SAITO
もってけドロボー!
斉藤由多加の「頭のなか」。

──夏休み特別篇──
中学生のための
ゲームクリエーター講座
 


第7回 時間


前回は、ゲームが起動していない間、
成長は進むべきか、という話題でおわりました。
今回は「時間」についておはなしします。
 

リアリティーと時間のジレンマ

生物のリアリティーを演出する上で、
「時間」という概念はとても重要です。
生物というのはえてして人間が寝ている時間帯に
大きく変化をとげるものですから、
「いきている」
という生命のリアリィーを演出したい場合、
時間はゲームを起動していない間も
進むべきかもしれません。

しかし、この手法をそそのまま使うと
エンターテイメントとしては
問題が発生することになります。
シーマンはマニュアルで「一日10分の世話」、
と定義づけをしていますが、
一日10分しかペットと接する時間がないとすると
「産卵」や「ふ化」「死亡」など、
いってみれば生命らしいイベントを
飼い主が見逃してしまう確率が大きいからです。
作る側がとても手をかける部分なだけに、
見られずに過ぎてしまうのは、
制作努力が報われないことを意味します。
ゲームは大別すると、
起動していない間は時間が止まったままのものと
時間が進行しているものの二つがあると
前回お話ししましたが、
こういう場合はどうしたらいいか?
いろいろな実験の末、
シーマンでは両方のいいところを合成した
独自の時間単位を作りました。

↑「シーマン」の概要仕様書より


それがコードネームで
シタール(Seaman Time Unit Language)とよばれる
考え方でした。
これはどういうことかというと、
産卵をする、などといったイベントは、
実際の実時間の進行をある程度無視して
(=シミュレーション管理から離れて)、
飼い主が画面を見ているタイミングで発生させる、
というものです。
この“ある程度”、というのがミソです。
ちょうど、新劇の切られ役が、
「わぁー」といいながら
スポットライトの真ん中まで走っていって、
たくさんの人の注目を確認してから
「やられたぁー」と死ぬのに似ています。
開発チームでは、これらに類するイベントは
「スポットライトイベント」と呼ばれていました。
たとえば3日間出張に行ってて、
帰ってきたら、死んでいるということにせずに、
3日目までは生きてるのです。
そしてユーザーがゲームを起動したことを確認してから、
目の前で死ぬわけです。
目の前で、ペットがその理由を明らかにしながら死ぬと、
飼い主には罪の意識というか
共犯意識が芽生えることになります。

プラットフォームがもつ時間感覚

時間という概念に私がとても敏感だった
もうひとつの理由に、
家庭用ゲーム機とパソコンの違いがあります。
もともとPC(Macintosh)用に
デザインがすすめられていたシーマンでは、
時間の感覚というものが、
ゲーム専用機とはことなるものでした。

  ゲーム機 パソコン
入力インター
フェイス
専用コントローラー キーボード&マウス
目的 ひとつのゲームOnly 同時に複数のソフト
画面との
向かい方
まっすぐに向かいあう ちょっと斜め (会社)
時間の密度 短期集中プレイ ゆっくり・ちまちま

家庭用ゲーム機というのは、
アーケードの文化を大きく受け継いでいます。
たとえば初代PlayStationには、
時計が内臓されていません。
ですから、ゲーム起動時以外で
なにかが成長するということは
物理的に不可能なことを意味します。
128KBのセーブメモリーも
面クリア形のゲームには十分ですが、
複雑なシミュレーションデータを保管するには
すくなすぎる‥‥。
これらハード仕様はおのずと、
「ハードがソフトを選別する」ことを意味します。
たとえばシムシティー。
これは、入力デバイスや時間進行が
PC&マウスを前提としてデザインされていますから、
どんなにローカライズをがんばったところで、
両手でコントローラーを持つ環境にはしっくりこない。
皆さんもご経験があるでしょう?
パソコンで面白かったゲームが
家庭用ゲーム機ではいまひとつだったり、
あるいは、アーケードで最高におもしろいゲームが
PCでぜんぜんしっくりこないということが‥‥。
これらはオリジナルのタイトルが持つ
時間感覚によるものだと私は思います。
マウスとコントローラーの違いは
ユーザーが期待する時間感覚に大きく影響するのです。

ユーザーの当事者意識

さて、もともとPC用に企画された
育成シミュレーションである「シーマン」を
ドリームキャストという
家庭用ゲーム機で馴染ませるためには、
単位時間内に飼い主の手を
もっともっと頻繁に動かさせる必要がありました。
育成環境に登場するヒーターや酸素供給器が旧式のもので
飼い主は毎回手動で世話をする必要があるものとしたのは
そのためです。
「シーマン」といったって
所詮ソフトウェアであるわけですから、
本来はすべて自動運転ができるわけです。
が、そうすることによって
ユーザーの手を煩わせたわけです。
ゲームというのは矛盾に溢れた分野で、
ユーザーがすべきことの多くは
実はソフトウェアで自動化できてしまうものなのです。
そのうちのどれだけをわざわざ
ユーザー自身の手によって行わさせるか、
それはユーザーの当事者意識をもたせる上での
鍵となります。

「シーマン」の時間の不可逆性

「シーマン」の時間感覚の中でもうひとつ、
もっとも特徴的なものは不可逆性です。
わかりやすくいうとシーマンは一度死んだら、
育成を途中からやり直せない、という仕様です。
これを実現するには育成の進行が
ユーザーの意思に関係なく
自動保存される仕組みが必要でした。
ユーザーの意志とは無関係に、
とある強制処理が行われてしまうというこの仕様は、
各ハードメーカーがソフト制作者に提唱している
ソフトウェアのガイドラインに抵触する
ぎりぎりのものでした。
ゲームソフトウェアで「いきている」という時間感覚を
どこまで演出できるか?
「シーマン」のゲーム制作はその点において
実にチャレンジフルなタイトルだったといえます。

斉藤由多加さんへの激励や感想などは、
メールの表題に「齋藤由多加さんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ろう。

2004-09-02-THU

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