SAITO
もってけドロボー!
斉藤由多加の「頭のなか」。

マック回帰への道 その2
ぼくがWindowsを使っていた4年半の間
いったい何がおきていたのだろう。



マックユーザーでなくなった時のこと

 
僕は、1987年から1998年までの11年間、
ずっとマックユーザーだった。
それまでマックを何台買ってきたことか、
いや何台他人に買わせてきたことか。
 
ところが、98年の春に、突然Windowsマシンへと切り替えた。
理由らしきものは、いま思い出すと、二つほどある。
一つは人生の大きな転機があったこと。
そしてもう一つは、マックがつまらなく思えてきたから。
 
前者について簡単にいうと、この転機に、思いきって三つ、
大きな愛用品を変えた。
マック以外のうち、ひとつは永年愛用したタバコの銘柄、
そしてもうひとつは、
かつて自分で創業した会社を去ったこと。
これらについては、また機会があれば、ということで、
マックの話をつづけましょう。
 
その当時、最新のマックのラップトップといえば
G3パワーブックである。
ちなみに僕はブラウン管のモニターが大嫌いで、
1988年に買ったMacintoshIIを最後に、
液晶のマックしか使ったことがない・・、
いや、20周年記念モデルという一体型の、
ちょっとかわったのがありました。
これが唯一の例外でしょうか。
すべて液晶マックということになります。
 
このG3PowerBookというのは、
それまでのアップルのノートモデルとはうってかわって、
大きく、分厚く、まるで枕のような形をしたものだった。
日々使うものは大きさとかデザインがとても重要である。
だからどうしてもこの新型G3PowerBookが
好きになれなかった。
 

 
悩みに悩んだ挙げ句、
「とはいえ、これまで人生の大半を
 マックが占めているようなものなのだから・・」
ということでなんとか自分を説得し、
とある土曜日に秋葉原に向かったのである。
どこの店だったかよく覚えていないけど、
マック売り場で値段をみていて、
ふと横のコーナーに目をやり、
そして愕然としたのを今でも覚えている。
そこには、VAIOと書かれたノートマシンが展示されていた。
バイオレットとシルバーのデザインと、
その驚異的な薄さに、ぶったまげた。
まさに「(帳面の)ノート」のようであった。
B5サイズと2cmに満たない薄さの中には、
およそ必要なものはすべてまとめられて、
ディスプレイの横から飛び出すペンがついていた。
「これが噂のバイオか・・」
しみじみとみて、他の客のことなど考えず、
あちこちさわりはじめた。
国産パソコンもずいぶんと変わったんだ・・、
なんて思っているうち、アラン・ケイの本などに出てくる
「ダイナブック」のイラストを思いだした。
 

 
これは東芝のノートパソコンではなくて、
氏がすごく昔に予言した
未来のコンピューターのあるべき姿
(Dynabookとはダイナミックな本という造語)のこと。
奇しくも、アラン・ケイという人は
長くアップルに特別研究員として
籍をおいていた人なのだけれど、
それを実現したのはソニーか? と、
店頭で妙に感慨深く思ったのを記憶している。
店員をあれこれ質問攻めにした挙げ句、
その日持ち帰ったのは、マックでなく
このVAIO505というパソコンだった。
これがはじめて「浮気」をした時である。
結論を先にいうと、これは「浮気」にとどまらなかった。
この日を境に、僕のパソコン生活は、
Windowsへと急展開していったのである。
 
そしてITバブル
 
それからの4年間に、社会で何かが爆発した。
猛烈な勢いで普及する個人へのインターネット、
携帯電話とモバイル、デジカメ、そしてブロードバンドへと、
何もかもがかわってしまうかのような勢いだった。
その年(98年)の年末に発売されたセガのドリームキャスト、
これには標準でモデムが付けられていた。
マルチメディアに変わってITという言葉が流行しはじめ、
その様はゴールドラッシュのようでもあった。
ビックカメラはいつのまにかデジタル玩具屋へと様変わりし、
かつてのようなマニアではなく、ごく普通のサラリーマンが
物欲しそうにパソコンを撫でていた。
なんどかマックに戻ろうという気持ちが勝ったけれど、
ついにそうせぬまま、最近に至ったというわけ。
だから、公私共にこの四年間と3か月におきた事件は
すべて僕はWindowsという窓を通じて
体験してきたことになる。
 
マックが進んでいた時期のこと
 
マックユーザーのみなさんには申し訳ないが、
最近までのマックはぱっとしなかった。
というよりダサかった。
かつてのマック仲間からは
「この裏切りモノ!」という声が聞こえてきそうである。
(事実、4月のアップルの原田社長さんの
 結婚パーティーでは、
 マックマニアの横綱ともいうべきT氏は、
 私を見るなり開口一番、本当にそう叫んだ)
御存知の人も多いと思うが、マックには
「マック信者」という人がたくさんいた。
いまはほとんど残っていないので、
「裏切りモノ!」なんて言葉そのもの聞かなくなった。
だからそう呼ばれたときは懐かしく、そして嬉しくもあった。
 
かつてのマックは、同時期のWindows3.1なんかよりも
はるかに先進的だった。しかし、よせばいいのに、
エラーメッセージによりによって
爆弾マークをつかったものだから、
誰の目にもやけにそれが印象的に焼き付き、
先進性よりも「不安定」というイメージを
不要に定着させてしまった。
これは推測だが、あの爆弾マークは
開発チームがデバッグ用に作ったものではないか、
と思っている。あまりにわかりやすいので
そのまま製品にいれたのがあとで仇となった。
DOSのように地味にエラーメッセージを出していれば、
あんなに悪口をいわれなくても済んだのではないか。
あまりにばかばかしいおちだが、
これがマック文化を象徴している。
余談だが、Macintosh2ciという高価なモデルがあって、
これがとんでもないのは、このマシンが完成した日付けに
カレンダー設定し、"2"と"C"と"I"のキーを、
コマンドキーなどと押したまま再起動すると、
開発チームの記念写真が起動画面として表示される、
というゲーム顔負けの隠し技があった。
ちなみに彼等のスナップ写真データは
高価なROMの中に入っていることになる。
あまりにばかばかしいので、
カルトQという深夜のクイズ番組の決勝問題に出題されたが、
回答者がこぞって回答ボタンを押したので、
番組はただマック信者のカルト性だけを
印象づける結果となった。
 
こんな調子のパソコンだから、
スムースに企業に導入されるわけもなく、
また必要な情報も不足していた。
そのせいでマックユーザーは情報交換の開催に積極的だった。
やがて本人たちはエバンジェリスト(布教者)と自称したが、
メディアは「熱心なマニア」と書き、
人々は「オタク」と呼んだ。
結局それらのイメージのフェアな中間点をとって、
彼等は「マック信者」と呼ばれるようになったわけだ。
本人たちは誉められている気でも、
世間のイメージはかならずしもそうではないのがみそだ。
 
しかし、確かにあの頃のマックは
常にコンピューターの未来を見せてくれていた。
使っていて楽しかったし、たしかに便利だった。
そんなマックの「エクボ」が
いつしか「あばた」に見えはじめたのは、
97年を過ぎた当たりから。
95,98,2000と順調に進化するWindowsを尻目に、
この先アップルはいったい何をしたいのか、
僕らをどこに連れてゆきたいのか、よく判らなくなってきた。
 
パソコンというのは悲しいもので、
同じところに留まっていると、
退化したように見られるものだ。
iMacのキャンペーンは悪くなかったし、
デザインとかイメージは一新された。
でも、それは昔の男にたとえれば、
別れた後に着ているものが
ちょっとおしゃれになっだけのようなもの。
スケルトンの色はバラエティーに富んでいるけど、
画面の中は昔と何もかわっていない。
ビギナーユーザーたちはとびついたけど、
一度離れた者にとって、戻る理由にはならなかった。
好きだった恋人の悪いところが見えてしまうことほど
つらいものはない。
VAIOユーザーとなって1年経ち、2年が経過すると、
かつての恋人を忘れてゆくように、
マックの記事で手をとめることすらなくなっていった。
ときおりショップで見かけるマック売り場では、
林檎マークだけが、往年の名家の家紋のようにみえた。
今から1年くらい前まで、
マックは僕にとって本当にダサかった。
 
パソコンという産物
 
さて、上にある、「何をしたいのか」
「どこに連れてゆきたいのか」とはどういう意味か、
という話になる。
そもそもパソコンなんてものは、
生まれながらにして未完成な製品である。
人類史上まれに見る、「用途の定義がない製品」、
それがパソコンなのである。
洗濯機や冷蔵庫のように、
本来製品というのは生みだされた時に
「目的」というものを持っているものだ。
だが、パソコンにはそれがはっきりと定義されていない。
それがパソコンの最大の特徴である。
かつては「ワープロでも買おうかな」
そう思って店を訪れた人たちは、
「あと4万円多く出すと、パソコンが買えますよ」
という期待感でパソコンを買っていった。
ワープロになったり、レコーディングマシンになったり、
最近ではビデオに化けたり、と、
専用機よりもすこし高いけれども、
メモリーやソフトを入れれば、
さらに未来的なこともできますよ、というのが
パソコンである。
パソコンがもし拡張したり進化することを否定したとたん、
この形での存在意義はなくなり、
もっと特化した専用機にとって換わられるだろう。
サメが常に泳ぎ続けていないと死んでしまうように、
完結することをせず、たえず進化し続けなければらないのが
パソコンの運命なのである。
だからパソコンメーカーには、2種類あって、
次々と新しいビジョンを発明して業界を牽引する会社と、
さもなくば低価格戦争を繰り返すか、
とるべき道はこれしかない。
かつてのアップルはまさに前者の代表だった。
 
未来的で優秀なマシンでも、
1年もすれば価値が半減することは皆判っている。
わかっているのに、人はすこしでも最新型を買おうとする。
なぜだろう?
それはやはり、お金を払ってでも触れたい
「夢」というものがあるからだとおもう。
実用品としてパソコンを見たとしたら・・・
こんなにメチャクチャな製品はない。
これが一般の実用品とは大きく異なる要素だ。
それは、一口馬主になるのと、似ている。
「お買い上げ頂くと、しばらくの間
 プレミアムメンバーとして、
 弊社が開発する未来をお見せしますよ」
ってなものだ。
だから、パソコンメーカーが
「これからなにをしたいのか」
というのはとても重要なことだ。
 
ここ数年のWindowsパソコンは
それが極めてシンプルかつ明確だった。
IEでホームページを見ましょう、
OutlookExpressでメールをしましょう、
そしてMS-Officeを使うマシンとしては最高ですよ、
という定義である。
よくも悪くも、マイクロソフトがその牽引力を
一手に引き受けていた。
その使い勝手は日々改善され、ハード性能がそれに続いた。
さらにはインターネットという黒船が
猛烈な威力で火を吹いた。
そしていつしかインターネットという言葉は
マイクロソフトのためにある言葉のようになっていった。 
 
そして、ここ1年のはなし。
 
こんな日々がさらに続き、
かつてはマックのソフトをつくっていたにもかかわらず、
パソコンというとWindowsパソコンを
いつしか連想するようになり、
仕事の興味はゲーム専用機や携帯電話へと移っていった。
そんな社会的変化もあってか、
あるいは宿命のライバルを欠いたからか、
パソコン業界は、面白さを失ってきたように思う。
というのも、その未来の鉾先は、
情報サイトやらデジカメやらブロードバンドやら、
にゆだねるようになっていったからだ。
ITバブルの名の下で、
ソフト会社はどこも株式公開に目をとられはじめたようだ。
その結果、ユニークな商品を持つサードパーティーは消えて、
似たようなソフトばかりが並ぶようになった。
 
「なんかつまんないなぁ」
もしかしたらここ数カ月、そんな気持ちが
知らず知らずのうちに、
自分の中に蓄積していったのかもしれない。
 
つづく    


シーマンに関する情報は こちら(www.seaman.tv)まで。

2002-09-06-FRI

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