SAITO
もってけドロボー!
斉藤由多加の「頭のなか」。

マック回帰への道 その3
さよならマッキントッシュ。




ハッピーマックがなくなった

マックへの移行がまだ途中であるが、
OSをv10.2へとバージョンアップした。
今回のバージョンアップはそれなりに大きいもので、
OSのディスクを買い直さなければならなかったが・・。
 
思い返せば、かつてのマックでは、
OSはタダ、みたいな風潮があった。
というのも、バージョンアップのたびアップルは
アップデートプログラムを雑誌に付属させていたから。
 
ま、OSの価格の話はともかくとして、
おどろいたのはマックが発売されてから今まで、
ずっと続いていたことが今回なくなったことだ。
それは、起動時にかならず表示されていた
「ハッピーマック」とよばれる
初代の縦型マックのアイコンが、なくなったことだ。
「ハッピーマック」は
マックの形が初代のものとは遥かに違ってきてからも、
伝統のように続いてきた。だから今回の変更は、
アップルの何らかの意思表示ととっていいと思う。
 
 
ハッピーマック
 
 
思うのだけど、今のマック(今後OS-Xのマックを
こう略すことにする)は、名前を除いては、
完全に異なるコンピューターである。
以前にこちらのコラム
でも書いたが、
新しいものは、古いものの姿を装って
日常に入り込んでくるものだ。
アップルは、いまそれをやっているのだろう、
「マック」というイメージを使って・・。
 
古いマックの幻影にすこし食傷気味だったことを
ここで書いてきた僕であるが、
勝手なもので18年間続いてきたハッピーマックが
姿を出さなくなると、それはそれでなんとなく感慨深く、
寂しい。
「さよなら」

古きよき過去を封印するマック

デジタル産業で一番難しいこと、
それはばっさりと過去を断ち切ることだ。
ユーザー数を誇っていればいるものほど
それはできにくいことは歴史が証明している。
このとき、「驕れるものは久しからずや」、
という状況が生まれる。
 
困難ではあるが、メーカーは勇気をもって
それを行わなければならない時期がくる。
うっかりそのタイミングを逸すると、
もっと大きなものを失う結果が待っている。
日本の国民的マシンであったPC98は
独自規格から脱するタイミングで影を薄め、
NiftyServeは「パソコン通信」からの
脱却のタイミングを逃さなかった。
技術革新は非情に今を否定する状況を生む。
次世代への改革にむけていまのアップルに有利な点が
たった一つあるとすれば、ユーザー数の少なさなのだろう。
Mac-0Sは着実に、しかも急速に、
「古き良き過去」を封印しつつある。
そして日進月歩のデジタル戦争の中において
クリエーターの悲しさが、実はそんなところにある。

ビートルズとゲームは違うのか

ちょっと前、ビートルズのOneというアルバムが
一位になった。
 
解散から40年以上を経て、
一位をとれることをうらやましく思った。
僕のいるゲームの世界はそうはいかない。
データはともかく、ゲームのように
作品がプログラムである場合、
時代とともに動作しなくなる運命にある。
 
つまりゲーム機の規格の進化とともに
ゲーム作品なんて消滅してしまう運命にあるわけだ。
主夫を営むジョンレノンが、もの心のついたショーンに
「お父さんって、あのビートルズのメンバーだったの?」
と聞かれたという逸話は有名だが、こんなこと、
本や音楽や映画の世界ではあっても、
ゲームでは、悲しいかなありそうもない。
売れないから絶版になっている、ではなくて、
再生すること自体が不可能なのだから・・。
事実ドリームキャスト版「シーマン」は、
ハードの製造中止とともに巷から姿を消した。
ビートルズのようにいつの日かリバイバルをするためには、
誰かにゼロからごっそりと移植してもらわなければならない。
デジタルソフトとはそういうものだ。
それがデジタルのはかなさである。



つづく


シーマンに関する情報は こちら(www.seaman.tv)まで。

2002-09-12-THU

BACK
戻る