ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

5.「ほぼ日」の読者に伝えられないか?

考えたのは、ぼくだけが特権的に読んでいる
ガンジーさんの『親戚新聞』を、
「ほぼ日」の読者にシェアできないだろうか
ということだった。

職業的な作家でない方が、
「9回裏二死」というような状況で、
現在の自分を表現し続けるなどという例を、
ぼくは知らない。
いわば、普通の人が、必要以上に悲劇的でなく
「自分の人生を自分のことばで書き続ける」ということを、
ガンジーさんならできるかもしれない。

さまざまな若い読者からの、
痛みのあるメールに混じって届いた、
このあっけらかんとした、ともいえる表現を、
配れないものだろうか。
もっとも大きな壁を前にした、
大人の男の「やせがまん」や、
「ええかっこしいぶり」や、「ユーモア」を、
ぼくは、みんなに伝えたくなった。

この「抑制」のかっこよさを、
「ほぼ日」読者がわかってくれたら、
ガンジーさんの発信が、ほんとにインターネット的に
成仏するのではなかろうかと思ったのだ。

ただ、さらに身体が弱っているかもしれない
ガンジーさんに、それを頼んでいいのだろうか?
ぼくは、ジャーナリスティックな人間ではないので、
報道しないことで「よかった」ということも
あると思っているつもりだ。
本人さえ、よければ。
この気持を、理解してもらうしかない。
「いやです」と言われたら、それでいいのだ。

ぼくは、またメールを書いた。

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■勝手にガンジーさんと読んでいます。

糸井重里です。
>親戚新聞”8/18
拝受いたしました。

自分のこともあったりして、
なんだかくすぐったいような号でしたが、
この根っからのユーモア好きらしきセンスには、
頭が下がります。

毎日、「ほぼ日」には、切迫した悲しみや悩みのメールも
たくさん届きますが、
切実の質量と明るさを掛け算した総量は
(なんで掛け算するんだと、疑問ではありますが)
「ガンジーさん」が、断然第一位だと思います。
どうしても、悲しい人は、
自分がいちばん不幸だと考えやすく、
笑いや好奇心を忘れてしまいがちです。
そんな若い人たちや、中年の方々に、
「ガンジーさん」の自然流ともいえる闊達な文章を
分けて差し上げたいと、ふと思ったのですが、
こういう申し出は、不本意でしょうか?

いっそ、気まぐれでかまいませんので、
『ガンジーさん』というようなタイトルで、
「ほぼ日」に一年くらいの長期連載をしてみては
どうかと思ったのです。
なんのお役に立つとも思いませんが、
読者の励みや支えになるかもしれませんし、
仕事(とはいえないけれど)があったら、
ますます、「ガンジーさん」も持ち前の好奇心を
全開にして療養に励めるのではないかと考えたのです。

失礼な申し出かもしれませんが、
もし、可能ならば、なんだか「たのしい先輩」の見本に
なるので、みんながよろこぶように思います。

こういう提案を、どうお感じになるか、
あまり想像を働かせないままにメールしていますが、
もし、少しでも可能性がおありになるという場合は、
お返事をいただけたら幸いです。

長くなりまして、もうしわけありません。
「どんな場面にいても、
人間はこんなふうに自分を語れるんだぞ」
という、静かな勇気の連載があるといいなぁと思い、
後先考えずに、書き出してしまいました。

今日一日も、いい日でありますように。
ぼくにとっても、
親戚の皆さまにとっても、
ガンジーさんにとっても。

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いちおう、むすびのところで、
「ぼくにとっても」と最初に書いたのはユーモアのつもり。
キイボードに向かうことが、
ガンジーさんにとって、どれくらいの消耗になるのか、
見当もつかないのだけれど、
考えすぎてもいけない、とにかく提案してみよう。

(つづく)

2000-08-28-MON

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