2年前の夏、東日本大震災、
そして、福島第一原発の事故により、
夏の甲子園の福島大会は開催が危ぶまれた。

たくさんの大会関係者の方が一丸となって
この大会を途切れさせないために努力したことを
ぼくは取材によって知った。

「野球ができる」ということは、
当たり前のことではないのだとぼくは知った。

2年前、福島県の春の大会だけでなく、
東北大会も中止になった。
たくさんの練習試合も中止になった。
「福島県へ試合には行けません」
というキャンセルだけでなく
「福島のチームは来ないでください」
という断られ方もあったそうだ。

県外への転校を余儀なくされた野球部員もたくさんいた。
福島第一原発の圏内にある高校は連合チームを組んで
大会に参加することになった。
ちなみに、連合チームは去年も今年もある。

2年前の大会では、
試合が行われる日の朝6時半に
各球場で放射線量を計測し、
毎時3.8マイクロシーベルトを
超えた場合は試合が中止されることが決まっていた。
(実際に中止された試合はなかった)

そういうことを、やはり、ぼくも忘れてしまいそうになる。

「野球ができる」ということは、
当たり前のことではないのだ。

あの夏、たくさんの人たちが、
甲子園への道が途切れないように力を合わせた。
球児たちは、勝負以前にまず、
野球ができる喜びに感謝した。

取材をしてから、なにかの大会があると、
それを支える人たちがいるということを
それまでよりは強くぼくは意識するようになった。

第95回全国高等学校野球選手権記念福島大会、
開会式がはじまる。

選手入場! 
というアナウンスを聞いて、思い出した。
2年前の開会式は、入場行進がなかったのだ。
放射線の影響を考慮し、
選手達は外野にいったん集合してから
いっせいに内野へ移動した。
たしか、試合前の練習時間も短縮されていたと思う。

けれど、今回、選手たちは堂々と入場する。
当たり前のようなことも、当たり前ではないのだ。


さあ、高校球児たちが入ってくる。
先頭はもちろん、聖光学院!
堂々と優勝旗を携えながら。


去年まで6大会連続で優勝。
福島県内での公式戦ではじつに86連勝中。
この夏も、文句なく優勝候補の筆頭。

そして、早くも5番目に入場してくるのが
南会津。
あのときの1年生は、
どんなふうに成長しているんだろう。


おお、かっこいい。
あの絶妙なデコボコ感をなんとなく継承しつつも
精悍でたくましい顔つきの選手達。
そして、キャプテンの怜摩くん。



うわぁ、キャプテンの顔になってるなぁ。
かっこいいぞ、ほんと。


しかし、なんというか、
やっぱり、デコボコ感のあるチームだね。
ちなみに部員数は13名。
3年生5人、2年生4人、1年生4人。


2年前は、原発30キロ圏内にあった3つの高校、
双葉翔陽高校、富岡高校、相馬農業高校が
「相双連合」という合同チームを組んで大会に参加した。
今回は、相馬農業高校と双葉高校の2校が
「相双福島」という合同チームで参加する。

ちなみに、双葉翔陽高校は単独校として参加。
富岡高校の名前は、残念ながら出場校リストにない。


全83チーム、88校の入場が終わった。
外野に集った球児たちが内野へ進んでくると、
いよいよ開会の式典がはじまる。



開会のことばは、2年前と同じく、
福島県高野連の理事長、宗像治さん。
当時、なにもわかってなかったぼくに、
福島の高校野球について
いろんなことを教えてくださった方だ。

そして、優勝旗返還。
去年の覇者、聖光学院から優勝旗が返される。
前の連載でもたっぷり書いたけれども、
ぼくはこの、優勝旗を去年の優勝校が返還し、
いったん誰のものでもないという状態にしておいてから
戦いがはじまり、優勝校が決まったらまた渡すという
高校野球の様式がたいへん好きである。




主宰者挨拶、来賓挨拶、
審判委員賞の励ましのことば、とつづき、
いよいよ選手宣誓である。

2度目の取材なので、
カメラを構えたぼくは厚かましく
マイクの横のたいへんいい場所に陣取っている。
そして、正直にいって、ものすごく緊張している。

ファインダーをのぞきながら、
がんばれ、と思う。
アナウンスが響く。

「選手宣誓。
 宣誓者は福島県立南会津高等学校、
 野球部主将、齋藤怜摩くんです」



マイクの前に立つ怜摩くん。
そして、その後ろに、各校のキャプテンが集まり、
怜摩くんを中心にして半円形に立つ。


うわ、かっこいいな。
83チームのキャプテンたちが集う演出に、
ぼくは胸を高まらせる。
もはや、何目線なんだか、わかりゃしない。

選手宣誓がはじまる。
思わず、合わせて大きく息を吸い込む。


「宣誓。
 2011年4月、震災の事故の混乱の時期に
 私たち3年生は入学しました。」

その冒頭の一節で、
ファインダーをのぞくぼくの目は、
涙でいっぱいになってしまう。

そう、2011年の4月、
震災と事故で、なにがどうなるかわからないころ、
彼らは高校へ入学したのだ。
怜摩くんだけでなく、3年生すべてが
あの混乱の時期に1年生だった。

新しい高校生活に向けて、
いろんな準備をしていたときに震災が起きた。
それでも彼らは高校生活を送り、
2年が過ぎて、みんな、3年生になった。

とりわけ、福島の高校生たちは、
この2年間、いろんなことがあっただろうと思う。

彼らはこの2年間をどう思っているのだろう?
怜摩くんを半円形に囲んで立つキャプテンたちは、
この2年間の高校生活をどう思っているのだろう?

「宣誓。
 2011年4月、震災の事故の混乱の時期に
 私たち3年生は入学しました。」

開会式前日、南会津高校の先生たちは、
選手宣誓を務める怜摩くんを送り出すために、
粋なことをした。

全校生徒の前で、選手宣誓の予行演習をさせたのだ。
南会津高校の生徒は140人。
怜摩くんはみんなのいる校舎に向かって宣誓し、
生徒たちは、それを受けて、
大役を担う野球部のキャプテンに向かってエールを送った。



どんな高校生活も思い出に残るとぼくは思う。
震災があろうと、なかろうと、
どんな高校生の、どんな高校生活も思い出に残る。
ぼくはそう思う。

選手宣誓の全文を記します。

「宣誓。
 2011年4月、震災の事故の混乱の時期に
 私たち3年生は入学しました。
 あれから、2年4ヵ月。
 日々、一歩ずつ、力強く、復興していく福島を見て、
 私は、福島の底力を感じ、あきらめない心を学びました。
 この困難のなか、いま、ここに、
 こうして立っていられるのは、
 私たちを応援し、支えてくださった、
 みなさんのおかげです。
 この、感謝の気持ちを、この夏にかける思いとともに、
 私たちのプレイで伝えたいと思います。
 いまだに、震災の影響も残る学校もあるなか、
 県内、88校の選手が集まりました。
 浜通り、中通り、会津の枠を超えて、
 一体となり、全力でプレイすることが、
 福島の元気につながると信じ、
 この95回記念大会を
 盛大で忘れられない暑い夏にすることを誓います。
 2013年7月11日、
 福島県立南会津高等学校野球部主将、齋藤怜摩」



拍手を送る代わりにシャッターを切る。
すばらしい選手宣誓だった。

閉式が宣言され、選手が退場し、開会式は終わる。
ぼくは宗像治さんにご挨拶する。
宗像さんは、2年前の取材を覚えてくださっていた。

「ああ、あのときは、お世話になりました。
 続きの取材ですか?
 それはそれは、ありがとうございます」

2年前は、開会式の入場行進ができませんでしたよね、
と言うと、宗像さんはその事実を噛みしめるように
しみじみと言った。

「入場行進をさせてあげられなかったですね。
 今日、球場を1周する選手たちを見て、涙が出ました」



客席に上がると、
怜摩くんのご両親は
ものすごくホッとした表情だった。
いや、ほんとうに、立派だった。



球場の外では、記念撮影がはじまる。
南会津のデコボコナインも晴れ晴れとした表情。



記念撮影のあと、
怜摩くんのお父さんが
スッと怜摩くんに近寄って
息子と短い握手を交わしていたのが
なんだか、すごくよかった。



お疲れさま、キャプテン。



じつは、この取材を決めたとき、
開会式の様子をまとめるだけの
簡単なレポートにしようと思っていた。

けれども、実際に球場に足を運んでみたら、
やはり試合を追いかけたくなってしまった。

南会津は大会三日目、
四倉と福島商の勝者と対戦する。
しかもその日は、ちょうど、
浜通りの富岡町で
ボランティア活動をする日の翌日だった。

そんなわけで、もう少し、続きます。


(つづく)
2013-08-16-FRI