BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


あなたも「超人」になれる
(全4回)


構成:福永妙子
写真:中央公論新社提供
(婦人公論1999年4月22日号から転載)


甲野善紀
武術家。
1949年東京生まれ。
78年、武術稽古研究会
「松聲館」を設立。
古の武術を研究しながら、
独自の身体運用法の確立を
目指している。
著書に『剣の精神誌』
『古武術の発見』
(養老孟司著)
『スプリット』
(カルメン・マキ、
名越康文共著)など。
最新刊は
『古武術からの発想』

野村雅一
国立民族学博物館教授。
1942年広島生まれ。
66年に京都大学文学部を
卒業後、同大
人文科学研究所助手、
南山大学講師などを経て、
現職。著書に
『身ぶりとしぐさの人類学
――身体がしめす
社会の記憶』
(中公新書)
『しぐさの世界』
『ボディランゲージを読む』
など
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。


婦人公論井戸端会議担当編集者
打田いづみさんのコメント

その日、ホテルの会議室は、さながら道場でした。
向き合った二人が「払い」の実践をしていたり、
はたまた真剣(!)が閃いたり……。
かたや世界各地の民族の身体伝承を研究する教授、
かたや腰に長刀を帯びた武道家……。
ゲストのお二方が明かしてくれた、
私たちの何気ない動作に隠された、たくさんの秘密。
これを知ると、自分の身体がもっと面白くなります!

第1回
忘れられた身体

糸井 いつも着物に袴姿ですか。
甲野 20年以上、ずっとこの格好です。
糸井 刀も持ち歩いているんですね。
甲野 携帯許可証は持っていますよ。
糸井 その姿でそんな長いものを持っていると、
「怪しい人」と思われたりしません?
甲野 右翼の殴り込みと間違われたことがあります。
警官の職務質問も、ときどき……。(笑)
糸井 でしょうねえ。
それはともかく、僕はビルの中で、
「もしこの建物の床が透けて下が見えたら」
と想像して、すごく怖くなったことがあります。
原始人だったら耐えられないようなことを、
現代人は日常的に経験していますね。
無意識のうちに理性で「大丈夫なんだ」
と判断しているから平気なんでしょうが、
なんだか自分の身体の感覚を
ごまかしごまかし生きているような……。
そういうストレスもあるんじゃないかと思うんですけど、
今、世の中を見渡してみると、「身体」というものが
すごく無視されている気がしませんか。
野村 日本では、身体のことは低く見られますね。
芸能でも、日本は話芸が盛んで、
落語や漫才をはじめ、ありとあらゆる
言葉の芸があります。
ところが身体芸というか、
パントマイムみたいなものには
あまり興味をもたれない。
言葉を使うのは高尚だけど、
身体を使うことはそれより低いみたいに思われている。
甲野 あるいは身体より「心」優先で、
精神論がやたらに強調されたり。
糸井 身体には、実はまだまだ僕らが気づいていない感覚や
能力が隠されているかも……。
野村 このあいだ、モンゴル研究のために
うちの大学院に志願してきた人がいました。
彼は視力が1.2だったのが、モンゴルに留学したら
2.0になっていたそうです。
アンデスの研究をしている私の同僚も、
同じような経験があると言っています。
糸井 そういうこと、本当にあるんだ。
野村 スイスの医師がアフリカの人たちの視力を調べたら、
最低でも7.0だったという話もあります。
こうなると普通の視力の基準ではとても測りきれない。
よく「正常値」なんて言いますけど、
何が正常値なのか。
そういうことから考えると、
人間の身体について私たちは
本当にわかっているのかと思いますね。
今のようにみなメディア化して、
直接ものに触れたり人に接することなく、
間に何か介在していると、よけいにわからない。
糸井 言語化、数字化できる情報だけ残っていって、
保存のきかない情報はどんどん消えている。
甲野 武道の世界もそうですよ。
武道学会での科学者の発表は、
表層的なことを数字や専門用語を並べて語るだけ。
そして身体感覚のような、
言葉で伝えにくいものは受け入れない。
私の武道の術理は、二本足で立って倒れまいとする
人間の特徴を利用するものなんですが、
科学者の論文で「人間は倒れまいとする」
と書くとバツ。
それは主観的表現であって、科学的表現ではないと。
「橋げたが橋梁を支える」というのも認められなくて、
「対応限度内」なんて言わなきゃいけないらしいです。
糸井 かえって、わけわかんなくなる。
硬直化した科学的表現では
伝えられないこともありますよね。
野村先生の仕事も人間の身ぶりやしぐさとか、
認められにくいことを掘り下げて……。(笑)
野村 その社会に伝え継がれてきた身体表現から
見えてくるものがいっぱいある。
面白いですよ。
糸井 世界各地をいろいろ見てきて、身体の使い方で
「へえっ」と思われたようなことはありますか?
野村 民族や地域によって、あらゆることが違います。
寝方ひとつとっても。
糸井 寝方?
野村 たとえばギリシャの羊飼いの家は
ベッドがものすごく小さくて、
そこに足を縮めて寝るんです。
私が向こうで羊飼いの小屋に泊まったとき、
足を伸ばして寝ていたら、注意されちゃった。
クレタ島に古代ギリシャ・ミケーネ文明の
遺跡がありますが、残っているベッドはみな小さい。
子供用じゃなくて、多分、大人が寝ていたんですね。
フランスの山間部でも昔、タンスの形に似た
箱ベッドというのがありました。
背中を半分起こした状態で寝るんです。
ヨーロッパのホテルはやたらクッションや
枕がありますけど、半身を起こして寝る習慣の
名残じゃないかな。
糸井 寝るというのは人どうしが伝え合う機会が少ないだけに、
文化の違いが残りやすいんでしょうね。
野村 さっきの羊飼いの村では、みんな小刻みに眠るんです。
1時間くらい眠ってはまた起きて、というのを繰り返す。
羊を飼っていると、お産があったり、乳を搾ったり、
何度も起きて仕事をしなきゃいけないから、
そうなったんでしょう。
私も一晩それにつきあおうと頑張りましたが、
4時には寝てしまいました。(笑)
糸井 出産直後の乳児をかかえた家族みたいなもんだ。
野村 それを彼らはまったく平気でやっている。
いったい睡眠って、どういうものなんだろうと思いますね。
甲野 動物だと、ゾウも小刻みに起きますね。
一時間以上同じ姿勢で寝ていると、
身体の重さで血管が圧迫され、その部分が壊死するから、
大変らしい。
野村 キリンなんかも、ほとんど寝ていないそうですね。
甲野 アマツバメは飛んでる途中に
三秒くらい寝て滑空して、
また飛び上がるというのを繰り返しているらしいです。
そのため足が退化して、めったに、
どこかに止まるということがない。
そういう人生、たまんないですけど。(笑)
糸井 身体の使い方やしぐさで、
日本人に特徴的なものというと?
野村 昔の「ナンバ」の動きなんかそうですね。
右足を出すときに右腕を出す。
糸井 能や狂言なんかに残っている、あの動きですね。
野村 それで右半身、左半身と交互に出して歩行に移るのが
「ナンバ歩き」。
伝統芸能研究家の故武智鉄二氏は、
農耕民族としての日本人に固有の動きだと言ってますね。
畑で鍬を持つ姿勢からきていると。
ただ、古代ギリシャの壺にもナンバの姿勢の絵が
見られますし、かつてのトルコの近衛兵団
「イェニチェリ」の行進もナンバ式だったようです。
甲野 少なくとも明治までは一般の日本人は
手を振って歩かなかった。
武士は左手は袖口か刀、右手に扇子、
手代や小僧は前掛けの下、
ご隠居は後ろとか手の位置も決まっていましたし。
手を振らないから、特別な訓練をしていない限り
疾走できない。
だから庶民は緊急事態のとき、
阿波踊りみたいに泳ぐような格好で逃げていたんです。
西南の役では、庶民から徴用で集めた官軍の兵士が、
走る訓練を受けていた薩摩兵にたちまち追いつかれ、
バタバタ斬られたそうです。
糸井 武士は走ったんですか。
甲野 いざ戦というときに走れるよう訓練していました。
だけど一般の人はそうじゃない。
明治十二年に陸軍の大演習をやったとき、
当時の日本人は走れない、急に曲がれない、
匍匐前進もできないということがわかり、
それで大改定運動をやるわけです。
野村 学校の音楽で西洋音楽を取り入れたのも、
情操教育以前に、リズムに合わせて歩いたり
走ったりする練習のためだったと言いますね。
甲野 将来の兵隊として役に立つように教育するというのが、
その頃の日本の命題でしたから。
糸井 じゃあ、日本人の今の歩き方は、たかだか百年くらい。
甲野 西洋的な身体の使い方が入ってきてからです。
昔は体育なんてなかったし、仕事するだけ。
身体の使い方も仕事の動作の延長線上にありました。
野村 だから職人仕事で居職(いじょく)だったら、
一日中座りっぱなしで、ほとんど歩かない。
散歩というのは、ものすごく新しい習慣でしょう。
テレビの時代劇を見ると江戸時代の庶民が
町を歩いていたりしますけど、実際には、
無目的に歩く人はほとんどいなかったんですよ。
糸井 「観光」と同じくらい新しいんでしょうね、きっと。
野村 ヨーロッパでもプロムナードなんていう散歩道を
町の中につくったのは18世紀の終わりくらいです。
ブルジョアたちが1日に2回くらい、
いい格好をしてそこを行ったり来たり、
デモンストレーションする。
そういう風習ができるまでは、
あまり歩くなんていうことはなくて、
じっと家にいたわけです。
糸井 そういうことを知ると、昔の映画をつくるのは大変だ!
欧米人は小さい頃から、歩き方の訓練をしますね。
野村 最低でも、足を上げて歩けとか、
親から言われるみたいです。
日本では富国強兵策のなかで
体をつくりかえるというのはありましたけど、
ふだんの歩き方の訓練は特にしない。
だから歩き方はまちまちですね。
足を引きずるような歩き方が多いのは、
ナンバ歩きの名残もあるんでしょう。
私の職場には外国からも大勢、研究者が来ているんですが、
日本人の名前は覚えられなくても、
歩き方で覚えているという人がいましたよ。
甲野 訓練で思い出しましたが、昔読んだ本に、
動物園の浅いプールで飼っていたアザラシを
深いところに入れたら、
すぐに溺れてしまったという話がありました。
糸井 アザラシが溺れちゃいけない。(笑)
甲野 だけど私は「なるほど」と思った。
犬、猫だったら、一回も
泳いだことがなくても浮くでしょう。
あれは救命ボートみたいなもので、
とりあえず泳ぎは本能にインプットされている。
ところがアザラシのようにさまざまな状況のもと
自在に泳ぎ回る動物にとっては、
救命ボート的な泳ぎだけが本能にインプットされていると、
その泳ぎ方に拘束されてしまいます。
後天的に学ぶからこそ、多種類の泳ぎ方ができるわけで、
アザラシの泳ぎは文化なんです。
人間の場合は、歩き方をはじめ
ほとんどの動きが後天的ですね。
野村 人類学の二足歩行の研究でも、人間の骨格から言えば、
いちばん合理的な歩き方があるんだけど、
形質人類学といって、骨の減り方から探ると、
最古の人間が実際にそれをやっていたかどうかは
わからない。
むしろヒョコヒョコした歩き方をしていたことが
わかります。
糸井 もともとは下手だった。
野村 そう、下手だったんです。
ヨーロッパでも昔はいろいろな歩き方があったらしく、
今のように腕の振りの反動を利用して足を前に出し、
踵から着地するような歩き方というのは
19世紀くらいからじゃないですか。
甲野 歩き方も結局、どれが正しいということはない。
多様性があるのは、つまり文化なんですね。
糸井 固有の文化の中で、歩き方も形づくられていった。
野村 歩き方にも意味がある。
アフリカの言語には「歩く」を示す動詞が多いし、
ペルシャ語でも「孔雀のように歩く」とか
「雌鹿のように歩く」とか、
歩き方をあらわす比喩は多いようです。
ただ、今の日本人は、あまりにバラバラですよね。
甲野 日本の場合、ナンバ的な土壌があるうえに
西洋的なものも付加されているから、混沌としています。
野村 多様すぎると、逆に意味をもたなくなってくるんです。
糸井 そうすると今の日本は、様式を見失って、
みんながてんでんバラバラに何だかわからない状況で
身体を管理してる、みたいなところにあるんですね。
野村 そうじゃないでしょうか。

(つづく)

第2回 予測を裏切る動き

第3回 我がなければ敵はない

第4回 現代人の身体感覚は?

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