フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

栄光と屈辱。



W杯ドイツ大会での優勝という栄光の後に、
分かっていた事とは言え、
イタリア国内では不正ゲームスキャンダルの嵐が
待っていました。

世界チャンピオンに輝いたのは
代表チームのアズーリたちであって、
スキャンダルはクラブチームの問題です。
しかし「サッカー」の名の元に
スキャンダルがイメージを汚した事実は、
ぬぐい去りようもありません。
あらゆる限界を超えて腐敗したイタリアサッカーに、
前例のない厳しさで処罰がくだりました。

クラブチーム、続々と降格。


最も栄光に満ちたイタリアのクラブチームである
ユヴェントスは、セリエBに降格されました。
ラツィオとフィオレンティーナも同様です。
その一方で、ACミランはセリエAに残るでしょう。
ただし、ヨーロッパのどの選手権にも出場せず、
来期のカンピオナートでは
15点の減点からスタートするという、
ペナルティー付きです。

セリエBに降格された3チームにも、
セリエBでプレイするだけではなく、
厳しいペナルティーが課せられました。
ユーベは30点、
フィオレンティーナは12点、
ラツィオは7点の減点です。

7月9日という、
アズーリに4回めの世界チャンピオンの
タイトルをもたらした日は、
「輝かしい歴史」の一日となるでしょう。
そしてその直後の7月14日も、
同じように歴史に残る日になるでしょう──
こちらは、栄光の後の屈辱として
「苦しみの歴史」の一日として。

セリエBに落ちるユヴェントスに対しては、
30点の減点に加えて、
2つのスクデットの取り消しがなされます。
2004〜2005シーズンのものは取り消し、
2005〜2006シーズンのものは記録にも載りません。

チームにとっての大災害は、
事を次のステージに進め続けています。
資格を抹消される責任者たちも相次いでいますし、
新しい監督の契約をするチームもあります。
ユヴェントスでは、
あたふたとレアル・マドリードへ去った感のある
カペッロ監督の替わりとして、
ディディエ・デシャンと契約しました。

ベルルスコーニのACミランは、
セリエA残留とは言え、
衝動的な汚点を残しました。
このイタリア共和国前首相は、
政治的な動機でチームを苦しめたことを
スポーツ裁判で告発されました。

そしてチームとしてのACミランは、
ヨーロッパの選手権出場を禁止され、
次期のカンピオナートでは
15点の減点からのスタートという次第です。

靴のトッズのオーナーである
デッラ・ヴァッレのフィオレンティーナは、
12点の減点を伴ってのセリエB落ちで、
会長の彼自身も、
審判らを買収してティフォーゾを騙し、
道徳性に反したということで有罪になりました。

チームへの愛情が踏みにじられた‥‥。


ラツィオはティフォーゾたちが広場に集結し、
ロティト会長に対して抗議し、意義を申し立て、
混乱に混乱を重ねました。

事実上、最も被害を受けたのは
ティフォーゾたちであるという事になりますね。
彼らが有罪にされたも同然で、
騙された人びとでありながら、
その代償を支払う格好になるのは彼らです。
彼らの感情は欺かれ、
カンピオナートのゲームをフォローさせ続ける
原動力であった「チームへの愛情」は踏みにじられ、
酷く傷つけられました。
彼らは、まるで総てが嘘で、
総てが監督によってあらかじめ仕組まれていた
映画の数々を本気で観ていたようなものです。

スキャンダルの中心人物であるルチアーノ・モッジは
5年間の資格剥奪と、除籍の提言もなされており、
フェデレーション会長のフランコ・カッラーロは
4年間の資格剥奪が言い渡されています。
それもふくめ、フェデレーション、審判員、サッカー組合、
それぞれの頭の全員が資格剥奪となりました。

ほんの数日の間に喜びから苦しみへ、
栄光から屈辱へと事が進んだわけですが、
これより酷くは運びようもなかったと、
ぼくは思います。

訳者のひとこと
部外者がどうこう言える問題ではありませんが、
これは悪い部分を摘出する大手術と、
とらえるしかないような気がしますね。

一介のファンといたしましては、
早い回復を祈るのみです。
翻訳/イラスト=酒井うらら

2006-07-25-TUE

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