33の悩み、33の答え。

読者から寄せられた
数百の悩みや疑問から「33」を選びました。
そして、それらの悩みや疑問に、
33人の「はたらく人」が答えてくれました。
6月9日(火)から
毎日ひとりずつ、答えをアップしていきます。

Q005

なやみ

長くはたらいた先には、
どんな気持ちが待っているのでしょうか。

(35歳・教員)

この先、何十年も「はたらくこと」を続けた先には、どんな気持ちが待ち受けているのか、人生の先輩に聞きたいです。今わたしは、はたらくことを約10年、続けてきました。わたしにとって、この最初の10年は、自分自身「よく続けられたなあ」という思いと、知らなかった世界に対する「驚き」の期間でした。わたしよりももっと長く、何十年もはたらいた先には、いったいどんな気持ちが待っているのでしょうか。

こたえ

答えをすぐに求めすぎていると思う。
好きなことをやれているなら、
心配しなくても、自然にわかります。

こたえた人柚木沙弥郎さん(染色家)

──
柚木先生は、はじめ、倉敷にある
大原美術館にお勤めになられたんですよね。
柚木
そう、22歳から。
それからずっと、やってきたんだけども。
──
ということは、もう「75年」くらい、
お仕事をしてらっしゃる。
柚木
うん、でもそれは、
自然にそうなったわけでね。
──
はい。
柚木
だからさ、この人も、
そんなに先のことを心配しなくたって、
いいんじゃないの。
──
ああ、そう思われますか(笑)。
柚木
だって、自然にわかりますよ。
そのときがくればね。

ああ、あっと言う間だったとか、
まだまだ足りないなあとか。
そのとき、自分がどう思うってことは、
そんなことは、そのうちに。
──
先生は、どうですか。
75年という年月を振り返ってみて、
いかがでしょう。
柚木
ぼくはね、女子美(術大学)で
教えていたんだけど、
もうね、定年になるのを、
ずっと待ち焦がれていたんだ。
──
そうなんですか。
柚木
うん。早く定年がこないかと待ち焦がれて、
そしたら、こんどは
大学院とかいうもんができちゃったんで。

それから、
また何年かお願いしますってことになって。
──
学長さんでらっしゃったんですよね。
柚木
そう。学長をやってた4年間というのは、
もう、本当に
学校のことだけしかできなかった。

校舎の移転だとか、学部の新設だとか、
いろいろあってさ。
朝から晩まで、会議ばっかりだし。
──
じゃあ、
染め物も、絵を描いたりも、あまりできず。
柚木
そう。ぼくは、
はやく自分の本分に集中したかった。
だから、定年になって
「ああ、これからどうなるだろう、
どうやっていこうか」
なんてことは、いっさい考えなかったな。
──
そうですか。
柚木
こうして長いことやってきて、
いろんなことがあったけれども、
ぼくは、仕事がおもしろかったからね。
──
定年したら、本分をやるんだ、と。

以前に、話をうかがった
画家の笹尾光彦さんも
「これが本分と思える仕事に出会える人生ほど、
すばらしいものはない」
っておっしゃっていました。
柚木
うん。それがね、いちばんだね。
一生懸命にやっていれば、
次から次へとお願いが来てさ。

その流れに乗っかって、
ひとつひとつの仕事に対して、
自分流に解釈して答えを出していたら、
自然に、時間が過ぎていった。
──
長かったですか、短かったですか。
これまでの75年間。
柚木
短くはないけど、時間は意識しない。
ただただ、無我夢中だった。
──
無我夢中。
柚木
とくに、ぼくらのころは戦争があったからね。
10年後はどうだろう、
20年後はどうだろうって考える余裕もないまま、
ここまで来ちゃったね。
──
ああ、そうですよね。
先が見えないという意味では、
今よりもずっと‥‥。
柚木
まず、食べるものが不足していたし。
柚木
先生はたしか、
東京大学で学んでいるときに、学徒動員で。
柚木
そう、だからね、戦争が終わったときに、
どっちへ行ったらいいだろうって。

そのときは、ずいぶん途方に暮れましたよ。
ちょっとだけ大学に戻ったけど、
もう勉強はいいやと思った。
──
そうですか。
柚木
どうしても、おもしろいと思えなかった。
で、たまたま
倉敷の大原美術館に勤めたんだけど、
当時の館長が
民藝の柳宗悦に傾倒していた人でね。

そういうものに囲まれて暮らしているうちに
「ああ、こっちもいいなあ」と思って。
──
染め物の道へ。
柚木
終戦直後なんて、
闇市で何か食べものを買えたらいいほうで、
みんな食うや食わずだった。

でも、そういう状態でも、
ぼくには少し楽天的なところがあるのか、
どうにかなるだろうと思っていた。
──
どうして、そう思えたんでしょうか。
柚木
大学を辞めて、
これだと思う道が見つかっていたから、
それで、どうにかなるだろうと
思っていたのかな。

だから、この人だってきっと、
先生の仕事が好きなんでしょう。
──
そんな感じがします、文面からは。
柚木
だったら、好きなことさえやれていれば、
大丈夫ですよ。

この道の先がどうなっているかなんて、
そんなに心配しなくたって。
──
そうですか。
柚木
もし、そうじゃないなら、
自分は何がおもしろいと思うかを
つかむほうが、先でしょうね。

イヤイヤやらされてるって感じじゃあ、
うまくいかないよ。
──
35歳からでも、遅くはないですか。
柚木
遅くなんてない。大早いよ!
──
「大早い」(笑)。
柚木
ぼくなんて、
「ちょっと遅かったかなあ」って考えが
出だしたのは、
ここ80歳くらいからだもん。
──
はああ‥‥そうなんですか。80歳。
柚木
いまはデジタルで、
ボタンを押せばガチャンと出てくるでしょう。

答えっていうか、そんなようなものがね。
──
ええ。
柚木
すっかりそういう時代になっているけど、
みんな、
結果をすぐに求めすぎていると思う。

そうじゃなくて、何ていうんだろう、
その道中をね、もっと楽しんだほうがいい。
そこが、おもしろいところ。
それこそが、人生。
──
はい。
柚木
そうやってさ、
どこへ流れていくのかわかんないけど、
どんどん攻めていくだけですよ。
──
先生は、そうされてるんですもんね。
柚木
そうですよ。

ドンチャチャドンチャチャって、
自分で自分に掛け声かけてやってんです。
──
今も。
柚木
うん。
──
先生は、お休みの日ってあるんですか。
柚木
う~ん、ない。
──
ないんですか!
柚木
毎日が休みっていえば、休み。

でも、今日だって明日だって、
この家の3階(のアトリエ)によじのぼって、
いろいろやってる。
そのときは、
ずーっと集中してものを考えている。
──
どんなふうにしようかと。
柚木
朝方、目の覚めるころに
「ああ、それは、いいな」っていう図案を、
よく考えつくんだ。
──
先生は、今年で‥‥。
柚木
98歳。それよりもさ。
──
はい。
柚木
こないだの仕事の印刷見本、はやくつくって見せてよ。
【2020年3月5日 渋谷・富ヶ谷にて】

このコンテンツは、
ほんとうは‥‥‥‥。

今回の展覧会のメインの展示となる
「33の悩み、33の答え。」
は、「答え」の「エッセンス」を抽出し、
会場(PARCO MUSEUM TOKYO)の
壁や床を埋め尽くすように
展示しようと思っていました。
(画像は、途中段階のデザインです)

照明もちょっと薄暗くして、
33の悩みと答えでいっぱいの森の中を
自由に歩きまわったり、
どっちだろうって
さまよったりしていただいたあと、
最後は、
明るい光に満ちた「森の外」へ出ていく、
そんな空間をつくろうと思ってました。

そして、このページでお読みいただいた
インタビュー全文を、
展覧会の公式図録に掲載しようか‥‥と。
PARCO MUSEUM TOKYOでの開催は
中止とはなりましたが、
展覧会の公式図録は、現在、製作中です。

書籍なので一般の書店にも流通しますが、
ほぼ日ストアでは、
特別なケースに入った「特別版」を
限定受注販売いたします。
8月上旬の出荷で、
ただいま、こちらのページ
ご予約を承っております。

和田ラヂヲ先生による描きおろし
「はたらく4コマ漫画」も収録してます!
どうぞ、おたのしみに。