ほぼ日刊イトイ新聞 フランコさんのイタリア通信。アーズリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

2009-10-06-TUE

フィオレンティーナの新星ヨヴェティッチ。

フィレンツェに恋をさせ、
イタリアサッカー界をうっとりさせ、
サッカーを発明したイギリス人たちをも
びっくりさせる90分を、
ひとりの若い選手が繰り広げました。

ステファン・ヨヴェティッチ選手、
この11月に20歳になりますから、
まだ19歳です。

franco

彼はモンテネグロ出身で、
現在フィオレンティーナでプレイしていますが、
9月29日に、
UEFAチャンピオンズ・リーグの試合で、
あのリヴァプールを負かす2ゴールを記しました。
このゲームはフィレンツェの歴史に残るでしょう。

イブラヒモヴィッチがバルセロナへ、
カカがマドリードへ移ったあと、
イタリアサッカー界では
偉大なスターが減った感がありますが、
そこに登場した新しい星、
それがこのステファン・ヨヴェティッチです。

彼の見た目は、まだ少年のようで、
ビートルズのだれかに似ています。
しかし抜け目の無い顔立ちに
夢見勝ちな生き生きとした瞳が、
サッカー選手として並みではなかろうことを
物語っています。

franco

コルヴィーノの口説き方。

彼は2年前まで
パルチザン・ベオグラードに所属していました。
そして彼については、
ヨーロッパ各地のチームが獲得を狙うほど、
前評判も高いものでした。
そんななか、レアル・マドリードやチェルシー、
そしてインテルなど、
居並ぶ列強チームを押さえ込んで
彼を獲得したのがフィオレンティーナでした。
でも、どうやって?
フィオレンティーナの総監督である
パンタレオ・コルヴィーノ自身が語る戦略は
こうです。
「私には、かつて東側だった国々の若者についての
 確かな経験があります。
 彼らの何人か、たとえばボジノフ、
 ヴシニック、アンドファイなどを
 私はイタリアに呼び込んだことがあります。
 パルチザン・ベオグラードの
 試合を何回も見ましたが、
 ヨヴェティッチは毎回新しいこと、
 それまでより優れたことを見せていました」

franco

そこでコルヴィーノは、
フィオレンティーナやTod'sのトップである
デッラ・ヴァッレにそのことを話し、
パルチザンに提示する金額を
8百万ユーロと決めました。
その後で、彼らは最も困難な課題、
つまりマドリードやロンドンではなく
フィレンツェに移動することを、
ヨヴェティッチ自身に納得させる
戦略に出たのです。

コルヴィーノは
「美しさ」という武器を使いました。
いや、彼の美貌で口説くなんてことは
ありえませんから、
もちろんフィレンツェの「美しさ」ですが。

「ステファンとご両親を、一週間、
 フィレンツェにご招待しました。
 彼らは、この街にしかない美しさを賞賛し、
 街を取り囲む丘の素晴らしい住まいや
 トスカーナ料理を絶賛し、
 フィレンツェっ子たちの優しく
 愛情にあふれた気質に
 文字通り夢中になりました」
というわけです。

フィオレンティーナが
今回のUEFAチャンピオンズ・リーグで
どこまで行けるか、
ぼくには勿論まだ分かりませんが、
その圧倒的な熱意が対リヴァプール戦を
信じがたいほど素晴らしいものにしました。
かつて数年間をフィオレンティーナでプレイし、
比類なきアイドルだったバッジョに
なぞらえる人も現われるくらいの
卓越したプレイの数々を、
イギリスの新聞各社も記事にしました。
そしてすぐに彼を「世界のアンダー20」の
最も優れた選手の一人に選んだのです。

francofranco

スティングも絶賛。

ところでフィオレンティーナの観戦には、
フィレンツェ近郊に住むポップスターの
スティングも来ており、
このゲームに魅了されたようです。

彼はこう言っています
「いくつかのプレイは、
 アイルランドのあの忘れがたい名選手
 ジョージ・ベストを、
 再び目の当たりにしたみたいだった」と。

franco

Jo-Joと呼ばれているヨヴェティッチは、
当然イタリアの大チームたち、
中でもとりわけインテルからは、
とくに注目されている一人です。

彼をフィオレンティーナに呼び込んだ
コルヴィーノは、
彼に8百万ユーロ使いましたが、
メルカートに出すとしたら
どれくらいの値段をつけるでしょうか。
もっとも、今のところフィオレンティーナは
彼を手放す気はありません。

「フィオレンティーナには
 将来に向けた大きな野望があり、
 その大志を育てるためには、
 より優れた選手を売りに出さないという、
 事実上の義務があります。
 ですから今のところ、
 ヨヴェティッチには値段はありません」と
コルヴィーノ自身が語っています。

「今のところ」ですか‥‥
この勢いのままで行けば、
モンテネグロの若者ヨヴェティッチが、
数ヶ月後に巨大な競売の扉を
開かないとも限りませんけどね。


訳者のひとこと

モンテネグロは、
旧ユーゴスラヴィア共和国を
形成していた地域のひとつです。

ところで、スティングが
フィレンツェの近くに住んでいたとは、
私は知りませんでした。
コモ湖のそばには
ジョージ・クルーニーもいるというし、
やはりイタリア暮らしは
全世界的に人気があるのですね。

さて、ヨヴェティッチは
ビートルズのだれかに似ているって‥‥
ポール・マッカートニー?

うららさんイラスト

翻訳/イラスト=酒井うらら



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