フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ある幸運な日本人青年とトリノ。


franco

1949年5月4日、
イタリアのスポーツ界最大の悲劇が起きました。
その日、リスボンからトリノの
選手団を運んでいた飛行機が、
霧のために視界を見失い、
スペルガの丘に墜落したのです。
あと数キロメートルで飛行場の地点でした。

その飛行機に乗っていたトリノは、
当時はイタリア最大のチームで、
ほかのチームと区別するために、
il Grande Torino
(イル・グランデ・トリノ、偉大なトリノ)
と呼ばれていました。

この事故にイタリア全土が涙を流し、
カンピオナートのシーズンの終わりまでもう少しでしたが、
残された試合には【Primavera】(プリマヴェーラ=春)と
呼ばれていたユースのメンバーが出場しました。

その年、トリノは連覇でもある
4度目のイタリアチャンピオンの座を勝ち取り、
そしてイル・グランデ・トリノの思い出は、
その偉業の数々をじっさいに目の当たりにした人や、
伝説的な物語を新聞や本で読んだ人の心に残りました。

franco

そして数年前のこと、
日本のある青年──S君、としておきましょう──が、
彼の父親が東京で買った本をプレゼントされました。
イル・グランデ・トリノについて書かれた本でした。

franco

たったひとりのトリノ・クラブ。

S君は、その本で、イル・グランデ・トリノの栄光や
英雄的な偉業の数々に初めて接しました、
そしてキャプテンのヴァレンティーノ・マッツォーラや、
トリノとそのザクロ色の
チームカラーの話を読み進むうちに、
心の底からトリノのファンになったのでした。

深く愛するチームの試合を見るために、
S君が数日間イタリアを訪れるようになってから
今年で4年になるそうです。
彼は言います
「ぼくの父は、あの素晴らしい本をぼくにくれたことで、
 愛というものを贈ってくれました。
 彼がぼくに伝説のチームの話を教えてくれたので、
 ぼくは、イル・グランデ・トリノのチームカラーと、
 永遠につながったのです」

そして
「ぼくは日本にトリノ・クラブを作りました。
 今のところ会員はぼく一人ですけどね。
 これが、ぼくの4度目のイタリア巡礼です。
 全てのイタリア人がその偉業を愛し、
 起きてしまった事故に涙した、
 昔から桁外れなこのチームを、
 ぼくも愛し感動し賞賛するために、
 ここに来るのです」と、彼は続けました。

S君にとって最高に幸せだったのは、なんと言っても、
トリノのアイドルであるアレッサンドロ・ロズィーナに
客として迎えられたことでしょう。

今回のトリノ訪問中に彼が観戦したのは、
トリノが4対2を4対4の引き分けにまで挽回した試合と、
常にライバルで同じトリノ市をホームとする
ユヴェントスと引き分けた試合でした。

S君は心の中のトリノと素晴らしい思い出の日々を胸に
日本に帰りますが、その素晴らしい日々は
1年後にまたやってくるでしょう。

S君は言います。
「ぼくは2009年にもイタリアに帰ってきます。
 できればずっと毎年‥‥トリノとぼくは永遠の愛で
 つながっていると思うのです」

トリノも、S君が帰ってくることを、
親しみと愛情をもって待っていることでしょう。
‥‥つまるところ、彼が観戦していた試合では、
トリノは負けたことがないのですから。

トリノに幸運を招くお守りのような青年が日本人で、
毎年はるばる観戦にやってくるなんて、
だれに予想ができたでしょうか?
サッカーが時と距離を超えてつないだ輪が、
ここにも、ありました。

訳者のひとこと

トリノは1906年設立のチームです。
2月27日付では、セリエAで13位です。
いえ、順位の問題ではありませんね。
好調な時も、そうでない時も、
愛して止まないのがファンというものです。

urara

翻訳/イラスト=酒井うらら

2008-03-04-TUE

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