ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。


●ガンジーさんが、昨日(12月20日午後12時40分)
 永い眠りにつきましたので、
 特別編集版でお届けします。

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ひとまず中締めだぜ、
「あばよ!」と。



ガンジーさん。
ぼくはもちろん、本名を知っていますが、
そのままガンジーさんと呼ばせていただきます。
ヴァーチャルの世界で、偶然のように知りあって、
こうしてヴァーチャルの世界で、
お別れの言葉をお届けすることになりました。

ひとりの人と、もうひとりの人が会って、
それから何日か、何ヶ月か、何年かのつきあいがあって、
たがいに、たくさん、たがいのことを知りあいます。

ぼくは、ガンジーさんと知りあってから、
お会いしたのは、たったの3回だけれど、
約2年半の間に、
とてもたくさんの言葉を交換しあったように思います。
もしかしたら、
好きなこと嫌いなこと、
考えていること、経験してきたことなど、
肉親の言葉以上に、ガンジーさんの言葉をたくさん
受け取ってきたような気がします。
思えば、ぼくは、自分の亡くなった父親が、
他界する前に何がしたかったのかを知らなかった。
もういちど、どんなことをしたいと思っていたのか、
それも知らなかった。
でも、ガンジーさんが、
オートバイで箱根を走りたかったことを知っています。
最後になってしまった入院が決まったとき、
思いきり泣きじゃくりたいと考えていたことも、
知ってしまいました。

だから、父親よりも大事だったとも言わないし、
だから交流が深かったと言うつもりっもありませんが。
しかし、ぼくにとって、
また、ほぼ日刊イトイ新聞の読者にとって、
ガンジーさんは、この2年半の間に、
とてもよく知っている人になっていました。
インターネットというよくわからない場を通じて
ずいぶん深い「縁」のできたおじさんでした。
それだけに、やはり、残念な思いは残ります。

弾丸に当たったのでもなく、
ご家族に看取られて永遠の眠りについたことは、
少しだけうらやまれるようなことなのかもしれません。
でも、ガンジーさんと同じ正月をともに迎えることを
信じていたぼくらには、突然の悲しい出来事でした。

最後にガンジーさんが送ってくれた原稿を、
いま、あらためて探しました。
最後の、この短い言葉は、暗記していたはずなのですが、
いま目にすると、あなたのすべてをあらわしているような
陽気で人なつこい頑固な2行だったと思いました。
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ひとまず中締めだぜ、
「あばよ!」

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こんなに明るい別れの言葉が、
最後に残ってしまったのだから、
ぼくらも、それに合わせて、
明るいお別れの言葉を探します。

じゃ、また。

じくじくめそめそは、本人の遺志に反するとも思いますので
明日からは、普通の「ほぼ日」に戻します。
ただ、一日だけ、今日は、
目立ちたがり屋のガンジーさんのために、
ガンジーさんだけの「ほぼ日刊イトイ新聞」を
発行しました。
こんな特別な人は、いままでいませんでしたよ。
たぶん、とても派手で目立っていますよ。
ちょっと気分いい、ですか。

じゃ、また。

2001年12月21日
ほぼ日刊イトイ新聞・糸井重里


ガンジーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「ガンジーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。
全部とどけられるとはかぎりませんが。

2001-12-21-FRI

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