BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

絶対鈍感とダイタイ敏感
(全4回)

「利根川の水のにおいは、砂糖のイメージ」と
嗅覚で水の来歴を語る人がいれば、
車のクラクションすら「ドレミ」で聞こえる
絶対音感の持ち主もいて……
あなたと私の感覚はどう違う?

構成:福永妙子
撮影:中央公論新社提供
(婦人公論1998年8月22日号から転載)

前田學
1931年生まれ。
47年に水道局に入局し、
66年より水質検査に携わる。
玉川浄水場、
金町浄水場などに勤務し、
嗅覚による“利き水”などで
水道水の水質を判定する。
91年に退職、現在は
民間水質検査会社に
非常勤で勤める。
最相葉月
1963年生まれ。
広告会社、フリーの
編集者&ライターを経て、
ノンフィクションライターに。
多くの音楽関係者への
取材をもとに著わした
『絶対音感』(小学館)が
21世紀国際
ノンフィクション大賞
を受賞して、ベストセラーに。
最相葉月の
ライフ・サイエンス・
インフォメーション・ネット
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。

婦人公論井戸端会議担当編集者
打田いづみさんは語る

この座談会シリーズ連載で、
糸井さんの“感嘆度”はこの回がダントツでしょう。
さしもの糸井さんが言葉を失い、
「はあ・・・」、「ほお・・・」を26連発(速記録上)。
とどめは、「うらやましーっ。しびれるなあ!」
今回は、私たちがびっくりするような五感を持つ人々を
めぐって、目からウロコの2時間となりました。

現代の私たちは、「感覚」といったものや、
生き物としての力をどんどん失ってきているような気が
しませんか。
一方で、世の中には、常人が持たない感覚を
持つ人もいるらしい。
ということで、ゲストに、その昔、水道局で「水質詩人」、
「利き水の天才」などと呼ばれた前田學さんを
お迎えしました。
なんでも、喫茶店で出てくる水がどこの水系のものかを
言い当てるのは朝飯前、化学分析半年でも
検出できなかった物質を、百億分の一の濃度
(利根川にコップ一杯の排水を捨てたくらいの濃度、とか)
から嗅ぎわけたこともあるという嗅覚の持ち主です。
そしてもうおひと方、ベストセラー『絶対音感』で、
サイレンすらドレミ音で聞き取る人々の秘密に迫った
最相葉月さんに、ご登場いただきました。

感覚などという「言葉にしにくいこと」
について話していただくのですから、
当日の糸井さんの第一声が、
「どうなるか見当つかないな〜、今日は」でした。
けれど、いざスタートしてみると、
皆さんの感度鋭い会話に、千里眼も地獄耳も持たず、
鼻もきかないし味オンチ、くすぐられても気がつかない
担当者は、ボーゼンと聞き入った次第です。
唯一、会話が途切れたのが、
前田さんが水のグラスを口元にかかげた時。
思わず一同が息を止めてしまうような、
静謐な空気に包まれました。

第1回
忘れられた感覚
糸井 前田さんは利き水の専門家ですが、
都の水道局の職員でいらしたんですね。
前田 水道水の水質検査の仕事をしておりました。
そこで臭気や味についてもチェックしていたわけです。
糸井 利き水といっても、
一般にはあまりなじみがないですよね。
前田 欧米では「テースター」といって、
水の味をにおいでかぎわける職業と聞いております。
飲むというより、においで水を判断するんです。
糸井 嗅覚ですか。
においでこれはどこの水だ、というのがわかるんですか?
前田 ある程度わかります。
水道は安定給水のために縦横に管が走っていて、
一系統の水ばかりでなく、
今はブレンドされている地域もあります。
ですから、たとえばこれは朝霞浄水場の水だ、
金町浄水場の水だ、今日は朝霞の水の割合が多いな、
というふうに……。
糸井 はぁ、神ワザですね。
僕は娘が小学5年の頃、
ある遊びをやらせていたんです。
袋にいっぱい入れたクルミから、
1個だけ選んで鉛筆で印をつける。
それを手触りで覚えて袋に戻すでしょ。
そして印をつけた自分のクルミを、
手で探って見つけ出すわけです。
面白かったなぁ。

これは触感のゲームでしたけど、
僕たちは今、視覚を媒介とした情報を
どう読み取るかということばかりにいってて、
それ以外の嗅覚や聴覚、味覚だとか、
さまざまな感覚をそうとう失ってるんじゃないか
っていう気がしてるんです。
最相 視覚から得る情報のインパクトが
あまりにも強烈なものですから、それ以外のものに対し、
意識がマヒしてきちゃってるんですね。
糸井 そんなことを思っていたときに、
最相さんの『絶対音感』という本を読んだら、
そこには優れた音感の持ち主たちが登場する。
音に関して、矢野顕子と話していて
感動したことがあったんですけど、
彼女は、「聞きたくない」という音がはっきりある人で、
骨をポキポキ鳴らす音、あれ聞くとゾッとして、
耳を塞ぎたくなるくらいイヤなんだって。
そして、「クラフトワーク」という、
テクノというか電子的な音をつくる人たちがいるんですが、
その音がいちばん気持ちがいいそうなんです。
それ聞いて、単純に羨ましくてね。
僕なんか音に対して、そんなに敏感に生きてませんから。
最相 私がこの本を書くきっかけになったのも、
実は矢野顕子さんなんです。
音楽好きの友人たちとお酒を飲んでいたとき、
1人が「絶対音感」について話し出しまして。
はじめて耳にする言葉だったので、
「それ、なあに?」と聞いたら、矢野顕子さんのように、
突然、どこから沸き出てくるのか、
即興ミュージックのようなものを
ぱっと弾いてしまう人がいる。
その理由として、絶対音感があるからだ
というようなことを説明するわけです。
絶対音感というのは流れている音を「ドレミ」だとか、
音名で読み取れる能力があることだと、
あとで知るんですけど、
「絶対」という響きと、「音感」という
曖昧模糊としたイメージが合体した言葉に
幻想が膨らんでしまったといいますか。
糸井 ある種、あこがれみたいな?
最相 いや逆です。
本当に「絶対」なんだろうかと疑問を感じたんです。
どこか言葉で説明できないような
能力をもつ人たちのことを、
なぜそうなんだろうと、理由を探したかったんですね。
もしかしたら、もっと違う側面での人間の能力が
隠されているんじゃないか、
そう思って取材を始めたんです。
糸井 絶対音感のある人は、空調の音でも、
救急車のピーポーというサイレンだとか
車のクラクションといった雑音を聞いても、
全部、「ドレミ」の音名が
浮かび上がってくるわけでしょう。
「ああ、これはレミソだ」って具合にね。
駅のアナウンスのメロディーも、
すぐに譜面にスラスラ書けるそうですね。
本の中では、そういう羨ましいほどの感覚を
持っている人たちの恍惚と不安について、
いろいろな角度から触れられてますが。
最相 絶対音感は、幼児期の訓練によって
獲得される可能性のある記憶なんですね。
もちろん、この能力を持っていると便利ではあります。
音楽の専門教育を受けている場合、曲を聴きながら、
それを楽譜に写さなきゃいけなかったり、
何の基準音ももらわずに、
いきなり歌ったりということを要求されますから。
ただ、たとえば演奏家の絶対音感のあるなしは、
実際に人が聴いて、いい音楽だなあ、心を動かされるなあ、
ということとは直接、関係ないんです。
私がお目にかかった音楽家のみなさんは、
むしろマジック的に言われていることとは別の部分で、
音楽や楽器に対して非常に真剣に向き合い、
意識を集中しながら音楽の創造に
取り組んでいる人たちでした。
そのために、毎日、厳しい訓練を重ねているんですね。
糸井 つまり絶対音感をもっていることが
素晴らしいのではなく、
そこからさらに鍛え上げて生まれるものが素晴らしい。
最相 前田さんも、利き水を長くやってらっしゃって、
いちばん最初に、「この水はこうだ」
とご自分で判断されたときと今とでは、
おそらく感度のレベルは違うんじゃないか
と思うんですけど。
前田 やはり勉強と訓練です。
私が昭和41年に玉川浄水場に転勤になったときの上司が、
おいしい水について研究されていた小島貞男先生でしてね。
当時は臭気を測定できる機械がなくて、
人間の鼻だけが頼りでした。
そこで私もはじめて官能テストをやらされたんですよ。
そしたら、20人くらいの職員の中で、
私がいちばん的中率がよかった。
まあ、そこで小島先生に発掘されたわけですね。
糸井 スパイの能力がある人が、
スパイにスカウトされるたいな(笑)。
官能テストというのは、どうやるんですか?
前田 水に微量の砂糖や塩、炭酸ガスを入れたりしてつくられた
水のにおいを嗅ぎ、種別に判定するのです。
ついでに申しますと、においの試験をするときは
会話をしてはダメなんです。
たとえばここにコーヒーがありますけど、
「これはAという種類のコーヒーだな」なんて
言葉でやっていますと、俺はBと思ってたけど、待てよ、
違うのかな、ってなるでしょう。
最相 言葉の意味に惑わされる。
前田 無言で、紙に何々と書く。
最相 余分な情報を遮断するんですね。
前田 はい。利き水の勉強というのは、
いろいろな水をとにかく毎日毎日嗅ぐことから始めて
臭気種類(味)を記憶することです。
同じ系統の水でも、1年を通じてみれば同じではなく、
日によって、あるにおいの種類は変わらない、
あるにおいの種類は濃くなったり薄くなったりする、
ということがわかってきます。
そのうちだんだんにおいの組み合わせがわかるようになり、
その組み合わせの中に、このにおいはいつもある、
このにおいはときどきあるとか、
自分なりの識別ができてくる。
そういうことの積み重ねです。

(つづく)

第2回 超人の超人たる理由

第3回 基準って何?

第4回  自分なりの“モノサシ"で

1999-02-16-TUE

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