フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

監督たちの舞踏会。


メルカートで移動の交渉がもたれるのは、
選手たちばかりではありません。
イタリアサッカーの3大チームである
ACミラン、インテル、ユヴェントスが
UEFAチャンピオンズ・リーグの準々決勝戦、
つまりヨーロッパの8強に残っていますが、
ここ数日のイタリアでは、
選手より監督のメルカートに
全ての注目が集まっているのです。

ズラリと並んだ監督たちの名前は、
アンチェロッティ、リッピ、カペッロ、
エリクソン、ドナドーニ、そしてジーコまでいます。
これは春にさきがけて毎年慣例としてくり返される、
「監督たちの舞踏会」と言われています。
舞踏会でも、メルカートでも、
だれを新しいパートナーにするかが問題ですからね。

誰がどこに行くのやら‥‥。


ACミランはカルロ・アンチェロッティ監督に
満足しているはずなのですが、
なぜか彼の名前がメルカートにありますね。

今やサッカーを選挙の巨大な重要スポットと
見なしているACミランのオーナー会長、
シルヴィオ・ベルルスコーニは、
4月9日総選挙投票の日に
自分が首相でなくなるかもしれないというのに、
サン・シーロ競技場での
対バルセロナ友好試合に立ち会いました。
そこには、ACミランのかつての栄光を共にした
ヴァン・バステン、グリットらもいました。
そして、バルセロナ側のメンバーでは、
ベルルスコーニが取得を熱望していると
先週ここでお伝えしたロナウディーニョも、
最後の30分に出場しました。

じつはスペインの新聞などには、
レアル・マドリードの次の監督について、
さまざまに報道されています。
その候補者の中には、まさにACミラン監督の
アンチェロッティが含まれています。
彼のACミランとの契約が切れるのは
2008年6月ですが、
ベルルスコーニの意見は明解で
「アンチェロッティは、彼自身が望むなら
 レアル・マドリードに行くこともできます。
 ACミランは彼に満足していますが、
 もし彼が望むなら、それを阻止しないでしょう。
 彼自身が選ぶべきことです」とのことです。
もしアンチェロッティが出て行くなら、
そのポストをロベルト・ドナドーニが継ぐのは明らかです。

ただし、レアル・マドリード行きの可能性があるとして
挙げられている名前の中には、ユヴェントスの
ファビオ・カペッロ監督も入っています。
彼とユーべの契約は2007年までですが、
こちらも道を選ぶことができます。
そして、彼を望んでいるのは
レアル・マドリードばかりではありません。
現イギリス代表チーム監督のスヴェン・エリクソンが、
その仕事を終えるW杯の後は
ユヴェントスに行くかも知れませんから、
イギリス代表チームもカペッロを新しい監督として
迎えたがっています。

ジーコをインテルがほしがってるだって?!


さて、イタリア代表アズーリ監督の
リッピの今後にいたっては、
なんとユヴェントスへの復帰の道も除外できません。
メルカートでは何でも有りなのです。
どんでんがえしも起こり得ます、それがメルカートです。

この伝統的な「監督たちのワルツの輪」から、
インテルも外れるわけにはいきません。
もしインテルが、今回もまた
UEFAチャンピオンズ・リーグで優勝しなかった場合、
(といっても、インテルがこの大会で最後に優勝したのは
 1965年というはるか昔なんですけどね)
マンチーニ監督は交代させられる可能性があります。
その後を継ぐかもしれない人物の名前が、
ここ数日の間に、にわかに浮上してきました。
それがびっくり、もっか日本代表チームを監督している
ジーコだというのです。

インテルのオーナーであるモラッティは、
ジーコがW杯後は監督として
ヨーロッパに来るかもしれないことを新聞で読み、
すぐさまフランコ・カウズィオを介して
情報を得ようとしたようです。
カウズィオはインテルの元選手であり、
ジーコがウディネーゼにいたころの同僚でもあり、
現在はテレビの解説者をしています。

ジーコは、このアプローチに、どう答えたのでしょうか?
そもそも「返答」したのでしょうか?
まだ、だれも知りません。
これと同様に、
カペッロやアンチェロッティについても、
イギリス代表チームの次の監督がだれなのかも、
ACミラン、ユーべ、レアル・マドリード、インテルが
この先どうするのかも、まだ、だれにも分かりません。

だれも答を知らないのに、
みんながそのことを話している‥‥
まったく「典型的にイタリアらしい」ことに
なっております。

訳者のひとこと
ふふふ‥‥
「典型的にイタリアらしい」と言えば、
広場などでも討論の輪があちこちに
できていたりして、
カンカンガクガクやってます。
知らない同士だというのですから、
日本では考えられませんね。
「討論する」ことに意味があるのであって、
結論は出ないことのほうが多いのでしょう。
こういう広場討論は、
いつどういうふうに終るんだろうと、
いつも思っていました。
解散の現場に立ち会ったことがないので、
いまだに気になります。
翻訳/イラスト=酒井うらら

2006-03-21-TUE

BACK
戻る