フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ユヴェントス若き会長の大スキャンダル。


VIP、セックス、サッカー、コカイン、
これらがカクテルのように混じりあって、
ひとつのスキャンダラスな事件が起こり、
イタリア人たちは、その裏側に
なにが潜んでいるのかと興味津々です。

イタリア人の良心をひっかき回した
スキャンダルの中心人物は、
イタリアでいちばん愛されているサッカーチームである
ユヴェントスの若きラーポ・エルカン会長、28才です。
彼は、いわゆる典型的な「おぼっちゃま」であり、
アニェッリ一族の最も有名な後継者です。
といっても「大変に立派な」とは言えないようですが、
ともかく、あの偉大な故ジャンニ・アニェッリの孫であり、
FIATのプロモーション部門の責任者でもあります。
(それでユヴェントスの会長にも
 ならざるを得なかったのです)
富豪で若くて美男で、だれからも羨まれる彼が、
先週の月曜日の朝にトリノの病院に収容されたのです。
原因は、生命をおびやかすほどの大量のコカインでした。
奔放で掟にそむいた狂乱の性の一夜を
極限にまでもっていったのが、
麻薬とアルコールの度を超えた
使用だったというわけです。

ラーポと故ジャンニ・アニェッリ(祖父)

ラーポ(左端)とモンテゼーモロ(FIAT会長、右端)

不可解な通報者、彼の交遊。


救急車を呼んだのは52才の男性で、
この人は女装をしていました。
他にも、一般的には倒錯した嗜好と
言われる人がふたり、
計3人がラーポと一緒にいたそうです。

救急車は若いラーポを載せてサイレンを鳴り響かせながら、
トリノのマウリツィアーノ病院に到着しました。
ラーポの表情はこわばり、
仮面のようだったと伝えられています。
死の待ち伏せに出くわしてしまい、
恐怖にかられた人の顔を表すタイプの仮面でしょう。

ラーポは昏睡状態のまま3日間にわたって
生と死のはざまで闘いました。
そして死は、
イタリアで大変に羨ましがられている
若者のひとりをかすめただけで、過ぎ去りました。
若さの持つ強くたくましい「生きる意志」が、
最後は優位に立ったのです。
木曜日の午後にラーポは目覚め、
彼の両親にむかって最初に言った言葉は
「ぼくを許して下さい、
 ぼくはとんでもなく馬鹿なことをしました」でした。

ラーポ・エルカンはユヴェントスの大株主でもあります。
数週間前に、カッサーノへの好意から、
彼はデル・ピエロに対する激しい挑発に突入していました。

ラーポ(右)とデル・ピエロ(左)

ラーポの言い分は、こうです。
「デル・ピエロは稼ぎすぎだ。
 それに以前のような良いプレイがない。
 ユヴェントスにとって理想的であり、
 FIATの証人(キャラクター)にふさわしいのは
 カッサーノだろう」

こうまで言われたアレッサンドロ・デル・ピエロが
「ラーポ・エルカン緊急入院」のニュースを知ったのは、
代表チームのアズーリと共に帰る途中のことでした。

デル・ピエロは優秀な青年として、
ラーポに対しても、とても好意的に
「彼は、今この時に苦境を生きている
 ひとりの青年です。
 彼が早く退院できることを祈ります」と
コメントしました。

ユヴェントスのティフォーゾの多くが
エルカンの入院している病院を訪れ、
花と、早い回復を願う言葉を届けました。

ユーヴェのティフォーゾたち(集中治療科のドアの前で)

トリノの、その病院には、
FIATとフェラーリの会長であるモンテゼーモロから
アニェッリ一族の面々まで、
若い億万長者に会いに行くVIPたちの列ができました。

マレッラ・アニェッリ(ジャンニの奥さん、ラーポの祖母)

ラーポ(右)とヴァレンティーノ・ロッシ
(MotoGPチャンピオン、左)

アメリカ合衆国の元国務長官である
ヘンリー・キッシンジャーからも、
ラーポのもとに巨大な花束が届きました。
ラーポは1年間ほど、キッシンジャーの
事業協力者だったことがあるのです。

イタリア中の新聞、テレビ、ラジオが
前例のない出来事の中で、
ラーポの入院について刻々と追跡報道しました。

それにしても、なんでこんなことに‥‥と、
多くのイタリア人たちが首をひねっています。
その人生に何の不足もないはずの28才の青年が、
コニャックやシャンパンやコカインをごちゃまぜにして
生命をおびやかすほど大量に飲み明かし、しかも、
一緒にいたのが彼とは全く別世界に生きていると
思われる人たちだったというのですから、
ありきたりで平和な月曜日の朝に起こった
この奇怪な出来事について、
だれもが疑問をいだいくのも当然です。

だれも、この疑問に答えは出せないのですが。

訳者のひとこと
救急車を呼んだのは「若い女性」だったと、
最初は報道されました。
それは、男性が
「パトリツィア」という女性の名前を
使っているための混乱だったようです。
フランコさん情報によると
その52才の男性は女性になる手術を
受けたがっていたとか‥‥。

パトリツィア

なお文章中、最初のほうですが、
「おぼっちゃま」とあるのは、
フランコさんの原文でも
obochamaと書いてありました。
このままだと「おぼちゃま」だし‥‥
ま、それはご愛嬌として、
フランコさんはご存じでも
イタリアに浸透している日本語とは思えませんので、
ローマ字で残したい気持ちを押さえて、
「おぼっちゃま」と表記しました。

ところで、固有名詞のカタカナ表記ですが、
今回の「ユヴェントス」のように
VとBの違いなどをふくめ、
このページでは今回以降、発音に近い表記を
採用させていただくことにしました。
翻訳/イラスト=酒井うらら

2005-10-18-TUE

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