BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


笑いのツボはここにある
(全4回)


「利口ぶった利口」を貫く孤高の落語家、
笑いながら原稿を書く喜劇作家、
そのオチは、ギャグは、
どのようにして産み出されていくのか


構成:福永妙子
撮影:熊谷聖司
(婦人公論1999年8月22日号から転載)


立川談志
1936年東京小石川生まれ。
52年、五代目
柳家小さんに入門。
小よし、小ゑんを経て
63年真打に昇進、
五代目立川談志を
襲名する。
83年に落語協会を脱退し
立川流落語会を創設、
家元となる。
『新釈落語咄』
『新釈落語噺パート2』
(小社刊)
『現代落語論』など
著書も多数

三谷幸喜
1961年東京生まれ。
83年日大芸術学部
演劇学科在学中に劇団
『東京
サンシャインボーイズ』を
結成。
劇団充電中の現在は
テレビドラマや舞台、
映画で話題作を連発する。
作品にTV
『王様のレストラン』
『古畑任三郎』、
舞台『笑の大学』
『マトリョーシカ』、
映画
『ラヂオの時間』など
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。


婦人公論井戸端会議担当編集者
打田いづみさんのコメント

「アノ、僕、座談会の類は苦手で……
ダ、大丈夫でしょうか?」
収録当日、開始時間より
ずいぶん前に到着くださった三谷氏の、
開口一番のセリフです。
初対面のお三方が揃い、
当代の人気喜劇作家の緊張が極に達したとき、
座談会が始まりました。

そして約2,5時間――なんと言っても迫力の談志師匠!
対する糸井さんも、すごいスピード。
そして、合間を縫って、訥々と、
しかし鋭い一言を投げかける三谷氏。

今回ほど、速記者の手の動きが
忙しかったことはないでしょう。
とにかく、師匠の声が聞こえてきそうな30枚、
ご堪能ください。

第1回
人は笑いたい

糸井 談志さんは、このあいだ、
三谷さんの舞台をご覧になったそうですね。
談志 感動したね。嬉しかったよ。
一つひとつが全部、行き届いていて。
俺、若いヤツをバカにしてたけど、
うかつだったと思った。
こういう人が出てきて、
生きてるのも悪くねえやって気がした。
三谷 いや、ありがとうございます。
糸井 今日のテーマですが、
僕は、わりに落語に馴染みながら暮らしてきて、
この二年間は毎日、
落語を聞きながら寝るという状態でして。
そんなこともあって、
「笑い」について考えてみたいなぁと……。
談志 「笑い」を一口で言っちゃうとね、
このあいだ亡くなった桂枝雀が
「緊張と緩和」と言ってたけど、
人は弛緩したいってことですよ。
赤ん坊も大人も、
常に緊張してないと生きられないでしょ。
だから、こう(首をのけぞらせてダラリとする)なりたい。
それが自然にダランとするのか、
笑うという方法で弛緩するのか、
その両方だと思いますね。
ただ、そうなると何も談志で弛緩しなくたって、
こん平や木久蔵みたいなバカヤローで
弛緩したっていいじゃねえか、
大きなお世話だってことでね。
糸井 心身を緩めてくれさえすれば、
誰でもかまわないと。
談志 そうそう。
俺が威張って、「俺の落語は本物だ」とか、
「三谷さんの芝居がいい」とか
何とか言う必要があるのかということになってくる。
糸井 それは困りましたね。
談志 困るんだよ。
糸井 笑いを定義すると、
いい悪いというのを味わえなくなる。
談志 いい悪いはないんじゃないですか。
糸井 ないんですか?
談志 ない。
ただ、自分がどこかに属していないと
自我が成り立たねえから、
自分の笑いの感性は三谷さんの戯曲に属してるとか、
何々が面白い、何々もいいっていう類型を探すわけだ。
類型を探したくなかったら、
自分が典型になるより仕方ないやね。
「俺のはどうだ」って。
糸井 宗教の分派みたいなもの?
談志 まったくそう。
料理も同じでしょう。
あの味がいいと言って、
その通りにやってるヤツもいりゃあ、
いや、自分のこの味がいいんだと言うヤツもいて。
糸井 そうか。
三谷さんはドラマにしろ舞台にしろ、
必ず笑いを入れてますね。
三谷 僕は小さい頃からずっと誰かを笑わせたいと思ってて、
だけど自分にはタレント性がないもので、
だったら書く側にまわろうと……。
自分は喜劇作家だと思っていますから、
笑えないものは書きたくない。
糸井 そこで聞きたいんですけど、
笑いって、センスを磨けるものですか。
三谷 つくる側、ということで言えば、
運動神経と同じような気がします。
僕は運動神経がないんですが、
これからどんなに磨いても、
きっと陸上の選手にはなれない。
それと同じで……。
糸井 じゃ、受ける側はどうなんだろう。
「私、もっと笑いがわかりたいわ」なんて言っても
無理ですかね。
談志 鈍いのもいます。
でも、俺と一緒にいると、
感度はそこそこにはなるよ。
俺流だから、ちょっとひねくれてるかもしれないけどね。
運動神経を鍛えるのは難しいかもしれない。
でも、笑いはいくらか楽なんじゃないの。
ついでに言っとくと、
落語家は頭がよくて洒落がわかるというのは
すごい誤認でね。
極論を言いますと、落語家って職業的な問題ですよ。
糸井さんが三ヵ月の期限で落語を覚えないと死刑になる。
教えないと俺も死刑になっちゃう。
となると、基本的なものを覚えさせて、
糸井さんをその辺にいるヤツよりいい落語家にして
高座に上がれるようにすることは、俺、できるよ。
その程度のもんですよ、落語なんて。
三谷 僕がさっき、
つくる側の笑いのセンスは磨けないと言ったのは、
五年くらいテレビドラマをやっていて、
ずっと同じスタッフチームだったんですね。
でも、この脚本のどこが笑えるのか、
ずっと僕と一緒にやってきたのに、
結局、わかってもらえなかったというのがあって……。
糸井 スタッフ側に?
三谷 脚本を書くとき、
僕は自分で笑いながら書くんですね。
でも、それが視聴者には
半分以上伝わってないという感じがしたんです。
談志 あたしが自分のしゃべりを本にしようとしますとネ、
これ、どうにもならない。
「てにをは」がつながらない、
主語、述語は逆になったりしてメチャクチャ。
聞いてるときはいいんですよ。
ドラマでも脚本家が台本をちゃんと書きますわな。
電話が鳴る、取る。
「何? どこからかけてるんだ。
六本木の交差点からか。
犯人らしきものを見たのか。
よし、わかった。
犯人はどんな格好をしてる。
だったら間違いない」−−。
そんな会話、普段するわけないよな。
ただ、そう書かないと、やるほうはどうにもならない。
「おはようございます」というセリフでも、
本当なら「おえーっす」と言うのを、
きちんと「おはようございます」と書きますね。
そのへんは役者が、その雰囲気を伝えるより
しょうがないってところはあるんじゃないの。
三谷 僕は舞台ではずっと演出はやってなかったんだけど、
今年からは自分でやるようにしてるんですね。
やっぱり現場で俳優さんに、
ここはこういうふうに言うと面白いんだよってことを、
自分で伝えるしかないと。
糸井 いちばんたしかですね。
三谷 僕は映画監督では
ビリー・ワイルダーが好きなんですけど、
理想的なのは、彼とジャック・レモンの関係。
お互いに信頼し合っていて、
ビリー・ワイルダーはジャック・レモンが
どうすれば活きるかという状況を
完璧につくりあげるし、
ジャック・レモンは
ビリー・ワイルダーが何を求めているか完全に把握して、
さらに場面を面白くするみたいな。
だから、二人が組んでやってる映画を見てると、
ああ、この人たちは幸せだなあと思いますね。
談志 松竹新喜劇の渋谷天外さんの戯曲で
『桂春団治』というのがあって、
これ、脚本読んでも面白くも何ともない。
ところが、凄い舞台ができ上がる。
春団治が死の床にあるシーンで−−池田屋の小僧が来る。
次に(曾我廼家)明蝶さんのセリフ、
「おまえ、知らんのか。師匠は明日をも知らない命だ」。
その程度しか書いてない。
それが舞台じゃ小僧役の(藤山)寛美が、
「いやや、師匠死ぬ、
春団治死ぬっちゅうのはいややねん。
何とかなりまへん? 春団治死ぬの」。
その「いややねん」ってすがりながら泣くのが、
満場の涙をさらうんです。
糸井 役者の肉体が思いもかけない効果を出すという。
談志 別の芝居で、
「おまえは出てけ」って言われた寛美が、
そこを何とか頼み込む、というのがあるんです。
そこで寛美は、
首んとこがバネみたいになった人形の頭を叩いて、
その頭がこう(上下に揺れる)なるのと一緒に
自分も頭を動かしながら、
「なんとかならへんか」ってやるわけですな。
それだけで笑える。
三谷 書き手側からすると、
そういうおかしさは絶対にト書きでは書けないですね。
書いたとしても面白さは伝わらないし、
台本のままに俳優さんが演じても
面白くないものになってしまう。
談志 でしょうね。
三谷 板(舞台)の上に立つ人の面白さには、
かなわないところがあります。
そういう意味で、俳優さんは羨ましいですね。
僕が頭で考えて書いたセリフよりも、
アドリブでやってもらったセリフのほうが
面白かったり、言葉が活きてたり。
糸井 そんなふうに役者さんにうまくやられると、
「おいおい」と思うでしょう。
三谷 でもお客さんは、
それが僕の力だと思ったりするじゃないですか。
だからちょっと嬉しかったり(笑)。
それはともかく、
じゃあ僕が彼らにかなう部分は何かといったら、
全体の構成をきっちりつくることとか、
論理的に笑えるようなこととか、
そういうことでいくしか道はないと。
糸井 『やっぱり猫が好き』は、
一見、台本も何もないような感じでしたが。
三谷 あれはちょっと、つくり方が別だったんです。
あの演者の方たちは、台本をざっと読んで、
こういうのをやるんだなというところで、
自分の言葉にして演じる。
だから僕の役目は、一回読んだだけで、
セリフが頭に入るような台本を書くことでした。
談志 そうだね。
俳優が覚えらんないセリフってのは、
作者がヘタなんだよ。

(つづく)
立川談志さんのホームページはこちら

第2回 辛抱はこわい!

第3回 テレビとの距離

第4回 テ孤独な哄笑でも

2000-07-13-THU

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