SAITO
もってけドロボー!
斉藤由多加の「頭のなか」。

第3回 北京原人にした意味と理由


僕たちの北京原人

僕たち日本人にとって「北京原人」という言葉は
B級怪獣映画を想起させるところがあります。
裸にすこし毛が生えていて
「うー」とか「あー」と唸っている原始人のイメージ。
演じるのは名の知らぬ俳優さんで、
巨大な裸体がミニチュアセットに登場すると
妙にリアルで怖かった記憶がある。
そんな経緯からか北京原人は
人類進化の一派を担う学名であるにもかかわらず、
ジャワ原人やネアンデルタール人という名前と比べると、
みょうに淋しげでかつコミカルなイメージがあるのです。
半分人間のようで、でもそうでない、みたいな。
日本の友人に
「シーマンの続編は北京原人を題材にすることになった」
というと、プッと吹き出すのですが、
海外の友人は「ふーん」って感じ。
これは世代にもよるかもしれませんね。
少なくとも僕たち東宝怪獣映画世代には、
まちがえなく植えつけられたイメージだと思います。
あと、「ぺきんげんじん」という
へんに語呂がいいネーミングにも
その秘密はあるのかもしれませんが‥‥。

さて、なんで「北京原人」という
題材にしたかといいますと、
いくつかの理由がありました。
一つ目は、人間をテーマにしてみたいと思ったこと。
二つ目は、原始的な生活をしている設定が必要だったこと。
三つ目は、存在しない言葉を話す設定にしたかったこと。

まず一番目の理由についてお話しますと、
シーマンは人面魚の育成を通じて
人間が説教されるという逆転設定でしたが、
今回はその逆をやってみたかった。
つまり自分の縮図を画面内に再現してみたかったわけです。
おろおろする自分たちの姿を
上から神の視点で見てみたい。
いってみれば「人類が赤ちゃんだったころ」、
ということです。
北京原人は、正式には人間の祖先ではないそうですが‥‥。

二番目の理由は簡単で、
「火」とか「農作」とか「文明」とか、「ことば」とか、
いろいろなことを教えられる環境にしたかったからです。
そのためには、メインキャラクターは原始的な生活を、
しかもできれば裸で、している設定がいい。
育てがいがありますから。
裸というのは、視覚的に進化を表現できる、
という意味です。

三番目は、実はいちばん重要な要素だったのですが、
まったく言葉の通じない世界へユーザーを
送り込みたかった。
ならば外国語でもいいのでは? となりますけれど、
実在の言語だと堪能な人、そうでない人がいますから
同じスタートラインにはならない。
一つ間違えると言語教材になってしまうが
それではつまらない。
言語学習ソフトと比べてゲームのいいところは、
インチキがあり、というところです。
僕たちは「北京原人語」という誰も知り得ない言語体系を
捏造するところからはじめました。
既存のものとちがって話せる人が
世界に一人もいない言語ですから、
全員がおなじスタートです。
そしてなんといってもそのバカバカしさがいい。

こんなことを漠と考えていた私にとって
「北京原人」という響きは
じつにぴったりの題材だったというわけです、
このコミカルでさびしげな語感も含めて‥‥。

北京原人の骨は、実は現存しない

そんなこんなで、北京原人のことについて調べてみると、
おもしろい事実がいくつも見つかってきました。
まず、意外と知られていないことなのですが、
北京原人の骨は、いまどこにもありません。
残っているのは石膏のレプリカだけです。
これについては、
こちらを見ていただくのが早いのですが、
要は、1939年中国の周口店を最後に
歴史から忽然と姿を消しているのです。
ゲーム設定上、これは助かる。



▲今年9月のゲームショーでは、世界観の一部と
その題材が北京原人であることだけ発表しました。



前作の人面魚も、
誰がいつどうやってこの生物を発見したか、
の背景を詳細に設定しました。このあたりは
『ジャン=ポール・ガゼーの日記』(幻冬舎刊)
という本にくわしく記載してあるのですが
1933年にこの博士は消息を立っています。
この流れがちょうどうまい具合にあったわけで、
これも一つの要因です。

粗野で汗臭いオスの北京原人

「なんですか、それは?」
私の立てた北京原人育成の企画に対する
関係者の反応がこれでした。
「シーマンが次は北京原人になるということですか!?」
そうも聞かれました。
「いえいえ、シーマンは○×△※の
 『●△××※』のように時々現れては、
 ありがたくもインチキくさい会話をして去ってゆく、
 うさんくさい神さまのような存在です」
(●△××※部分は時期が来たらお話します)
と説明するわけです。
2003年くらいの話です。
そこから開発の準備にはいってゆくわけですれど、
まずはサンプルをということになります。
このサンプルというのは下手に作ると
あとで手痛いしっぺ返しを食らうことになります。
よしにつけ悪しきにつけ
後々の関係者内のベースイメージが
決定されてしてしまいますから。
なもんだから、彼がどんな立ち振る舞いをするのか、
性格は? どういった行為を行う設定なのか、
どの程度人間なのか、など、
まずはグラフィックのチームに
理解してもらわなければなりません。
なにせ存在しない生物でしかも言葉も話さない。
先入観によってはゴリラのように
表現されてしまう可能性もある‥‥。
なので一番最初の説明会議でひととおりの説明をしたあとに
最後にこう付け加えた記憶があります。
「けっして類人猿じゃない。原人だ。
 この原人は本能的で粗野で汗臭い
 オスのキャラとして描きたい。
 ちょうど女性の興味を惹きつけるようなキャラに」と。
そしたら「なんで、粗野で汗臭いオスの原人が、
女性を惹きつけるのか?」と聞かれましたので
こう例えました。
「すぐそこの麻布十番商店街に突然クマが現れたら、
 たくさんの野次馬が集まるだろう。
 そしてそのクマが凶暴であればあるほど、
 野次馬たちは恐怖感に
 ハラハラドキドキするにちがいない。
 だけど、それが北京原人だったら、
 動物とは見るところがちょっと違うと思う。
 もし僕が女性だったら、
 彼を一人の男性としても意識して
 みてしまうにちがいない‥‥。
 そして現代の男がもっていないような
 荒々しくて逞しい肉体に、
 うっかり魅せられ顔を赤らめてしまうかもしれない‥‥。
 そんなキャラにしたい。
 そんな粗野なオス原人を家に一匹、
 もって帰って自分の好きなように飼うのが
 このゲームなんです」と。

このようにして、今回の北京原人のプロジェクトは
スタートしたのでした。

(つづく)

斉藤由多加さんへの激励や感想などは、
メールの表題に「齋藤由多加さんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2006-11-30-THU

BACK
戻る