フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

トト・スキラッチが返り咲いた魔法の夜。


今回は「魔法の夜」のヒーローの話です。
夜に流れるあるテレビ番組に出ることで、
ふたたび脚光をあびることになった
ひとりのサッカー選手が、そのヒーローです。

彼は深い人生経験を重ねたことがすぐわかる瞳の持ち主です。
実際に彼はチェプという
パレルモ(シチリアの)の貧しい地区の出身で、
彼のパワーと技術と闘争心が合わさったものが、
彼にとってそこから抜け出す唯一のパスポートでした。
つまり、それがサッカーでした。

彼の名はサルヴァトーレ・スキラッチ、
通称トト。
1990年のW杯の期間には、
彼が全イタリアのシンボルとなったのものですが、
その理由はひとことでは説明できません。

不意打ちをくらって面喰らったような、
動物的な激しさのきらめきが宿る大きな目が
魅力的だったから、というだけでは説明になりません。



彼のイタリア語はシチリア訛りにとどまらず
文法もでたらめなら動詞や形容詞の使い方も乱雑で、
「イタリア人のアイドル」には
ふさわしくなさそうに思えるほどです。
ではなぜ、そんなにも人気があったのでしょうか?
そしてなぜ、彼の人気にふたたび火がついたのでしょうか?

貧しいトトがサッカー選手に。

まず彼の育った環境について、すこし説明しておきましょう。
ずいぶん昔の事ですが、
スキラッチの故郷のパレルモでは、
そこに築いた大邸宅で、貴族階級の人びとが
バカンスを過ごしたものでした。
映画のルキーノ・ヴィスコンティ監督は、
その邸宅のひとつで大変に美しい映画の
多くのシーンを撮影しました。
『山猫』です。
貴族の没落を描いた小説を、
彼がスクリーンに蘇らせた名画です。

やがて民主主義の時代となり、
貴族階級の人びとはそこから去って行きます。
そしてその美しい住まいの場所には、
都会趣味のマフィアの狂乱がはびこるようになり、
社会的に疎外されているはずの暴力と無知とが
ぬくぬくと育つ温床のような地区になってしまいました。

そんな地域で育ったトト・スキラッチですが、
13才の時にはもう働いていました。
ニーノ・バローネという男爵のところで、
車のタイヤ交換の仕事をもらっていたのです。

彼の家の経済状態は悪く、
トトが稼ぐわずかなお金が
一家を支えていました。
父親のミンモは、
いちおうは大工だったのですが、
無職に近い状態でした。

スキラッチにはロザリア、ジュゼッペ、ジョヴァンニという
弟や妹がいましたが、彼らは働いてお金を得るにはまだ幼く、
母親のジョヴァンナは、昼食と夕食をあわせて一度しか
用意できない食事を出すにも、苦労するほどでした。

一家をささえていたトトに勉強をする余裕はなく、
小学校を卒業するのも難しい状態でしたが、
ひとたび足の間にボールをとらえた時には、
どうすれば良いのかを彼は知っていました。
天才的な才能でした。
そして彼はその才能をのばし、
サッカー選手になりました。

カターニャの会長が彼のプレイを見て、
彼を買ったのが始まりです。
休みなく走り、ちょっとエレガントではない
この華奢な若者が何かをしでかすだろうと、
この会長は見抜いたのです。

その後スキラッチはユーべに行き、
代表チームにも参加し、インテルへ行き、
キャリアの最後には日本のジュビロ磐田へ行きました。
そう、あのスキラッチですよ。

イタリアでのキャリアのすべてよりも多くを、
彼は日本で稼ぎました。
そして彼の愛するシチリアへ帰った時、
彼はそのお金で、少年選手たちのために
サッカースクールを開いたのです。

──というような物語が彼にはありましたが、
先月までは、とりたてて話題にもなりませんでしたし
これといって彼が再び脚光を浴びるような事件も
何もありませんでした。

ところがイタリアの魔法が、
ふたたびスキラッチをヒーローにしたのです。
イタリア中が改めて彼に惚れなおしたのです。

なぜ彼がかつてイタリアのアイドルだったのか、
そしてなぜふたたび彼がヒーローなのか、
その答を出してくれたのは、
あるテレビ番組でした。

いまイタリアで大人気の
その番組とは?!

アレッサンドロ・デル・ピエロやパオロ・マルディーニが
イタリア人たちに愛されるのは、
イタリア人がこうありたいという姿を、
彼らが現してくれるからです。
彼らへの愛情は憧れと言ってもよいでしょう。

一方、スキラッチが愛されるのは、
憧れというよりは、
イタリア人たちが彼の姿に
自分たちそのものを見い出したからです。
お金は無いし、人生ちょっと悲しいかな、
でも明るく行こうよ、
明日の心配をするよりは今日を精一杯生きようよ、
という情熱を、スキラッチが見せてくれたのです、
そのテレビ番組で。

スキラッチが最近の数週間にわたって出演し活躍した番組は、
「L'isola dei famosi」(著名人の島)といいます。
これが、ぼくがここにも書いた
ベッタリーニ選手の離婚騒動の、
離婚を要求している当のシモーナ・ヴェントゥーリの
番組なんです。



「著名人の島」は、
かつてイタリア人たちのアイドルだったことのある
人物たち数名が、カリブの島へ連れて行かれ、
そこにまとめて置き去りにされるという番組です。

有名人のなかには若者も、そうでない人も、
男たちも女たちもいます。
彼らを映すテレビカメラだけしかないところで、
数週間のサバイバル生活をするのです。
食べ物も自分達で調達しなければなりません、
釣りをして捕った獲物の調理をするにも
マッチなしで火をおこし、
味付けは海水の塩分だけというありさまです。

家もベッドもありませんから、
やしの葉で寝床を作り、
洞くつの中などで寝なければなりません。

この番組は大ヒットして、
イタリアのテレビ視聴率上に数々の記録を打ち出しました。
1回の放送の視聴者が1000万人を越えたそうです。

毎週この番組を見て、
視聴者が一人の人物を選んで落第させ、
その人物だけを島から出て行かせる仕組みです。

スキラッチはその島暮し中に料理を覚え、
仲間と共同生活をし、ズボンを縫い、野宿することを
学んでいきました。

彼は積極的に自分から行動し、
その前向きな姿勢がイタリア人たちの評判を買って、
ふたたびアイドルに返り咲いたというわけです。









彼はなにもかもをさらけだしました。
怒り、喧嘩もし、仲直りし、笑ったり泣いたりしながら
最後まで勝ち残りました。

3人が勝利したのですが、
ひとりはスペインのモデルの男性、
それとインドの男優、
そしてスキラッチがイタリア人として
最初に勝利しました。

1990年のW杯から14年もたった今、
ふたたびスキラッチが愛され賞賛されている理由は
昔と変わりません。
もと有名なサッカー選手だったから
またもてはやされているのではなく、
彼が青年だったころと変わらずに純粋で、
意欲的で正直で清潔だからです。
そして若い頃に彼がイタリア人たちのアイドルだったのも、
同じ理由からだったのです。


訳者のひとこと
まず最初にお詫びから。
先週ここで、ユーべとインテルの試合の日を
勘違いした発言をいたしました。
試合は28日の日曜日で、今週ならもう結果が
出ているのですが、先週の記事が載っている間には
まだ結果は出ていないのでした。
失礼いたしました!!

スキラッチさん、そんなことをしていたのですねえ。
なんだか一段とたくましい写真を見ると、
また日本へ来て欲しい気もしますが‥‥。
翻訳/イラスト=酒井うらら

2004-11-29-MON

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