ほぼ日刊イトイ新聞

新しい「ほぼ日」のアートとサイエンスとライフ。糸井重里と早野龍五と河野通和からみなさまへのごあいさつ。

「ほぼ日」に、すばらしい力が加わります。
国際的な物理学者で
糸井重里とともに『知ろうとすること。』の
著者でもある早野龍五さん。
そして『婦人公論』や『考える人』の
編集長を務めた、河野通和さん。
あ、もう、「さん」をつけなくていいんですね。
驚いた方も多いかもしれません。
私たちも驚きました。
おそらく、糸井を含む本人たちも、
うれしく驚いたんじゃないでしょうか。
ことのいきさつと、これからのことを、
あいさつするみたいに話しました。

プロフィール

早野龍五(はやの・りゅうご)

1952年、岐阜県生まれ。物理学者。
東京大学大学院理学系研究科教授。
専門はエキゾチック原子。
スイスのCERN(欧州合同原子核研究機関)を拠点に、
反陽子ヘリウム原子と反水素原子の研究を行う一方、
2011年3月以来、福島第一原子力発電所事故に際し、
自身のTwitterから現状分析と情報発信を行う。
2017年3月、東京大学教授を退官。
音楽を通して子どもたちを教育する、
公益社団法人才能教育研究会
「スズキ・メソード」の会長に就任。
糸井重里との共同著書に
『知ろうとすること。』(新潮文庫)。

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。
東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業後、
1978年、株式会社中央公論社(現・中央公論新社)入社。
雑誌『婦人公論』『中央公論』の編集長を務める。
2008年、株式会社中央公論新社退社。
2009年、株式会社日本ビジネスプレス特別編集顧問就任。
2010年、株式会社新潮社入社。
『考える人』の編集長を務める。
2017年3月、『考える人』休刊とともに
株式会社新潮社退社。

糸井重里から

糸井
お二人のことは、もうちょっとあとに
発表するつもりだったんですが。
早野
もっとあとにやるつもりだと
うかがってました(笑)。
河野
ええ(笑)。
糸井
でも、待たなければいけない要素って
じつは、そんなにないんですよね。
だったら、もう‥‥
早いほうがいいんじゃないかと!
一同
(笑)
糸井
それで、いつ発表するにしても、
どうやって発表したらいいんだろうな
と考えてたんです。
たとえば、ぼくが「今日のダーリン」に書く。
早野さんはツイートするのかな。
その場合、河野さんはどうしたらいいんだろう。
あるいは、ぼくと早野さんと河野さんが
それぞれに「さて、ご挨拶」というような
原稿を書く、ということも考えられますが、
ちょっと堅苦しいんですよね。
早野
うん(笑)。
糸井
もうちょっと「ほぼ日」なりの
発表のしかたがあるだろう、と思ったわけです。
それで、3人がそれぞれ挨拶するようなことは
もうぜんぶ省略してしまって、
この鼎談のなかでやってしまおう、と。
つまり、「話体」で挨拶をすませてしまう。
たとえば、3人がどこかに挨拶を書くとしたら、
どういうことを書くんだろうね、
ということを、ここでしゃべってしまおうと。
河野
なるほど(笑)。
糸井
そう思ったんです。
早野
原稿を書く手間を省く代わりに、
ここでしゃべれというわけなんですね?
糸井
はははは、そうです。
掲載は、これから大急ぎで準備して、
たぶん、1週間後くらいになります。
河野
じゃ、コンパクトに、
短めの挨拶文を話すつもりでやる、と。
糸井
そうですね。
早野
じゃあ、まず‥‥。
糸井
ぼくから口火を切らなきゃいけないでしょうね。
河野
よろしくお願いします。
糸井
まあ、なんというか、きっかけは、
ほんとうに偶然というか、僥倖というか、
ここにいるお二人が、同じタイミングで、
長く所属していたところから離れて
自由な立場になられた。
早野龍五さんは東京大学を退官されました。
河野通和さんは編集長を務めていた雑誌、
『考える人』が休刊になり、新潮社をやめられた。

ぼくらの会社も同じようなタイミングで上場しまして、
取材なんかでしょっちゅう訊かれるのは、
「株式を公開して得たお金を何につかうんですか?」
ということなんですね。
で、そのとき、ぼくがいつも答えとして言ってるのは、
とにかく「人につかいます」ということなんです。
昔は「人に使う」と言うと、
支店をつくるとか、営業マンを入れるとか、
売り先へ流す量を拡大するというイメージが
持たれていたと思うんですけど、
ぼくの考える「人にお金をつかう」というのは、
会社に人が入ることで、その人たちが、
いろんなことをがらっと変えてしまう、
というようなイメージなんです。
忙しくなるから人を増やすとか、
そういう単純なことではない。
人をひとり入れるっていうのは、
工場をひとつ建てるようなものだって
昔から思っているわけです。

だから、「お金を人につかう」っていうと、
あ、わりと普通ですね、って言われるんだけど、
ちょっと心外だったんです。
ナメるんじゃない、と(笑)。

でも、正直言うと、具体的に誰を誘うとか、
そういう当てはなかったんです。
そんなときに、早野さんと河野さんが、
声をかけてもいい存在になった。
それで、あとづけのように、
「ほら、人を入れるって言ってたでしょう?」って
言えるようになったわけです。
一同
(笑)
糸井
早野龍五さんと河野通和さんは、
いまの「ほぼ日」に欠けている部分を
専門にしている方です。
しかも、二人とも、これから先に、
ものすごく忙しくなる本職が
決まっているかというと
とくにそういうわけではないとおっしゃる。
じゃあ、ぼくはとにかく口説きます、
というふうに申し上げて、
まあ、困ったなという気持ちも
なくはなかったのかもしれませんけれども(笑)、
結果的にお二人ともご快諾いただけて、
「ほぼ日」にお迎えできることになりました。

早野さんは、うちにわかりやすく欠けている
「サイエンス」という部門の相談ができる人。
会社に入っていただくことで、
そういったことが充実するのはもちろん、
サイエンス部門の会社や専門家の方が
うちと関わることになったときに、
あの会社には「早野がいるな」って
思えるというだけで、何かいいんじゃないかなと。
実際、そういう事案は近年増えているんですよ。

あと、もっと大きい話でいうと、
福島での早野さんの行動などを通して知った、
早野さん独自の「思考のプロセス」があって、
それはやっぱりぼくらにはないものなので、
もしもメソッドみたいなものがあるなら、
学ばせていただきたいなと思って、お招きしました。
「サイエンス・フェロー」という肩書きで
お願いすることになりましたが、
それ以上の細かいことは、何も決めてません。
早野
ふふふふふ。
糸井
そして、河野通和さんです。
河野さんは中央公論社の
『婦人公論』、『中央公論』、
そして新潮社の『考える人』という
雑誌の編集長をお務めになった、
いってみれば人文分野のスペシャリストです。

で、これもまた偶然なんですけど、
ぼくは去年の年末あたりから、
「古典に帰ろう」というコンセプトで
今後の「ほぼ日」の柱になるようなことを
スタートさせたいなと考えていたんです。
たとえば、シェイクスピアとか、万葉集とか、
そういったクラシックのおもしろさを
見つめ直す、学び直す、というものです。

ぼくらは、自分たちがいま興味のあることを
その場その場でつかんでいくというのは
わりと得意なんですけど、
古典のような、長年かかって組み上げてきた、
心や魂に深く関わるような部分に関することは
知識としても経験としても、欠けているんですね。
古典は、コンテンツとしておもしろいだけでなく、
社会がその存在を必要としていますし、
その意味ではみんながよろこんでくれるもので、
さらにいうと、ビジネスになる可能性も大いにある。
だから、これから「ほぼ日」が古典に取り組んで、
古典を得意分野にするというのは、会社の将来性として、
とても意味があると思っていたんです。

しかし、うちがこのままの体制でそれを
押し進めていくのはなかなか大変だぞ、と。
それで、河野さんに相談しなきゃというのは
はじめから思っていたわけです。
たとえば、河野さんを中心にしたチームをつくって
「ほぼ日の学校」のようなことができないかな、と。
どういうふうにはじめるかだなあと思っていたら、
もう、まさに、河野さんが働ける状態になった。
河野
はい(笑)。
糸井
そうなると、話は古典の学校に留まらないなと。
「ほぼ日」の、なんていうんだろうな、
知と教養部分、人文科学部門の長を
ぜひやっていただきたいなと思って
お願いしたわけです。
で、正式にOKをいただいたのが、最近のことです。

うちは編集長とか編集局長とかいう
役職があるわけではないので、
組織のどこにどういう名前で
入っていただくかというのは
とくに決まってないんですけど。
ただ、河野さんのお仕事には資料が必要で、
いまも膨大な資料を抱えてらっしゃると
お聞きしたので、居場所というか、部屋というか、
物理的なスペースというのは必要になるかな、と。
それで河野さんの部屋をつくろうとしています。
あ、その意味では、早野さんの部屋は
まだとくに用意していません(笑)。
早野
ぼくは、オフィスのどこかに
ハンモックでも吊っていただければ。
一同
(笑)
糸井
そういうことすら現在進行形で
まさに整えている状態ですけど、
河野さんはフローとストックでいうと、
ストックの大事な仕事なので、
そういう文化やスタイルの違いというのも
「ほぼ日」に入ったときに
とてもおもしろい効果があると思ったんです。
親潮と黒潮が出合ったところに
豊かな漁場ができるみたいなことになれば
両方にとって最高なんじゃないかと思います。
そういうことって、小手先のテクニックじゃ
どうにもならないことですから。

これまで、ぼくらは、なんていうんだろう、
どちらかといえば、
その日のコンテンツをつくるために
ある種の速度感をもって
どたばたとやってきたと思うんです。
そのことで、いいところも、悪いところも、
両方あると思うんですね。
そこに、河野さんという、いってみれば
人文分野の部長のような人がやってきて、
組織の重しになってくれる。
それは早野さんにしてもまったく同じことで、
まさに「アーツ&サイエンス」の両部門で
新しいスペシャリストが仲間に加わるというのは
「ほぼ日」にとって、すばらしいことだと感じています。

詳しくは決まってませんが、
当面、河野さんは常勤のかたちでいていただいて、
早野さんは非常勤というかたちになると思います。
お二人とも、明らかにぼくにないものを
持ってらっしゃるので、
ぼく個人にとってもとてもありがたいです。
で、一昨日かな、
「ほぼ日」の乗組員全員が集まる場で、
お二人が加わるということを
内部的に共有したんですけど‥‥
拍手が起こりましたよ(笑)。
河野
へぇぇ(笑)。
早野
そうですか(笑)。
糸井
人事の話で拍手が起こるというのは、
やっぱり、人徳だと思いました(笑)。
ちょっと長くなりましたが、
まずは、ぼくの挨拶でした。
じゃあ、つぎは、早野さんに。

早野龍五から

糸井
じゃあ、つぎは、早野さんに。
早野
はい。挨拶をするわけですね。
ええと、このたび、
「サイエンス・フェロー」という名称をいただきまして、
「ほぼ日」という船に乗り込むことになりました。
私の場合は、ほかにも仕事がありますので、
非常勤という勤務形態になります。
じつは私、5月1日付で、
自分で自分を法人化することにしましたので、
その法人として、いろんな相談に乗っていく、
というようなかたちになると思います。
糸井
自分で自分に給料を出すわけですね。
早野
そのとおりです(笑)。
それで、どこから話しましょうかね、
ちょっと長くなるかもしれませんけど、
少し違うところからお話しします。
糸井
長くなってもいいですよ(笑)。
早野
ええとですね、私は科学をやってる人間なので
グラフというものをよく描くんですね。
で、グラフを描くときに、
縦軸と横軸に何を入れることを想像しますか。
糸井
えー、時間とか?
早野
すばらしい。
物理学者はグラフの縦軸に
しばしば「時間」を取るんです。
で、横軸には「空間」を置いたりする。
これはアインシュタイン以来の
「時空」という考え方で、
y軸に時間軸、x軸に空間軸をとって
グラフを描くということをします。
で、いまここに3人いますけど、
これをグラフに描くとどうなると思いますか。
ぼくと、糸井さんと河野さんの3人を。
糸井
え?
早野
いま、ここの空間の、それぞれの軸の上に、
こうして3人がいるわけです。
それをx軸で表して、y軸に時間をとると、
いま、ぼくらは座ってるだけですから、
空間軸は動かないまま、
時間が過ぎていくということになる。
このままだと、3人のグラフは、
同じ高さで同じように伸びていきます。
ところが、ある時点で、
ぼくと河野さんの位置を変えると、
こう、グラフが入れ替わって、
こんなふうなグラフになっていくわけです。
我々は、普段、
同時間にいる他の人のことを意識します。
たとえ別の空間にいたとしても、
テレビで他の地域のニュースを見るように、
同時間にいる他の人との関係性というのが
非常に重要に感じられるんですね。
しかし、じつは、我々ひとりひとりが、
これまで続けてきた「時間の軸」というものに
ものすごく重要な意味がある。

たとえば、いま生きている我々は、
親から生物学的な遺伝子を引き継いでいます。
また、いま暮らしている社会や、
便利につかっているシステムなどは、
時間軸でいえば昔に起こった
じつにさまざまなことが、
すべて引き継がれているわけです。
そういったなかで、
たとえば音楽を奏でるというのはどういうことか。
あるいは、昔の本を読む、絵を鑑賞する、
そういった、いわゆる教養というものは、
時間軸の上に成り立っているものなんですね。
ぼくはかつて楽器を弾く人だったので、
過去からの時間軸の中で、
いま自分が楽器を弾くというのは、
非常に特別な意味があると感じるんです。
自分が自分の肉体を動かして、
モーツァルトの曲を弾く。
それは、モーツァルトと語り合うこと、
モーツァルトの心に触れるという行為に等しいわけです。

なんでこんなことを言うかっていうとね、
糸井さんはさきほど「サイエンス部門とアート部門」
という言い方をされましたけど、
「サイエンス」というのは、
そういった時間軸上での営みと大いに関係があるんです。
たとえばぼくは学生時代、
アインシュタインやマクスウェルの元の論文を、
格闘するようにして読みました。
そうすると、数式を読むことによって、
100年の時間を超えて、
彼らの知性や心に触れることができる。
楽譜を見てモーツァルトの心に触れるのと
同じなんですよ、じつは。
糸井
はぁーー。
早野
そういう意味では、
我々がいま生きているということと、
昔のさまざまなサイエンスに触れること、
あるいはアートに触れることというのは、
人々が思ってるほど別のことではない。
そういうことを私は言いたいんです。
糸井
だから、早野さんはご自分のツイッターで
「科学者列伝」シリーズ
(その日が誕生日である科学者を
ツイッターで紹介する)を
発信してらっしゃるんですね。
早野
そうですね、そういうことなんです。
科学者にとって、そういった時間軸を意識することは
とても大事だとぼくは思っています。
ニュートンが言ったとされている、
──実際には言ったかどうか定かではないんですが──
こういうことばがあります。

「私がより遠くまで見渡せたとすれば、
それは巨人の肩の上に乗っているからである。
(If I have seen further it is by
standing on the shoulders of giants.)」

我々科学者がやっていることって、
そういうことなんですよね。
突然、自分がここに生まれ落ちて、
突然、素晴らしい仕事をしてるわけではなく、
過去の人々がやってきたことの上に立って、
もう少しだけ先を見る、
ということをやろうとしている。
サイエンスってそういうことをやってるわけです。
サイエンスに限らず、さまざまなことには、
時間軸の重みというものがあるんだけれども、
それは、我々の普段の生活のなかでは、
つい見落とされがちです。
それをしっかり知るということが
まさに教養であると私は思います。
これまで積み重ねられてきたことを
きちんと踏まえたうえで、
これからの自分の生きざま、
あるいは会社としての将来を考える。
時間軸の重みというのは、
今後のことを考えるうえで
絶対欠かすことのできない視点で、
それに関しては、
サイエンスとアートのあいだに垣根はない。
人間の知的な営み、心に触れる営みとしては、
じつは、ルーツも志も同じなんです。

先日、表参道の山陽堂さんで、
河野さんが編集長を務めた『考える人』を
総合するような展示があって、
その最終日に日本を代表する批評家、
小林秀雄さんをテーマにした
トークイベントが開催されたんですけど、
そこでの河野さんのお話をうかがって、
そこはまったく同じなんだな、
というふうに感じました。
糸井
しかもあの日は
小林秀雄さんの誕生日だったんですね。
河野
そうなんです。生誕115年の日でした。
その日に『考える人』の展示が最終日で、
これはもう、なにかしなければということで
急遽、イベントを開催しました。
早野
そう、生誕115年の日だということもあり、
より時間軸のことを意識しながら
あの場でお話をうかがっておりました。
イベントに招いてくださったことを
たいへん感謝しております。
‥‥ええと、長くなりましたが、
私からの挨拶は、いったん終わります。
ありがとうございました(笑)。
糸井
ありがとうございました。
この「ほぼ日」という場所で
サイエンス・フェローを担当する、
ということについては、いかがですか。
早野
ああ、そうですねぇ。
まあ、糸井さんと話したときに、
「給食食べに来て遊んでればいいんですね?」
って言ったら、大体そんなもんだと
おっしゃっていたので(笑)、
そんな程度のことでよければと思っています。
糸井
ははははは。
早野
まぁ、やはり、明らかに
いままで自分が過ごしてきた世界とは、
雰囲気が異なるので(笑)。
まずはその、社風などを感じながら、
何が貢献できるか‥‥いえ、
貢献できるという言い方は違いますね。

「どういうことをすれば自分がたのしめるか」
それを探していければいいのかなと思います。

ぼくは、東大での最終講義でも言いましたけど、
「たのしそうに働く」ということが
とても重要だと思っています。
「たのしく働く」はすぐにはできませんけど、
「たのしそうに働く」ことならできますから。
そして、この「ほぼ日」という場所は、
たのしそうに働ける場所だな
という感じがしましたので、
できるだけ「たのしそうに」働いて、
何か、社会に対して、
「あ、これがあってよかったね」って
言ってもらえるようなものを、
つくることができたらいいのかなと思います。
最終講義で思い出したんですが、
糸井さんは私の最終講義に参加したあとで、
感想として、
「最終講義というのは生前葬みたいなものですね」
というふうにおっしゃったんです(笑)。
言われてみればその通りで、その意味では、
私はもう、一度生前葬をやったんだと。
だとしたら、ここからは、
まったく新たな生き方を積極的に
考えていったほうがいいなと思っていて、
今回、そのよい機会をいただいたと思っています。

東大やセルンでやってきた研究とか、
それから福島でやってきたことなど、
まだ活動が続いてるものもあります。
そして自分の生きる軸足というのは、
私が会長を務めることになった教育機関である
「スズキ・メソード」にもあります。
しかし、それだけでは接点の持てない、
多様な社会とのつきあい方、過去とのつきあい方を
「ほぼ日」で見つけて実現していければいいかな、
というふうに思っています。
よろしくお願いします。
糸井
どうも、ありがとうございます。

河野通和から

糸井
じゃあ、河野さん、お願いします。
河野
‥‥あ、河野でございます。
一同
(笑)
糸井
よろしくお願いします(笑)。
河野
まだこちらでの仕事は、
役職としての名前はないんですけれども、
ご一緒させていただくことになりました。
糸井
(笑)
河野
一緒にどういうことができるか、
ということについて、
糸井さんが説明してくださったんですが、
そのときに思ったのは、
私がこれまでやってきて、
これからも続けたいなと思っていることと、
糸井さんがおっしゃったことと、
不思議なくらいに違和感がなかったんです。
私の仕事の移り変わりを言うと、
まず、中央公論社というところに入りました。
いまの中央公論新社です。
その後、ネットメディアの会社の
起ち上げに関わる時期がありましたが、
その後、また老舗の出版社である新潮社に入って
『考える人』という雑誌の編集長になりました。
そういったところを表面的に見ている人は、
おそらく、私が「ほぼ日」に行くと言ったら
「え?」っていうような、
相当意外な印象を受けると思うんですよ。
糸井
あ、そうですか(笑)。
河野
うん。
でも、私のなかで「ほぼ日」というのは
自分が働く環境として
まったく違和感がないところなんです。

もっと踏み込んでいうと、
さきほど糸井さんがおっしゃったような
これまでの「ほぼ日」になかったもの、
これからやっていきたいことに関していえば、
実際、お役に立てるところもあるかと思う。

いまの早野さんのお話をうかがっていても、
まさにそういうことがやれればうれしいな、
という気持ちがふつふつと湧いてきているんです。

私がこれまでやってきたことを
続けていきたいと思ったときに、
出版社という業態だけが、
そういうことを続けていくのに
唯一、適している場所なのかというと、
そうとはいえないなと思っていて、
むしろ、他人から見たら
意外に思えるかもしれないけれども、
「ほぼ日」に魂を移し替えることのほうが
はるかに新鮮に感じられて、
しかも、移し替えたとしたら、
そこから勢いよく芽が吹いていくような、
そういう希望を感じているところです。

もう、これだけで挨拶に
させていただいてもいいんですけれども、
まあ、もう少しだけ、
具体的に申し上げるとすれば‥‥。
糸井
ぜひ、お願いします。
早野
(笑)
河野
先ほど早野先生もおっしゃいましたが、
『考える人』という雑誌の最終号が出るにあたり、
山陽堂さんという126年続いた書店で
展示をやらせていただきました。
で、その最終日に、小林秀雄をめぐる
トーク・イベントをやりました。
そのときにはっきりと
先のイメージが見えてきたんです。
糸井
ほう。
河野
かいつまんでご説明いたしますと、
小林秀雄という、
日本で神様のようにいわれている批評家がいます。
その小林秀雄の最後の担当編集者だった人が
新潮社の先輩にいらっしゃるんですね。
池田雅延さんという方なんですけれども。

いまから4年前、ぼくは『考える人』で
小林秀雄の没後30年にちなんだ
特集をやろうと考えました。
それで、池田さんとじっくり話したんですけど、
「どういう特集にしたいんですか?」
と池田さんから訊かれて、ぼくは、
「ありきたりの小林秀雄特集にはしたくないんです」
と答えました。できることなら、
「いままで世間の人が読んだことのない小林秀雄論。
それを書ける人がいればいいんですけど」と。

すると、池田さんは
「まだまったく無名なんだけど、
ひとり、自分が目をかけてきた人間がいて、
もしかしたらその人の原稿が間に合うかもしれない」
というふうにおっしゃったんですね。
それが、杉本圭司さんという書き手でした。
池田さんよりもひと世代くらい若い方なんです。
尊敬する池田さんが手塩にかけた方ですから、
ぼくは、ぜひ、ご紹介くださいとお願いしました。

いってみれば、二人は小林秀雄に連なる師弟関係で、
その愛弟子が「わが小林秀雄」というべき
原稿を書き上げるのを、
池田さんは8年間ずっと見守っていたんです。
池田さんと杉本さんは、
初対面のときに4時間話したらしいんですが、
「彼は見どころがある」と思った池田さんは、
獅子が千尋の谷に子どもを突き落とすかのように
とても厳しく接したそうです。
池田さんはずっと彼を鍛え続けた。
結果的に、『考える人』は
その1本の長編を中心にして小林秀雄特集をやって、
それは非常に成功しました。
話が長くなってしまってすみません。
若い書き手は、原稿を書き上げるまで、
ほかの道へそれることもなく、
メンターの声に従いながらそれを実現させました。
私は、これはすばらしい話だなと思いました。

まず、小林秀雄という人がいて、
その人の最後の著作を担当した編集者がいて、
その人が若い書き手と出会って、
自分の全知全能を傾けながら
若い彼の原稿を引っ張り上げていく。
で、「ありきたりの小林秀雄特集にはしたくない」
といってる私たちがそれを最後に引き受けて
雑誌に掲載する、という構図なんですね。

『考える人』という雑誌が
残念ながら休刊となるにあたり、
最後のメッセージとして、イベントの最後に、
何かを発信しなければいけないと
思っていたんですが、そこで、
ポイントになるのは「時間」だと思ったんです。
糸井
なるほど。
河野
つまり、小林秀雄から担当編集者へ、
担当編集者から若い編集者へ、
その人から『考える人』へ。
もっといえば、休刊を迎える雑誌から、
さらに、そのつぎの世代へ。
前にさかのぼって考えるとしたら、
小林秀雄という人は、
本居宣長という人の著作を徹底的に読むわけです。
本居宣長は『古事記』を読んで
古代人の心に迫ろうとするわけです。
それはまさに、糸井さんのおっしゃる古典であるし、
早野さんが言う時間軸の重みでもあります。
早野
うん、うん。
糸井
そうですね。
河野
ここに到る、
ものすごい時間の流れがあるわけですよ。
これは本当にすごいことなんだと思います。
だけど、いまそういうことを言って、
ストレートに伝わるかというと、
これはなかなか難しい。
たとえば、ネットで検索すれば、
小林秀雄から『古事記』までのことは、
一瞬で知ることができるでしょう。
でも、その出会い方では、
この長い時間の流れが、絶対に体験できない。

私は、そういう時間というものの重さを、
『考える人』という雑誌の
最終イベントのメッセージにできれば、
というふうに思ったんです。
それで、ふたりの当事者に来てもらって、
出会いのところから、8年をかけて
原稿を完成させるまでを語ってもらった。
それを、126年続いている書店で
聴けたという感動は、とても大きいと思います。
それは、当日、あの場所に来ていた
若い人たちにも伝わったと思うんです。
小林秀雄の何たるかがわからずとも、
必ずその心のリレーの部分は
伝わったのではないかと。

ぼくにとってはそういうことがとても大事で、
そのへんのことを耕していくことが、
文化の基本だと思っていますし、
これからも続けていきたいと思っています。
けれども、雑誌という、
紙に印刷したものでそれを伝えようとしても、
なかなかそれは伝わりにくいんですね。
いま、紙のメディアは減っているし、
本屋さんも少なくなってるし、
雑誌を買わない人も増えている。
だから、いくら書いても、その先が見えない。
ぼくは雑誌の編集をやってきましたけど、
別に、紙に印刷されたものだけに、
アウトプットのかたちを
限定する必要はないわけです。
古典にしても、時間軸の重みにしても、
とにかくいろいろ置き換えていくことを
やらなければと思っていました。

ちょうどそんなときに
糸井さんからお話をいただいたので、
まさに求めていたことだと思いました。
押してほしかった身体のツボを
きゅっと押されたような気持ちです(笑)。

いま、何をやるべきかわからなくても、
押してもらってるツボが
私がこれからやらなきゃいけないな
と思っていたことである以上、
これに従うべきだという声を聴いてしまった。
それは、糸井さんが
先ほどおっしゃったようなことと
全面的に重なってくる話であって、
早野さんがおっしゃる科学の部分と、
人文的な「知」と、離れているはずがない。
早野
うん。本当にそうですね。
河野
だから、いま、大学から人文系の学問、
ヒューマニティーズをなくそう
なんて言ってますけど、
「冗談じゃない!」と。
糸井
(笑)
河野
ヒューマニティーズがあって、
そのなかに科学もあり、
いろんな知の形が発生してきたわけで、
祖型を考えたら、人文なんです。
だから、そこにもう一度、みんなが目を向けて、
そこから何かを得る。
しかも、すぐ役に立つ知識だけを得るんじゃなく、
役に立つかどうかさえも
わからないことを取り込むことで、
ある種の強さ、たくましさをその人が得る。
いってみればそういった
人間の土壌づくりのようなことが、
これからのこの国には必要だし、
そういったことを「ほぼ日」という、
まさにヒューマニティーズを
独自のかたちで耕してきた会社に
私が加わることで何か実現できるなら、
それはとてもおもしろいだろうな、と思うわけです。
‥‥長くなってしまいましたが、
そういうあたりですね、私が思ったのは。
糸井
すばらしい。
もう、なんか、お二人が、
挨拶というより論文を書いているようです(笑)。
早野
(笑)
河野
(笑)

3人で

糸井
お二人の話をうかがっていて、
やはりぼくにはないものを持ってらっしゃるなぁと
頼もしく感じているんですが、じつは、
お二人とぼくは元々違う場所にいるんですよね。
あえていうなら、ぼくは「町人」なんです。
早野
「町人」(笑)。
糸井
はい。たとえば、江戸時代の学者で
荻生徂徠という人がいますけど、
この人が町のみんなに話をするときは、
広間に人が集まって、料理が出て、ちょっとした
エンターテインメントだったらしいんです。
だから、旦那衆は荻生徂徠先生の
話を聞くのがたのしみだった。
ただ単に「ためになることを聞いた」
っていうだけじゃなくて、
おそらくたのしかったんですよ、
そういう権威や知識に触っちゃうことが。

で、それは、クラシックの音楽会だろうが、
ロックやジャズを聴いてる人だろうが、
同じようなところがあると思うんですね。
町人がおもしろがって触るようなものには、
なにかしら、人をひきつけるおたのしみがある。
同じ知識や教養でも、町人がつい触りたくなるものと
そうでもないものがあるんじゃないかと。
いま、うちで一緒に仕事をしている
三國万里子さんという
編み物作家がいらっしゃるんですけど、
この方はもともと外国の編み物の本を
自分でどんどん買って訳して読んで、
自分の作品に活かすライブラリーとして
身体に取り込んじゃった人なんですね。
その、三國さんの中にある知識というのは
いってみれば教養なわけですけど、
三國さんがそういった教養を消化して、
オリジナルのニット作品にしたら、
みんながかわいいと言って集まるわけです。
最初は手芸好きの間で話題になっていたんですけど、
「ほぼ日」を通して広く知ってもらったら、
さらにたくさんの人が
かわいいと言ってくださるんですね。
ちなみに三國万里子さんの妹の
なかしましほさんはお菓子をつくる人で、
彼女もたくさんの知識や教養を
「おいしいお菓子」
「食事のように食べられるお菓子」
というかたちにして、
多くの人からよろこばれているわけです。

つまり、みんなが触れるようにしたから、
知識や教養が、そういうかたちでばらまかれたんです。
編み物における三國さんも、
お菓子におけるなかしましほさんも、
早野さんの言う「巨人の肩に乗ってる人」で、
先人の教養の積み重ねの上にいるわけですけど、
それは「触れる教養」なわけですよね。

だから、古典とか教養とか知識とか、
みんながあまりおもしろいと思ってないようなもの、
たのしくないと思って捨てちゃったものでも、
拾って、きれいにして、ちゃんと並べたら、
みんなをたのしませることができて、
十分、仕事になるんじゃないかなって
ぼくは町人として期待しているわけです。
だから、小林秀雄の話なんかでも、
「小林秀雄を読んでる人は偉い」
っていう人に話してもらうと困るわけです。
河野
はい(笑)。
糸井
そうじゃなくて、
小林秀雄が時間軸の話になったり、
もう、突拍子もない言い方だけど、
ニーチェが三國万里子に降臨したり、
ニュートンがお菓子になったり、
そういうものをみんなが本当は
求めていると思うんですよね。

どっちが最先端かを競って、
外国の事情をいち早く取り入れることで
わーわー競争しているようなことじゃなく、
人がほんとうにおもしろいと
思っているようなことが仕事になる。
みんなが望んでいるのは、
どこかこう、手触りのある、
いってみれば「魂」ということばを
使わなきゃなんないような
何かなんじゃないかなというのが、
お二人の話をうかがっていて思ったことです。
河野
はい、よくわかります。
糸井
なんだか、3人で同じ話をしている。
早野
しかし、今日のぼくらの話は、
まったく打ち合わせをせずに
こういう展開になっちゃったんですから、
ちょっとすごくないですか(笑)。
河野
(笑)
糸井
ねえ、本当です。
大事な部分は同じですもんね(笑)。
さて、じゃあ、挨拶の最後に、
この「ほぼ日」という場所についての印象を
うかがって終わりにしようかなと思います。
これまでの環境と、何が違うんですかね?
早野
何が違うと思ったか‥‥ふーむ‥‥。
河野
ぼくは、早野先生と比べて
答えやすいかもしれません。
というのも、ぼくがつくっていた雑誌にも、
「ほぼ日」にも「お客さん」がいるんですね。
で、ぼくは『考える人』の
リニューアルの際のイベントを
「ほぼ日」のTOBICHIでやってもらったんですが、
お客さんがはっきりと違うんですよ。
年齢層や性別というプロフィールだけじゃなくて、
本屋さんでは絶対にこの本を
手に取ってくださらないだろうなという方が、
「ほぼ日」を通すことで集まってくださる。
TOBICHIに来て、はじめて手に取って、買って、
「予想してたのよりずっとおもしろかったです」
という感想を送ってくださるくらいの関係ができる。
それはもう、別世界と感じるほどの驚きでした。
あれは、なんなんだろうと思うんですが‥‥。
糸井
ああ。いまね、
すごくいいヒントをいただきました。
つまり、河野さんがこれまで相手をしてた方々は、
年齢にかかわらず「読書人」だったんです。
河野
ああ、そうですね。
糸井
一方、ぼくらがお相手をしてきたお客さんたちは、
年齢や性別にかかわらず「生活人」なんですよ。
いま「読書人」に対応する意味で
「生活人」ということばをはじめてつかいましたけど、
自分で言って、すごく腑に落ちました。
つまり、「読書人」として
教養を追いかけているわけじゃなくて、
「生活人」が追いかけるものって、
ご飯を食べるのと同じように
おもしろいこと、たのしいものなんですよね。
違う言い方をすると、
本を読むのはとてもいいことですけど、
本を読む機会がなかった人を
バカにしちゃダメだっていうことは、
何度もぼくは原稿にしてきたと思います。
それは、けっこう大事なことだと思ってて。
河野
ぼくもそう思います。
糸井
河野さんのお話をうかがっていて、
自分たちが「生活人」で、
だからこそそういうお客さんを
ひきつけているんだ
ということがよくわかりました。
ありがとうございます。
早野さん、いかがですか?
早野
はい。非常に端的に言うと、
自分はアカデミズムの世界にずっといて、
それこそ「生活人」とは別の次元に
暮らしているように見られていて、
事実、そうだった時期も
あるかもしれないんですけど、
でも、当たり前ですけれど、自分も、
ご飯食べて風呂入って寝る人なんですよ(笑)。
糸井
(笑)
早野
それなしには、やっぱりどんな営みも、
長くは続けていけないわけです。
で、この「ほぼ日」というのは、
その当たり前のことを取り戻せるヒントが
たくさんある場所なんじゃないかな。
糸井
ああ、なるほど。
早野
それはどんな仕事をしている人にとっても
非常に大事な部分だと思いますね。
で、ぼくが自分でそれに気づいたのは、
先日、自分が撮り溜めた写真を
たくさん見返したからです。
糸井
あ、ご自身の写真展で。
早野
そうです。東大をやめるタイミングで、
最近6年間毎日撮った写真を
日付順にぜんぶ展示する写真展をやったんですけど、
それを機会に自分が撮った写真を
あらためて振り返ってみたら、自分が毎日毎日、
いったい何を撮っているかということを
目の当たりにしたわけです。
河野
なるほど。
早野
撮った写真を時系列に並べてみると、
いっそうよくわかりました。
いかに自分が「生活しているか」ということを。
糸井
「生活人」ですね。
早野
ええ、生活してる人なんですよ、自分もね。
自分の写真展の写真のなかに、
それがはっきりと表れているのを見て、
これは「ほぼ日」がやっていることと
じつは同じなんだなと思ったんですよね。
だから、たぶん、いっしょにやるのは、
ぜんぜん難しいことではないなあ、と。
糸井
だってもともと、ぼくと早野さんは、
ホットケーキを介しての知り合いですからね。
早野
そうです、そうです(笑)。
糸井
神田においしいホットケーキを出す老舗があって、
それがある夏に店を閉めることになったんです。
で、もう食べられなくなるっていうから、
お店に行って並んでいたら、早野さんが
すでに食べたということをツイートしていた。
それが、ぼくと早野さんが
直接話をするきっかけになったんです。
早野
そうでしたねぇ(笑)。神田のね。
河野
あ、わかりました。あそこですね。
糸井
万惣のホットケーキ。
河野
万惣、万惣。わかりました。
ぼくも、あの時期、小川町にいたので。
いや、万惣のホットケーキがなくなるのは、
大事件でした(笑)。
早野
大事件でした(笑)。
糸井
大事件でした(笑)。
河野
(笑)
早野
だから、やっぱり、「生活」なんですね。
糸井
つまり、アートと、サイエンスと、ライフ。
早野
おお、なんと。
糸井
考えてみるとぼくは
「ライフ」ということばのまわりを
ずーっと追いかけているんですよね。
昔から、散々使われた手垢のついたことばなのに、
大事なところで平気で使ってるんです。
それは、なんかね、歳をとるにしたがって、
「ライフ」ということばに自信ができたんです。
だから、たとえば、上場して
経済系のメディアからたくさん取材されるときは、
「経済人」としてのコメントを求められるわけです。
でも、そういうときも、どうにかして、
「生活人」として食い下がってる(笑)。
生活ができれば、経済も読書も
その上に乗っけていけるんですよね。
だから、そういう意味では、
いままでやってきたことが
間違ってなかったな、っていう気がしています。
さあて‥‥どうなるでしょう?
早野
(笑)
河野
(笑)
糸井
みなさんも、ぼくらも、おたのしみに!
ということで、この場を終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。
そして、よろしくお願いします。
早野
よろしくお願いします(笑)。
河野
よろしくお願いします。

2017-04-19-WED

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