SAITO
もってけドロボー!
斉藤由多加の「頭のなか」。

目に見えないもの。


小学生用の問題です。

『現象』の反対語を答えなさい。

答えは「本質」だそうです。
(四谷大塚進学教室の中学受験問題集より)

私たちソフトウェア開発者というのは、
重さや形のまったくもたないアイデアの断片、
つまり目に見えないものと日々取り組んでいる人種です。
これがじつにやっかいな対象でして、
どうやっかいかといいますと、
実にあやふやで不安定なのです。
例えますと、それはちょうど「記憶」を
取引しているようなものといえるでしょう。
抽象的で概念的ですから、勘違いや誤解、
そして忘却によってすべておじゃん、
という恐怖と背中合わせです。
言った、言わない、というトラブルが発生するのも、
この状態特有の現象です。

そのあやふやなものをすこし安定的なものにするために、
私たちは形や重さを持たせます。
それはインクや紙など重さのある素材をつかって
記述するのです。
重さのあるものになったとたん、
そう簡単に消失することかありません。
「口約束」という曖昧さの代表格を紙に書いただけで
「契約書」となります。
内容は固定され、物質的にも安定したものとして
私たちの前に出現するのです。

重さやかたちをもつこと

この時、ひとつの変化がおきはじめます。
概念的だったものが目に見える形で出現することで、
それらが引力をもちはじめるのです。
かつては「あのときの」とか
「ああいった」といっていた曖昧なものが、
「これ」とか「ここ」というように
具体的に指摘できるようになるのです。
すると、人間はおのずと
それらに引っ張られるようになるのです。
この「引力」、使いようによっては
チームワークをする上でとても武器となりますが、
時として危険なものでもあるのです。

マニュアル作成の罠

ソフトウェア開発の仕事の一つとして重要なものに
「マニュアル作成」があります。
言い換えればマニュアルというのは
制作者でないと書けないものです。
時期的に一番多忙な完成直前時などに
この仕事をすることになりますから、
たいていは一番若いメンバーにたたき台を作らせて、
先輩スタッフたちがそれを回覧して
チェックと修正を繰り返すことになります。
考える必要がないぶん、先輩としてはラクなのです。

「はじめてこのパッケージを開いた人に
 伝えるべきことは網羅されているだろうか?」

できあがったマニュアル原稿をそういった目で
まじまじと眺めるわけですが、出来がどうも良くない。
インストールやセーブの方法など、
技術情報はすべて正しく書かれているのですが、
そしてまた誤字や脱字も何度も修正されているのですが、
それでもしっくりこない。
その原因を分析してみると
専門家ならではの盲点ということになります。
開発現場にいるスタッフは、
全員が内容に詳しいという環境で仕事をしています。
一般の人から見たらとても難解な部分であっても、
慣れ親しみすぎて見えなくなってしまっている、
という環境がここには出来上がっているのです。
そういう環境で書かれたマニュアルには、
実はとても大切なことが欠落しているのです。
それは「あたりまえのこと」、です。
たとえば「このゲームは何をするためのソフトか」
などの冒頭説明だったりします。

目に見えないもの

人間は目に見えるものに引っ張られる習性があります。
先のマニュアルでいえば、
手の空いている若手メンバーによってつくられた
最初の叩き台。ここに赤字をいれる先輩たちも
知らず知らずのうちにこの枠組みに囚われているのです。
誤字や脱字のように目に見えるものには
先輩スタッフたちも反応するのですが、
本来ここに書けていなければならない項目、
つまり目に見えないものにはチェックは入らないのです。
結果としてできあがってくるマニュアルは、
当然のごとく「叩き台に毛が生えたもの」になるわけです。
目に見える現象部分に気を取られて、
本質はなにもかわっていない。
開発スタッフでしかできないこと、
それは、誤字脱字の修正や構成ではなく、
本来書かれていなければならないことを発見する力、
つまり本質を見極める力です。

冒頭の問題は、小学生への国語問題としては
やや疑問がのこりますが
私たちのような大人に対しては
とっては深い意味を投げかけてくれたのでした。

斉藤由多加さんへの激励や感想などは、
メールの表題に「齋藤由多加さんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ろう。

2004-11-17-WED

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