返事の期待値が低い手紙を入れるところは、ポストでもゴミ箱でも鍵付きの引き出しでもあまり変わらない。少なくともその時、ずぶぬれでガードレールにもたれてた彼女の手紙は結局ポストには入らなかった。

 雨の月曜日、買いたてのフロムA濡れないように抱えて走ってると。向こうの方のガードレールに寄りかかるようにしてる人影が見えた。壊れたマネキンとか、誰か捨てたんだろうなとか思って。無視してダッシュで通り抜けた。猫がその近くでにゃーとないた。なんか人間だった気がするけど別にいいや、ケガしてりゃ勝手に病院行くだろうし、酔っぱらいだったら帰る家がある。灰色の街で俺らが上手く生き抜く秘訣は、関わらない目立たない本気にならないの3箇条だった。ただあの猫だけは気になる、俺は結構猫好きなんだ。それからもうしばらく走ってやっと家に着いて、濡れて藍色になったシャツと髪を拭いたタオルを洗濯機にたたき込んで、オレンジ色のフリースを着た。コーヒーでも飲もうと思って、ポットの再沸騰を押す。
 突然、ドアが開く音がした。自慢じゃないけど俺はあんまり友達がいないから驚いて見に行くと、サキが猫を抱えてつったってた。サキはその数少ない友人の一人で、わりとろくでもない方の人間だ。その日もいきなりこんなことをゆった。
「このアパートってペットOK?」
「残念だけど、ダメ」
「天使はいい?」
「なにそれ」
ついにイッちゃったかと少々哀れみを込めた目でサキを見ると、サキは表情一つ変えずにちらりと後ろを見た、開けっ放しのドアから入ってきたのは華奢な感じの女のコで、あのガードレールのトコにいた子だと何となく分かった。遠くの方でポットが甲高い電子音でぼくを呼んでいた。ぴりりり、ぴりりり、ぴりりりり・・・

「サキ何考えてんだよ、人間は犬や猫とは違うんだぞ。」
「だって行くトコないってゆーからさ。それに藍路一人暮らしさみしいってゆってたじゃん」
「ゆってないよ、そんなこと!それに天使?からかうのもいいかげんにしろよな、とりあえずケーサツでもよばなきゃ」
「からかってないよ」
部屋の隅で毛布を被って、猫を抱いてずっと黙っていたのに、いきなりその自称天使の女のコが俺らの話に割り込んできた。凛として綺麗なソプラノだった。
「私は、天使だよ。ねぇコーヒーギューニュー」
猫はごろごろとのどを鳴らした、もしかして三毛猫だからコーヒー牛乳?くだんない。
「笑わないでよ、チンプだと思ったんでしょ。はまってるからこれでいいのよ」
顔に出てたらしい、猫も彼女もよくみたらかわいい。サキにこれ以上いっても無駄だろうし、まあなんとかなるだろう。
「ねえ、なまえはなんてゆーの?俺は藍路、アイジだよ」
「うーん、じゃあこの子がコーヒーギューニューだから。私はカフィーね」
「コーヒー?」
「ノンノン、カフィーね」
「どうせ本名じゃないんだろ。コーヒー飲む?」
「飲む」
「紅茶がいい」
「贅沢は却下」 
 俺はカップにお湯を入れてインスタントコーヒーのビンから直接粉を入れようとした、その瞬間サキが俺に裏拳をかましてくれた。攻撃された意味が分からなくて文句をゆうと湿気がはいってだまになりやすくなるからなんてゆう正当なのか何なのかよく分からない理由だった。ほんといてぇ・・・
「コーヒー飲んだら、俺帰るから」
「サキの家じゃないの、ここ?」
カフィーが目を丸くしてゆった。はい、ここは俺の家です。
「僕とアイジが同棲でもしてると思ったの?」
「やめてくれーそんなキモイ」
 サキは笑ってコーヒーを一気のみするとコートを羽織ってさっそうと出ていった。グラサン忘れてたから投げようと思ったら、クリスマスプレゼントだよってゆってまた笑って帰っていった。部屋にはボクとカフィーとコーヒーギューニューだけがいる。手に持ったマグカップからコーヒーの熱が手に移って、俺は久しぶりに自分の心臓の音を聞いた気がした。とっくの昔にコーヒーを飲み終わっていたカフィーが俺の部屋を物珍しそうにひっくりがえしてて、女のコってなんでこんなどうでも良いことをしたがるんだろうって思った。
「TV、ないの?この家」
「ないよ、嫌いなんだ」
そうゆうと彼女はつまらなそうに頬を膨らませると、4時から見たい映画があったのにとこぼした。何がみたかったのかと聞くと質問に答えずに部屋の隅から何だかよく分からない物を引っぱり出してきた。よく見るとむかし誰かから貰ったゴム製のカエル、管でつながってるボールを押すと飛び跳ねるって奴で、駄菓子屋で売ってるような奴。
「ねぇ、なんであんな雨の中にいたの?」
 カエルでコーヒーギューニューからかいながら、彼女は答える。
「家出、したの」
「なんで?」
 口元だけで笑って。親がうざかったからって、あと17が終わってしまう前にどうしても一回、家出をしておきたかったからだって。わかんないな。
 そのまま、しばらく会話が途切れて。彼女がスケッチブックを発見したときには驚いた、俺が昔使っていたスケッチブック。まだ夢から覚めていなかった頃の。カフィーはそれをめくりながら、ショーライの夢とかって、ある?ってきいた。
「昔は、絵描きになりたかったんだ。」
「ああ、ぽいよね。今は?」
「今はもういいんだ。俺くらいの絵を描く奴ならゴロゴロいるし」
「諦めたらダメだよ」
「ただの事実さ」
 ページをめくる、紙の音だけがやけに大きく耳について。どうしようもない思い出だけが俺を憂鬱にしていった。反比例してカフィーはたのしそうにスケッチブックを見ている。「ねえ、これサキ?」
「あー?うん、そう。若いねーコレ、15くらいじゃん?」
「ねぇ、私みちゃったんだけど」
「なにを」
「サキの手首、傷があった。あれリスカの後じゃない?」
 よくみてんな、こいつ。でもサキの名誉のためにいっておくと、あいつは別に死にたがりとか、そーゆーもんじゃない。けど、この世界はあいつが生きてゆくには少し過酷なのだ。
「自殺とかする人って最悪。死ぬ勇気があれば何だって出来るのに」
「生きる勇気と、死ぬ勇気じゃベクトルが違いすぎるよ。それにサキは死にたい訳じゃない。あいつはずっと夢を見ていきたいだけなんだ。けどみんな眠っている人がうらやましくって、たたき起こすのが大好きだから。サキがこれからもずっと夢を見続けるためにはもう自殺するくらいしか手がないのさ」
「ふーん、それならとっとと死んじゃえばいいのに」
「まあね、いろいろあるんですよ、うん」
「いくじなし」
「俺にゆーなよ」
 カフィーはかりりと爪を噛んで、なにか小声でぽそぽそとつぶやき。俺に眠いからベッドをあけ渡すことを命令して、おそったら殺すってゆってその五分後にはもう軽やかな寝息を立てていた。
雨がうっとうしくて。明日は晴れますようにって思った。
 
 ラジオの音で目がさめた。クラシック、だ。誰か有名な作曲家のカノン。知ってる曲。カフィーがカーテンを開けた、眩しい。俺が起きたことに気付いておはようってゆって笑った。何か食べようってことになって、コーヒーギューニューにカフィー持参の猫缶をやり、俺らは焦げかけたフランスパンを惨めにかじっていると彼女が買い物に付き合ってよってゆった。月末だし、バイトもしてない俺が、いいけど金ないよって答えると。
「お金ならあるわ。荷物持ちよ」
そうゆって笑った。
 カフィーの買い物とゆうのはただの便せんの封筒のセットだった。しかし気に入ったのがないとか、かわいい服のある店をみつけたとかゆって、いっこうに買う気配を見せず、俺はくたくたになっていた。人混みと買い物好きの女には慣れてない、こんなことをゆえばきっとカフィーやサキは笑うんだろう、だらしないって。
彼女はさっきから雑貨店のなかを不機嫌そうな顔でぐるぐる回ってて、俺が声をかけるとこんな物に払う金はないとゆいだした。自分の好みの物がないって文句をたれている。俺はもうさすがに疲れていたので、右手で彼女の手首をつかみ、左手で棚のレターセットを一つ素早く抜き去ると、そのままダッシュで逃げた。店の外はどんよりと曇っていて、晴れていた朝を少し懐かしく思った。店員の叫び声が聞こえる。
「万引きはダメよ」
「金、払いたくないんだろ」
そううゆうと、彼女はにやりと笑ってそれもそうねとつぶやいた。便せんは趣味の悪いキャラクター物の安っぽい奴だった。
 結局、夜には雨が降ってきた。この様子じゃ翌日も雨なんだろう。
 カフィーは自分がベッドを取ったくせに、俺が部屋の隅で毛布を被ってゴミと一体化しているのをイヤに思っているらしく。夕飯を買って帰ってくると部屋にあった細々とした物は全部ゴミ袋に突っ込まれていた。カフィーは積まれたゴミ袋の側で手紙を書いている。「ねえ、ここにおいてあった雑誌とか写真とかどうした?」
「あのね、右から二番目の袋のなか、捨てちゃまずかった?」
「あれは・・・・・・まあ、いいか」
「気になる、なに」
「いいんだよ、もう。別にいいんだ」
 俺はちょっと俯くとカフィーはもう何も聞いてこなかった。彼女のシャーペンの音だけが聞こえた。
「コーヒー、飲む?」
「粉、先に入れろよ」
 サキのまねをしてゆってくすくすと笑った。ゆわれたとおりに粉を先に入れてコーヒーを作る、猫用の皿にミルクも用意した。手紙はまだ書き終わらないようで、彼女は軽くシャーペンを噛んでそこに書きたいことの続きでもあるみたいに天井を見た。
「アイジって、漢字でどう書くの?」
「藍染めのアイにミチ、俺のことも書いてるの?」
「うん、書くよ。返事は多分こないけど」
「返事もこないのに書くの?」
「そうだね、おかしいね」
 そうゆってくすくす笑ってカフィーはペンを床に置いた。いままで書いていた便せんをきっちり畳むと封筒の中に入れてきっちり封をして、それを紙飛行機を投げるみたいにして俺によこした。
「あげる、けど中見たらコロスよ」
 コーヒーギューニューをひょいと抱きかかえる。俺はカフィーが急に大人びて見えた。「私、もう行くから」
「ずっとここにいなよ、家出してきたんだろ」
「もうここでやることはこのコーヒを飲むぐらいしか残ってないの」
 彼女はコーヒーを一気のみして、舌やけどしたとゆって笑った。そして俺の家からいなくなった。封筒はまだ部屋にある。彼女は俺に一つクリスマスプレゼントをくれなかった、俺も彼女になにもプレゼントしなかった。
 最後にはインスタントの安っぽいコーヒーの香りばかりが残った。

(C)2000,シキ