変わっていました。
── 毒ヘビの威嚇みたい‥‥。

ともあれ、詰まりのレベルが
次のステージへ進んだ感じがします。
TOBI そう、管の詰まりが
一滴たりとも排水の通過を許さないらしく、
排水口から、
汚水がものすごい勢いで噴射され
隣のリビングの床まで泡だらけに‥‥。
── 状況は、さらに絶望的に。
TOBI そこでぼくは、
「ぼくの家の排水口から、
 あなたたちの家の汚水が溢れてます。
 だから水を使わないで!」
という貼り紙を貼ってみたんですが、
とくに効果はありませんでした。
── 貼り紙作戦も、ダメと。
TOBI で、そのような状態ではあったんですが、
そのとき、5日後の1月14日に、
少し大きめのお仕事が入っていたんです。

それは、Toog(トゥーグ)という
フランス人ミュージシャンが主宰していた、
「死と再生」をテーマにした
エレクトロのクラブイベントなんですけど、
そのイベントのラストのところで
ゾンビになって踊ってくれ、というもので。
── ゾンビになって? レ・ロマネスクとして?
TOBI そう。
── いろんな仕事があるもんですね‥‥。
TOBI Toogさんが、ぼくたちのライブを見て
「ピーン!」と来たらしいんです。
── 彼らにならゾンビを任せられる‥‥と?
でも、ゾンビの踊り得意なんですか。
TOBI いえ、やったこともありません。

いいですねーと適当に笑いながら答えたら
翌日にはチラシやホームページに、
「ゾンビダンサー:レ・ロマネスク」と
クレジットされてしまいました。
── まるで「ゾンビ専門」かのような。
TOBI そう、そんなふうに書いてあったら
観るほうも
「プロのゾンビダンサーかよ!」と
思うじゃないですか。

だから、家の中の悲惨すぎる状態を
ひとまずはさておいて
ゾンビの踊りの振り付けを
考えなければならない時間もあったんです。
── フロアの期待に応えるためにもね。

「仕事」というのは
ときに、つらくて過酷なものです。
TOBI 汚水汲み出しの合間にアイディアを練り、
結果として
マイケル・ジャクソンの『スリラー』に
オマージュを捧げつつ、
中島みゆきの『わかれうた』のように
道に倒れて誰かの名を呼び続けるような‥‥
そんな踊りが完成しました。
── ははあ。
TOBI さらに、ゾンビの衣装も自前だったので、
パリの北の方にある
激安のお店で古着を仕入れてきて
血糊を塗ったり、
カッターでボロボロに切り刻んだり‥‥。
── 水道工事の人を探しつつ、
朝晩には、溢れ出る汚水を汲み出しつつ、
ゾンビダンスの準備をしつつ。
TOBI そんな、シャワーを浴びることさえできない
ヘドロのような生活を続けていると、
いろいろ、わかってくることがありました。
── ほう。
TOBI まず、毎朝、決まって「7時10分」に
モーニング・シャワーを浴びる人がいる。

その人はココナッツの香りのする
ボディーソープを愛用しているんですが、
きっかりその時間に
「ココナッツ臭のする泡を含んだお湯」を
溢れさせてくるんです。
── トビーさんちにね。
TOBI なので、水漏れの発生から数日後には
朝7時に目覚まし時計をかけ、
7時10分までには
バケツを持って排水口の前で待ち構え、
溢れてきたそばから、
手際よく
水を汲み出せるようになっていました。
── トビーさんの朝も
その人のシャワーとともにはじまる、と。
TOBI 排水は、それ以降「冷水」となります。

洗顔したり、歯を磨いたり、
野菜を洗ったりなど、
人というのは、
朝はお湯よりも冷たい水を多く使い、
逆に夜は
お風呂などお湯ばかり使うんですね。
── そんなことを身をもってたしかめた人って
なかなかいないでしょうね‥‥。
TOBI さらに、上の階の誰かが
水道の蛇口をひねる「キュッ!」という音に
身体全体が、
敏感に反応するようになったんです。
── え、その音を聞き取れるようになった?
TOBI そう、そしてその「キュッ!」のあとには、
かならず「シュッ!」という、
水が水道管を這い上がる音が続くんです。

さらに、それから10秒後に
排水口から
シャーシャーシャーと水が溢れてくる‥‥。
── 何かもう「異能の者」ですね。
TOBI キュッ! シュッ! 10秒後にやつが来る!

これは、水漏れが起こる「サイン」ですから、
絶対に聞き漏らさなくなりました。
── それを数日で身につけたというわけですよね。
人間ってすごいです。
TOBI そして「浄水は10秒後に必ず下水となる」
という、
絶対的な人間社会の法則を学んだんです。
── その法則に気付いた人が
有史以来、いったい何人いたでしょうか。
TOBI しかし、さすがに5日目6日目になると
心身ともに疲れ切っており
昼夜を問わず、
何度も何度も階段の踊り場から上階へ向けて
「水を使うな!」
「今おまえの使った水が溢れている!」
と大声で叫んだりするように‥‥。
── トビーさん、そんなにも追い詰められて‥‥。
TOBI 誰も聞き入れてはくれませんでした。

きっと気のふれた可哀想な人として
スルーされていたんだと思います。
── せつない‥‥。
TOBI とくに1月11日の土曜の夜がひどくて
深夜の3時すぎまで
洗濯機の水、台所の水、お風呂の水などが
かわりんばんこにやってきて、
朝方の5時くらいに
ようやく汲み出しを終えたんです。
── 2時間後には「7時10分のシャワー」が‥‥。
TOBI 「エへ、エへへへへ、
 これで、今夜もようやく解放された」
みたいに、涙と奇妙な薄ら笑いとを
ごちゃ混ぜにしながら
やっとベッドに倒れ込んだと思ったら
お花畑のような香りのする、
あの、ボリビア女の泡風呂の水が
ベッドのすぐ下にまで‥‥。
── なんと!
TOBI そのとき、
自分のなかの何かがブチッとキレるのが
わかりました。

ぼくは部屋から飛び出すや、
「水を使うな! 水を使うな! 水を使うな!」
と叫びながら
狂人のように8階へ向かって階段を駆け上がると
途中の6階の一室から‥‥。
── ‥‥から?
TOBI そう‥‥6階の一室から、
でっぷりと肥えてみごとに禿げ上がり、
頬をほんのりピンク色に染めたオッサンが
バスローブ一枚の姿で出てきたんです。
── まさか‥‥。
TOBI そう、毎晩、お花畑のような香りのする
泡風呂に入ってたのは、
その、バスローブを巻いた
肥えて禿げたオッサンだったんです。

ぼくは毎晩、この人の「縮れ毛」を
人差し指と親指でつまんで
トイレに捨てていたのかと思うと‥‥。
── ‥‥‥‥ヒィッ!
TOBI ほとんど、正気を失いかけました。
<つづきます>
2014-09-18-THU

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©hobo nikkan itoi shinbun