フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

デル・ピエロ、アズーリを去る?


アズーリの新監督ドナドーニは、
世界チャンピオンの選手たちを相手にするには
器が足りないのではないかと考えた人もいたようですが、
どうしてどうして、そんなことはないようです。

もっかアズーリはUEFA EURO2008の予選を闘っています。
10月7日の土曜日、対ウクライナ戦で、
ドナドーニ監督はアレッサンドロ・デル・ピエロを
ゲームの最初からプレイさせ、
約1時間のプレイののちに退場させました。
試合は2対0でイタリアが勝利しています。

それから数日後の10月11日には、
トビリシの地での対グルジア戦で
彼をプレイさせなかっただけでなく、
最初からスタンドに送り込みました。

ドナドーニはすぐに
「あれはテクニック面での選択でした。
 彼がピッチにいなかったのは、
 彼のコンディションが不十分だったためで、
 しかたないことでした」
と、説明しました。

そしてデル・ピエロ不在のイタリアは、
ウクライナと闘った時のようにグルジアにも勝ち、
引き続き予選に参戦します。
困難で障害の多い予選になると思いますが、
もうデル・ピエロが出場する事はないでしょう。
どうも、10月7日に土曜日のゲームが
デル・ピエロのアズーリとしての最後の試合だったと
考えるのが自然のようです。

時の神は無情なり


代表をはずれてもイタリアのカンピオナートでは、
ユヴェントスに残った彼はセリエBでプレイします。
これまでに彼はユヴェントスのシャツを着て
199ゴールを印しています。
でも、年令は消せません。
彼は現在32歳で、10年以上もの
最高レベルの主役としてのキャリアを進めてきました。

UEFA EUROの1996、2000、2004年大会、
W杯では1998フランス大会、2002日韓共催大会、
そして世界チャンピオンに輝いた2006ドイツ大会、など、
彼はいつも偉大な立て役者として試合に参加していました。
それはアズーリのメンバーとして
大きな責任を果たした人生であり、
サッカーにおける
“まさに桁外れな”キャリアでした。

時の神は無情ですね。
32才という年令は、ひとりのサッカー選手として
決して「年寄り」とはみなされないとしても、
デル・ピエロの場合は、故障が彼につきまとっていました。
ロナウドに次ぐ世界最強サッカー選手たちの中に
数えられながら、
1998年のカンピオナートの試合中に受けたひどい事故で、
彼はほぼ2年間も試合から遠のかざるを得ませんでした。

ドイツでのW杯優勝は
彼のキャリアを引き延ばしたかに見えました。
あの勝利が不老長寿の妙薬のように
彼を若返らせてくれたのではないかと‥‥
しかしアズーリの新監督ドナドーニは、
彼をもう任務の水準にないとみなし、
UEFA EURO2008の予選のために、
事実上、彼を代表チームから外しました。

デル・ピエロはイタリアサッカーで
最も愛された選手のひとりです。
いや、今も「愛されて」います。
彼のプレイはいつも、
着ているシャツの色など忘れさせるほどなので、
ユヴェントスに属さないティフォーゾからも
賞賛され評価されています。
彼は「ユヴェントスの選手」というよりは、
だれにとっても「桁外れの選手」だったのです。

ロベルト・バッジョという
もう一人の桁外れな選手がつけていた10番を、
ユヴェントスで彼が引き継いでいたのは
決して偶然ではありません。
引き継ぐべくして引き継いだのです。

そして、デル・ピエロのような選手たちが年令によって
代表チームという舞台を去らなければならないのは、
大変に残念なことです。
彼はユヴェントスでプレイを続けますが、
じゃあ何も変わらないじゃないかとは言えないでしょう。

だって、ユヴェントスのティフォーゾが愛するのは
チームカラーの白と黒ですが、
アズーリの青はイタリアサッカーを愛する人の色です。
その青をデル・ピエロがもう着ないとなれば、
イタリアサッカーを愛する全ての人びとにとって、
あまりに寂しいことです。

訳者のひとこと
三浦知良選手だって頑張っているのだからと
期待したくなりますが、
あまり無理もして欲しくないし‥‥
いずれにせよ、特に今のユーべには
彼の存在が必要でしょう。
存在そのものが他の選手たちの気持ちを
盛り上げる、カリスマ性のある人ですものね。

翻訳/イラスト=酒井うらら

2006-10-17-TUE

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