橋本治と話す平賀源内。





第9回

体系づけない人達の体系。

橋本 田沼意次時代っていうのは
どういう時代かっていうと、
あんま日本史の専門家でもないんだけど、
要するに、徳川幕府っていうのは、
農民の税金から成り立ってるじゃない?
で、都市が盛んになってて、
商人税金払わなくていいわけじゃない?
で、田沼は、その商人から税金を取ろう、
商人を対象にしようとして、
古い武士たちから嫌われて、
っていうのあるんだけど。
いってみればさ、地方が、
これじゃもうジリ貧だから、
第3セクター作って金儲けしましょう的なものが
田沼の時代なんじゃないかな? と思うのね。
で、そのぐらいにイケイケになっちゃってるから、
大名家が、平賀源内呼ぼう、呼ぼう、呼ぼう
っていうようなことって、やらない‥‥。
糸井 つまり、市場経済の発展系が、
アイデアをとる人だよね。
橋本 平賀源内って物産会(ぶっさんえ)やってたから、
博物学っつうか、博覧会屋さんじゃない?
地方枠の時代なわけですよ。
そうすると、それで、その公の大名レベルの
バブルの時代が、
いっぺん田沼ではじけてしまって、
緊縮財政がくるんだけど、
けっきょく金持ってるヤツは
持ってるヤツだからって、
町人芸術の時代になってきて、
浮世絵が盛んになってくる。
春信っていうのは、上層商人の浮世絵なんですよ。
糸井 見るからに品がいいんですよね。
橋本 春信の代表作の「座敷八景」って
いうのがあるんだけど、あれもね、
いってみればいただきなのね。
あれはね、はじめ、金持ちの旗本が、
春信に金を出して、
こういうのみんなに配りたいからやれ、
っていってて、それで、まあ、
錦絵っていうのが発展してく
きっかけになるんだけど。
版木代から何から何までぜーんぶ用意してるわけ。
で、袋に入れて、はい、いいでしょう?
「近江八景」の見本版だよ〜、っていって、
みんなに配るわけ。
そうすると版木が残ってるから、
版元が、ウチで残り刷らしていただいて
よろしいでしょうか?
あ、いいよ、いいよ、
それで商品として売り出したの。
糸井 あ。もとは、じゃ、
プレタポルテだったんだ(笑)。
橋本 そうなの。だから、上層町人っていうか、
その、旗本やなんかでも、
武士の文化が、ちょっとしたら
町人の文化来るって、
武士でも町人でもあるっていう吉原的なね、
中間層があるから、
そこへ持ってこれるわけですよ。
ここに文化があるわけ。
それが平賀源内の時代で。
写楽の時代とか北斎の時代になると──
糸井 町人のほうに実態がいってるわけだね。うーん。
橋本 だから、その、もうちょっと
実質的にもの考えてもいいのかな? になって、
渡辺崋山の出番かな、とかは思うけどさ。
糸井 ウチの新しい事務所のそばに、
荻生徂徠の墓っていうのがあって、
荻生徂徠っていうと、
カルチャーセンターみたいにして
仕事してたらしいね。
橋本 そうなの?
糸井 すごい蒔絵の弁当みたいなので、
みなさんを集めて。
で、大事なお話をしたりして、
会合を持ってたらしい。
橋本 荻生徂徠も貧乏で、
豆腐屋でおからばっかり買ってたって。
糸井 というはずなんです。
橋本 うん。だから、それがあるから負けるな、
と思ったのかもしれないな(笑)。
糸井 あと、敵討ちみたいに(笑)。
橋本 あ〜、荻生徂徠の話するとなぁ〜‥‥。
すごい話があるんだけどさ。
いや、ま、それはもう関係ない話だ。
あのね、私、今、ちょっと小林秀雄の書いた
『本居宣長』、素材にしてるんだけど。
んで、それでやってくとね、
小林秀雄が本居宣長論を始める前に、
本居宣長が生まれるまでの、
町人学者の話を延々書いてるわけ。
糸井 小林秀雄が。
橋本 しかも、本居宣長に影響を与えた
契沖(けいちゅう)が、ってやって、
その契沖に影響を与えた誰が、って
どんどん前に遡ってるわけ。
そうすると、中江藤樹(なかえとうじゅ)
ってところに行き着くのね。
それが、近世の、
戦国時代が終わったぐらいの頃に登場して、
ってやってて。
小林秀雄がそういう並べ方してる面では
何もいわないんだけど、
俺から見れば、はぁ〜、じゃ、
学問の始まりは中江藤樹で、
中江藤樹の始まりは近世の始まりだから、
古ーい時代が終わって、
もういっぺん学問して、
みんなで物事のありかたを
考え直そうっていうスタート地点が、
近世にあってもいいのか?
っていう話になっちゃうから。
で、小林秀雄はそういう考え方を
したかったんじゃないのか、って思うんですよ。
でも、明治維新になって近代になって、
ヨーロッパがやってきて、
日本はそこから始まるって
いうふうになるんだけど、
それまでにあった日本人の学問とか
大切なものって、どこにいったの?
っていうと、ヨーロッパと違うっていうかたちで、
なんかみんな押し入れに入れられちゃう、
みたいな気がすんのね。
でもさ、近世の始めで中江藤樹が
自分の頭で考え始めて、
いってみれば、江戸時代の学問って、
町人学者がつくって、
体系持ってないからバラバラになって
消えちゃってるってとこがあるんだけど、
生活に不自由がなくなった人たちが
自分なりに勉強して、
世の中のありかたを研究しようと
していたっていう、
それこそフィレンツェみたいなとこで、
もっと‥‥。
糸井 坊さん以外がね。うん。
橋本 うん、教会から自由だから、
もっとすごいんじゃないかと思うのね。
だから、そういう時代だからこそ、
南蛮蒔絵とか、あの蒲生氏郷のところの、
西洋の王様の屏風絵とかっていう、
そういうものが登場するんじゃないのか、
と思うもん。そんでね、南蛮蒔絵とか、
その西洋の人たち、
西洋って、そんな敷居が
高いものじゃないんだよね。
だって、敷居が高かったらさ、
じゃあ、シナイ山とかを描かなくちゃ
いけないんでございましょうか?
みたいなふうになるけど、
そんなことぜんっぜんしないでしょ?
糸井 考えずに、っていう。
橋本 うん。ほんで、その伝統がさ、
有田とか伊万里の焼き物のほうにいくとさ、
ロンドンのビクトリア・アルバート美術館に
行くと、有田や伊万里のティーカップセットが
いっぱいあって、
輸出資料でいっぱい作ってるわけじゃない?
江戸時代にも。
だから、日本人は、日本のまんま
西洋のティーカップをつくってたわけよ。
ああ、ああ、そちらの茶碗は、
こないなもんで、取っ手が付くでござんすか、
っていいながらさ、
平気で日本的なものを入れちゃうわけじゃない?
その、媚びなさ加減?
敷居の高さの気にしなさ加減
みたいなものっていうの、
俺、なんかね、もの考えないで
もの作ってる人のほうがすごいと思うの。
それ、渡辺崋山だって
アルバイトで絵を描いてたら、
油絵描くっていう方向にいかないから、
渡辺崋山は西洋風の絵を
取り込んだっていうことが
高く評価されないのかどうなのか。
「鷹見泉石像」は国宝なんだけど、
でも渡辺崋山の絵っていうのは、
美術史の中でどう位置づけするんですか?
っていうと、微妙にわからなくなっちゃう、
っていう。
糸井 つまり、体系づけない人たちの
体系については‥‥。
橋本 そうそうそう。
すごく素敵なものがいっぱいあるの。
そんでね、渡辺崋山の後にくるのが、
高橋由一なんですよ。鮭描いた。
で、あの人も、侍で、
もと狩野派の描いてるんだよね。
で、狩野派の絵描いてて、
油絵の具ないから、自分で作るのさ。
で、平賀源内の油絵っていうのは、
長崎からあったんじゃないですか?
って、さっき説明聞いたんだけど、
高橋由一は絵の具、自分で作るんだよね。
ほんで、高橋由一の時代っていうのは、
西洋人が来て絵を教えてたっていうのがあるけど、
東京芸大の前身になるようなものが
できてるところとは別のところにいるわけ。
旧幕時代の生き残りの、
変わり者の侍なわけですよ。
で、その人が、西洋の絵っていうのは、
リアルに描くことなのだ、
リアルに見るということはすごいんだ、
と思って、豆腐と油揚げを描いてみよう、
って描くわけじゃないですか。
んで、新巻き鮭、これは、意味があるぞ、
って描くわけじゃないですか。
糸井 すごいよなぁ〜。
橋本 うん。だからね、俺、
その、豆腐とか新巻き鮭を描いちゃう
高橋由一のすごさっていうのを、
その後の日本美術って受け継いだのかなぁ?
っていう気が、とってもするのよ。
フェノロサがやってきて、
岡倉天心きて、狩野芳崖の絵をもとにして、
新しい日本画作りました、
とかってやるんだけど、
そういうものとはぜんっぜん別のところにいた、
なんか、すごい個人の列っていうのが、
じつは日本なんじゃないのかな?
っていう気がするのね。
糸井 それは、橋本治論みたいに聞こえるね。
橋本 私、そんなにすごくないです。
糸井 いや、すごくなくてもいいけど、
位置的にはそういう場所に、ね。
橋本 あ、いるんだったら、
自分はそこしかないもん。
糸井 ねぇ。鮭描いてる人だよね。
橋本 うん。だって俺、
バイトでわけのわかんない小説書いてさ、
新人賞の佳作という中途半端なところでさ。
糸井 (笑)
橋本 で、ふつう日の目見ないんだけど、
日の目見ちゃってっていう、
これ、作家としてどうなんだろう?
っていうところから、
ずーっと変なことやってるわけじゃないですか。
だから、ポジション的にはそうで。
それで、平賀源内の意味ってことになるとさ、
やっぱしその、
日本の一筋の人のヘビーさっていうのは
あるんだけど、平賀源内は一筋になれない、
っていうところを逆手にとったのか、
それとも巻き込まれたのか知れないけど、
一筋になれずにバーッて
拡散しちゃったっていうところあるでしょう?
で、拡散しても、なんか意味があるって
いうところで、平賀源内がいるかな?
っていうのもあるんだけど。
でも、それを真似しても、
やっぱし、マルチで一山幾らになっちゃうから、
つまんなかっただろうな、
っていう気がしてね。



次回は「日本の小説の源流」についてです。


2004-03-23-TUE
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