フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ベルルスコーニの「政治とスポーツ」。


1960年代の終わりころ、世界中の学生たちが
それぞれの国のそれぞれの場所で、
反権力闘争を起こしていました。
権力を持つ者は豊かな想像力も持つべきなのに、
いまの自分たちの国を治めている権力者にはそれがない、
したがって自分たちがそんなやつらにかわって
世界を変えるのだという理想を掲げ、
世界各地で闘争をくりひろげました。
しかし──、一言で言えば、
彼らは国をひっくり返すことは、できませんでした。

しかし、権力を握って想像力を働かせ、
国を思いのままにするということを、
現在のイタリアで、ほぼ実現させたと
思っている男がいます。
ベルルスコーニ首相です。


ベルルスコーニの周到な準備。


シルヴィオ・ベルルスコーニは、
10年ほど前のイタリアで、
ACミランの、とても人気のある会長でした。
そのチームはイタリアでの
リーグ・チャンピオンのしるしのスクデットを勝ち取り、
ヨーロッパではチャンピオンズ・カップを、
世界ではトヨタ杯を勝ち取っていました。
この会長は、スチルカメラやテレビカメラの前で、
偉大な選手たちと一緒に、
彼らの勝利を祝うチャンスを逃がしませんでした。
そしてとうとう選挙に立候補し、
イタリア政府の首相に選ばれました。
彼はこの10年ほどの間に、
勝利し、負け、そしてまた返り咲きました。

メディア王でもある彼は、
常にサッカー効果を最大限に利用しました。
2002年5月に、アズーリがW杯のために
仙台へむけてイタリアを発つ時のことです、
彼は出発前の代表チームに会ってエールを送り、
お返しにトラパットーニ監督が
アズーリの10番のナンバーのユニフォームを
彼にプレゼントしました。
そのシャツには10番をつける選手の「トッティ」ではなく、
「ベルルスコーニ」の名前が書かれていました。
もちろん用意周到なベルルスコーニは、
総てのイタリアのテレビ局が、
その映像を放映するように仕掛けていました。
サッカーが、政治家としての自分の采配に
たいへん役立つことを、彼はよく知っていましたから。

「サッカー効果」にすがりつづけている
ベルルスコーニ。


ここ4年間、また首相の座にいるベルルスコーニの政党は、
ローマのあるラアツィオ州や、
ミラノのあるロンバルディア州など、
イタリアの裕福な州の知事の座を獲得すべく
立候補者を立てています。
そして、投票者をより多くつかまえるために、
彼は何年も前のトリック、つまり「サッカー効果」に、
またもや、すがってます。

ACミランは現在、カンピオナートのトップであり、
イタリア・チャンピオンのタイトルは目前です。
UEFAチャンピオンズ・リーグでは8強に残っており、
先週ここで書いたように、準々決勝戦では
伝統的なライバルであるインテルと対戦します。
もちろん勝ち進んでヨーロッパ・チャンピオンの
タイトルも勝ち取ろうとしているわけで、
その野望は、もう止まらない勢いです。

ベルルスコーニは今まで、
ACミランの重要な勝利の場面の
数々に立ち会っています。
イタリア人たちが他のどんな事より
サッカーが好きなのを見て取った彼は、
イタリア国民が彼に投票したくなるようにと、
一度ならず
「私はイタリアを勝ち組の国にする、
 私のACミランのような」と
公言しています。

イタリア国民はといえば、
あらゆる政治的な判断とはかけ離れたところで、
4年前、つまりベルルスコーニが選ばれた時よりも
悪い状態に置かれています。
たぶんヨーロッパの諸国もイタリアと同じように、
苦しい状況下にあるのですが、
ベルルスコーニのACミランほど
政治にまで力のあるチームは、どこにも無いでしょう。
スペイン、イギリス、ドイツ、フランス、オランダなどの
チームのどれかがUEFAチャンピオンズ・リーグに
優勝したとしても、ベルルスコーニのチームほど
影響力の強いチームは、
どの国も持っていないということです。

サッカー・チームのオーナーでもある立場を、
一国を統治する能力になぞらえる首相など、
他の国には存在し得ないのですから。

テレビや新聞はベルルスコーニ自身に
コントロールされており、
ACミランに起こることについては
「賞賛」以外の何もしません。

「血液検査拒否事件」は
どう影響するだろうか?


3月20日のローマ対ACミラン戦のあとで、
ベルルスコーニのACミランの選手である
ガットゥーゾとパンカーロが、
アンチドーピング検査の中の血液検査を拒否しました。
たしかにイタリアのスポーツの条例では、
血液の分析検査を拒否できることになっていますが、
この時、イタリアサッカー界の半分は首をひねりました。
その「拒否」の本当の理由が、わからなかったから。
義務ではないのだから批判される筋合いではないとは言え、
理由がわからなければ、議論になるのは必至です。

ベルルスコーニの政党の立候補者たちを
地方の選挙民たちに見直させたいマスコミにとって、
この「血液検査拒否事件」は
反対勢力の良い材料となりました。
テレビや新聞のほぼ全てが、ACミランを痛めつけるために、
パンカーロとガットゥーゾを攻撃しました。
要するに、ベルルスコーニが
「サッカー効果」を政治に導入するなら、
ACミランのオーナーでありつづけている
ベルルスコーニの政党をこきおろすにも
「サッカー効果」を逆利用してやろうというわけです。

ベルルスコーニがほぼ実現した「権力における想像力」が、
60年代の学生運動の理想に
かなっているかどうかは別として、
こんな首相がいるのだから、
イタリアという国は不思議です。
その想像力で世界に名を馳せたてきた国なはずなのに。
絵画、彫刻、建築、音楽、あらゆる芸術の分野で
情熱的に生きてきた国のはずなのに。
サッカーというスポーツを
心から愛している国のはずなのに。


訳者のひとこと
実際のイタリア国民にとって、
私たち外国人がイタリアにあこがれるのとは違う、
厳しい現実があるということなのですねえ。
フランコさんの皮肉度が強いほどに、
イタリアにたいする彼の愛情も
深いということなのですが。
翻訳/イラスト=酒井うらら

2005-03-28-MON

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