フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

フィレンツェの旧い墓地。

franco

日本でもすでに
イタリア総選挙の結果が報道されたと思いますが、
ベルルスコーニが圧勝いたしました。
だからというわけではありませんが、
今日は、ある墓地のお話をいたします。

「死」は誰にも必ずおとずれるもの‥‥
でも、死者たちは思い出の中に生き続け、
彼らへの愛情は決して忘れ去られることはありません。
彼らは記憶の中で、ずっと大切にされるものです。

ところが、この愛の国イタリアに、
男性の死者と女性の死者にたいする扱いの違い、
いや、むしろ差別と言えることがあった証拠が
再発見されました。

それも、どこからどう見ても世界的な芸術の街、
世界で最も美しい街のひとつと言われるフィレンツェで、
1700年に作られた墓地が見直されているのですが、
そこには男性だけが埋葬を許され、
女性は、生前も死後も立ち入り禁止であった、
ということが、わかりました。
まったく、イタリアには、
まだまだ不思議がいっぱい残っているようです。

この再発見に驚きあきれたフィレンツェ市は、
こんなことは終わりにしなければいけないと、
ある決心をしました。

franco

苔むした大門に閉ざされ
忘れ去られた墓地。

アルティスティ通りにあるそのピンティ墓地は、
時間の経過の中で苔むした大門に閉ざされたまま、
今日では忘れ去られた存在でした。

最後の埋葬は、実に110年前の1898年に行われ、
その後は親戚に花を持って来る訪問者が
数人いるだけだったそうです。

70歳の管理人、ピエロ・オットネッリさんが言うには、
「最後に訪問者がこの墓地の中まで来たのは3年前で、
 お祖父様に花を持って来た男性でした。
 その時すでに彼も80歳をこえていましたが、
 それが最後で、もうずっと誰も来ません」
とのことです。

墓地に入ると、墓の周囲に
整えられていたであろう公園には雑草が茂り、
長年の風雨で囲いも崩れ、
もう管理人は手の出しようがないほど荒れた状態です。
どうせもう誰も来ないとはいえ‥‥。

franco

110年もの間だれも埋葬されていないこの墓地は、
300年ほど前に建てられたのですから
「歴史的建造物」であるはずなのですが、
壁は風や太陽や寒さに晒されて
ボロボロに砕け落ちつつあります。

この墓地には男性3600人が埋葬されており、
3600個の骸骨が、近所の大学の
解剖学の学生たちの役に立ちましたが、
その多くは粉に砕けていることでしょう。

franco

そんな状態の「男性専用」のこの墓地を、
フィレンツェ市が立て直そうと決心いたしました。
ついでに女性も埋葬できる墓所を設けよう、
というわけです。
この墓地の作られた1700年、
つまり300年以上も前の規則は廃止、というわけです。

建築学的観点から見ても、全部を再建し、
ついでにモダンなスペースも作る価値はあります。
ただし費用は恐ろしくかかりそうですね。
じっさい、この計画には
1100万ユーロ以上かけると言われていますが、
その金額なら博物館がひとつ建てられますし、
園内には、子供たちが遊べる公園も作れます。
死者たちの骨はどこかに寄せるとして。
フィレンツェのほぼ真ん中に
緑のオアシスが出現する計算です。
そうすれば、今は荒れ果てているこの墓地も、
観光の目玉のひとつに変身できるでしょう。

フィレンツェには世界各国から人々が訪れます。
ウフィツィ美術館では
ボッティチェッリのヴィーナスの美しさに歓声をあげ、
アカデミア美術館ではミケランジェロのダヴィデ像の前で
あいた口が塞がらないほど感激したあとで、
緑豊かな公園があれば彼らも一息つけます。
そこがかつては「男性専用」の墓地だったとしてもね。

どうなりますことか、
数年後を、どうぞお楽しみに。

franco

訳者のひとこと

この古い墓地、
フィレンツェ市が再建するからには、
きっと美しい場所になると思いますが、
写真にある棺桶や馬車は、
ぜひとも博物館に収めて欲しいですね。

ちなみに、ヴェルディやトスカニーニの眠る
ミラノの記念墓地は、
それぞれのお墓の彫刻なども凝っていて美しく、
墓地そのものがまるで美術館のようです。

翻訳/イラスト=酒井うらら

2008-04-22-TUE

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