ジブリの仕事のやりかた。
ハウルの動く城・公開直前の最新談話!


26
 いちばんつらかった仕事。

糸井 鈴木さんが、目を輝かせて
ドラゴンズのことを語れるのは、
やっぱり、中日というチームが、
今年活躍をしているからですよね?

ジャイアンツファンのぼくが
このごろ思っているのは真逆で……
「もう、報知新聞をやめようかなぁ」
ということでして。

今、ほんとに、おもしろくないんです。

熱狂的な
ジャイアンツファンだったときとはちがう
醒めた目で読んでいると、
ジャイアンツというチームの
いろいろなことが中途半端で……
おもしろくないんです。

もちろん、今でも
ジャイアンツファンでありたいという
気持ちはあるし、
好きじゃなくなって別れたわけではない、
という関係なんだけれども。

もしも中日が不甲斐なかったり、
お客さんが見ておもしろくないような
試合を続けたりしていると、
きっと鈴木さんも中日スポーツを読んで、
こんな気持ちになるんじゃないかなぁ、
と思うんです。

今は、大リーグも含めて、
ジャイアンツファンから見ても
「俺の好きな
 ジャイアンツがいないのにおもしろい」
という試合がやたらと多いですから。
鈴木 ありえなかったこと、ですよね。
糸井 ……ありえなかった。

ぼくは、小学生ときに名言をいったんです

「イトイくんは、
 オールスターゲーム、見ないの?」

「いや、俺にとっての
 オールスターゲームっていうのは、
 ジャイアンツのメンバーが
 ぜんぶ出ている試合のことだから」

鈴木 (笑)すごく、わかりますよ。
糸井 わかるでしょう?
ファンって、そうだから。

落合監督は、中日から
ジャイアンツにいったときは敵でしたよね?
鈴木さんは「この野郎!」と思いましたか?
鈴木 ぼく、落合、好きだったんです。
糸井 他に、中日から巨人に行った人って、
あんまりいないですねぇ。
鈴木 ジャイアンツから
中日に来たのは、与那嶺ですよね。
糸井 (笑)古い!
鈴木 与那嶺が、
のちに監督になったじゃないですか。
あのときぼくは週刊誌の記者をやっていて、
ぼくもこれまで
いろんな仕事をやったんですけど、
いちばんつらい仕事がそのときでした。
与那嶺が優勝するとき、
記事のタイトルが最初から決められたんです。
「中日優勝の裏で動くお金はいくらか?」
と……。
糸井 あぁ、意地悪に暴きたてるような記事。
鈴木 これは……ほんとに、つらかったですよね。
「そんなことを、なぜ、ぼくが!」
いろんな仕事やりましたけど、
今までの生涯で、いちばんつらい仕事です。

まあ、ねぇ、タイトル決まっちゃってるんで、
しょうがないから名古屋に行って……
仕事ですからね、ちゃんと、
お金が動いているかをきいてみたら、
ほんとにあるんです。

あのときはいろいろな事情があったんでしょう。
ひとつ憶えているのは、
「読売新聞が名古屋に進出するために、
 それをなんとか阻止するための
 至上命令として
 中日ドラゴンズの優勝がかかげられていた」
ということで……。

とにかく、
優勝しなきゃならないというんで、
ヒット一本いくら、どういう状況で
打つといくらということを書いた「表」を、
ぼくは当時、手に入れました。

その表によると、
相手によって金額がぜんぶ違うんです。
ジャイアンツ戦ならこう、広島戦ならこうと。
その表を手にしたとき、
ぼくはほんとに、その日はもう、
涙なしには寝られなかったっていうか……。
糸井 (笑)発表しないもするも、
自分の胸先三寸ですよね。
鈴木 そうなんですよ。
糸井 でも、きっと、発表したんでしょうね。
鈴木 やっぱり、発表しました。
与那嶺監督にも取材をしようとしたんですが、
マネージャーに、むずかしい
日本語は通じないよといわれたんです。
与那嶺監督へのぼくの最初の質問は、
いまだに忘れられないんですけど、
「監督、いよいよ王手がかかりましたね」
「オウテ? ナニソレ?」
……いきなり困ちゃったんですけどね。
とにかくあれが、いちばんつらい仕事です。
糸井 (笑)正直な話、
鈴木さんのそのつらさは、
ぼくは何とも思わないというか、
想像はできないんですけど、
報償金を与えただけで
優勝できる範囲なら、犯罪ではないですよね?
鈴木 まあ、なんとか
励まそうとしたんだと思いますけど。
その記事の取材、ちょっと細かいところまで
憶えてないんですよね。
とにかく、
ほんとにがんばって優勝した年、でした。
糸井 鈴木さんの好きな
中日の権藤博は、すごかったですよね。
若々しくて、いっぱい投げて、ねぇ……。
鈴木 ええ、大好きでした。
糸井 あの、大洋にも、
権藤(正利)というピッチャーがいましたね。
鈴木 両方、いましたもんね。
権藤博は、
一年目に三五勝でしょう?
二年目に三〇勝でしょう?
で、三年目は十勝で、四年目はゼロ。
三年で終ったピッチャーなんです。
糸井 酷使して、倒れた。
鈴木 五年目は、野手転向ですよね。
サードとしてデビューなんです。
ぼくはあの男のことはもう好きで……
腕が折れても投げるという。

ただ、細かいことは
忘れちゃったんだけど、三五勝したとき、
出た試合が七〇試合だったかなぁ。

ピッチャーで出ないときは、代打で出るんです。
それから、昔、ダブルヘッダーって、
あったじゃないですか。
そうすると、第一試合目は完封で、
第二試合目は抑えに出るという……
新聞では、
「権藤、権藤、雨、権藤」
といわれていて。
糸井 あ、憶えています、それ。
晴れていて試合があるときは
ほぼ毎日、投げていたという。
鈴木 もうとにかく、
毎日のように出てたんです。
いいピッチャーでしたよねぇ。

ぼくは生涯に一回だけ、中日以外を
応援したことがあるんですが、
それはドラゴンズと、
権藤が監督をしている
横浜べイスターズが戦ったときでして……
それまで、ドラゴンズ以外を
応援したいとは一度も思わなかったんですが、
ぼくは権藤が好きだったんです。
糸井 そのときの中日の監督は、誰だったんですか?
鈴木 星野です。
ぼくは、権藤のほうが好きでしたね。
子どものときの印象が強烈だから。
糸井 横浜の権藤時代っていうのは、
また、おもしろかったですよねぇ。
説明もよかったし、ファンは
納得のいくシーズンをすごしていましたから。
実際に日本一になりましたし。
鈴木 おもしろかったですよ。
権藤がピッチングコーチとして
行ったチームは、
ぜんぶ優勝していますよね。
中日、近鉄、ダイエー、横浜。

ダイエーには、王監督が招いたんだけど、
ピッチャーがほとんど
新人だらけだったのに
すごい野球をやったんですよね。

要するに、
ピッチャーに対するすべてのサインが
ベンチの権藤から出ていたんですから。

ピッチャーが投げるときに
ベンチを見ていた(笑)。
糸井 ドラゴンズ以上に、権藤が好きでしたか?
鈴木 だってやっぱり、
自分が応援をしていた全盛期ですから。

とにかく、権藤さえ出れば
勝てるかもしれないと思えたから。
糸井 今年の中日は、おもしろかったですねぇ。
鈴木 はい。
ぼくは星野の“劇場の野球”も、
あんまり好きじゃなかったんです。
落合っていうのは、
プロの野球を見せてくれたんですよね。
糸井 去年の秋の練習が
あまりにもキツかったという話をきくと、
落合のヘラヘラしてるふうに
見せていることは、おそろしいです。
鈴木 落合は、選手の体力がないのに
驚いたっていうんですよね。
とにかく落合野球は
ほんとにおもしろかったなぁ。
糸井 「おもしろかった」って、過去形で?
鈴木 (笑)もうすぐ日本一になりますから、
もう、先にいっとくんです。

なにしろ、ドラゴンズにとっては、
敵が、ジャイアンツじゃないですか。

落合が監督に就任したときに
出した方針が、ぜんぶ
アンチジャイアンツでしょう?
あれはうれしかったですねぇ。
糸井 ぜんぶ、
ひっくりかえしにしてましたよね。
鈴木 トレードしないとかからはじまって、
反時代的っていうのがうれしかった。

ぼくは、あの落合っていう人が
監督になったときには、
こんなにすごいとは思わなかったですよ。

最初の記者会見をきいたときは、
びっくりしました。

「とにかく、優勝する。
 そのために何をやるかというと……」

そのあとの説明が、
トレードはしないだの、
一、二軍制は撤廃するだの、
右の四番打者を日本人で作るだの、
非常に具体的なんですよね。
糸井 「そんなことを、
 そんなにあっというまにできるのか?」
と、みんなが思ったですよね。
鈴木 ええ。しかも、
「この戦力で日本一になれなかったら、
 わたしの責任です」

というから……
おいおい、だいじょうぶなのか? と。
糸井 そのときのことを、
ぼくは意外と冷静に憶えているんですが、
ないことじゃないなぁ、と思ったんです。

単純な話ですが、
投手力が圧倒的にいいのは中日ですからね。
去年も阪神に次いで二位でしょう?

防御率も阪神と
どちらがいいかわからないぐらいいいんです。
だいたい、
チームの強さって、防御率の順、なんですよ。
ぼくは、
「ジャイアンツが勝っていたときにそうだったなぁ」
と思い出すんです。コーチが
「あいつが打たれたおかげで
 チーム防御率が二点台から三点台になっちゃうよ」
なんていっているすごい時代には、
絶対に優勝していましたから。
鈴木 ああ、なるほど。
中日が前に優勝したときも、
防御率が2点代で、宮田コーチです。
糸井 あぁ、宮田さん、よかったなぁ。
鈴木 それで、次の年に、
ジャイアンツに、持ってかれたんです(笑)
糸井 そうです。
宮田さんはね、ぼくの高校の先輩なんですよ。
あの人の教え方は明快でしたよね。

権藤さんに似たところを感じるじゃないですか。
宮田さんとは、縁があって、
ずいぶんお話をさせていただいたんですが、
おもしろいですよね。
鈴木 やっぱり、
ピッチングコーチって、大事なんですね。

記者会見でおぼえているんですけど、落合も
「野球はピッチャーですから、
 バッターがいくらふっても意味がない」
といっていまして……
自分がバッターだったのに、
よく言うな、と思ったんですけど。
糸井 野球って、攻撃をしかけるのは、
ピッチャーなんですよね。

ヨーイ、ドン、があるとしたら、
はじめにしかけるのはピッチャーですから。

イニシアチブは、
必ずピッチャーの側にあるし、
バッターは受け身なんです。
だから気の強い人ばっかりじゃないですか、
ピッチャーって……。
  (野球談義は、さらにつづきましたが、今回の
 鈴木敏夫さんと糸井重里の会話はここまでにします。
 鈴木さんをはじめとしたスタジオジブリ関係者の、
 今後の「ほぼ日」への登場も、
 どうぞ、たのしみに待っていてくださいませ──!)

感想メールはこちらへ! 件名を「ジブリの仕事」にして、
postman@1101.comまで、
ぜひ感想をくださいね!
ディア・フレンド このページを
友だちに知らせる。

2004-11-03-WED

HOME
ホーム