フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ファビオ・カンナバーロ、インテルを去る。
プランデッリ監督、ローマを去る。



カルチョ・メルカート(サッカー・マーケット)の
大詰めで、今年もドラマが生まれました。
土壇場でインテルのファビオ・カンナバーロが
移籍したのです。
どこへ?
それが今日のお話です。



インテルのシンボルだった
カンナバーロが‥‥

ファビオ・カンナバーロはまだ、
肉体的にも輝きのまっただ中にいます。
1973年9月13日生まれですから、
もうじき31才をむかえるところです。
彼はアズーリ(イタリア代表チーム)のキャプテンであり、
そして1週間前までは、インテルのティフォーゾたちから
もっとも愛される選手のひとりでした。

しかし、この8月31日、
カルチョ・メルカートの最終日に、
移籍騒動がぼっ発しました。
だれもがひっくり返ったのは、
その移籍先がユベントスだったからです。
ユベントス、それは、インテルのティフォーゾたちが、
もっとも敵対視しているチームです。

カンナバーロはイタリアのサッカーにとって、
もちろん大変に優秀なディフェンダーですが、
サッカーの解釈と表現においてもシンボル的な存在です。

彼はサッカーの外の世界でも活躍しています。
2年前のこと、
日韓W杯が始まる1ヶ月前ですが、
カンナバーロはあるファッション雑誌のために、
ほぼヌードの姿を提供しました。
この写真は男性たちには嫉まれ、
女性たちからは絶賛されて、話題になりました。


こういう場合、あなたがカンナバーロの奥さんだったら
どうしたでしょう?
どんな顔をすればよいのでしょうねえ。
はたしてカンナバーロの奥さんは
「寛大に」許したようです。
なぜならそのギャランティが、福祉に寄付されたからです。

そして同じ2002年8月、まさにW杯の直後、
インテルが彼をパルマから購入します。
この購入については、イタリアの新聞のすべてが
前向きなコメントを出しました。

あれから2年、
彼がインテルの黒青シャツでプレイしたのは
このたった2年間ですが、
彼はファビオ・カペッロ率いるユベントスに、
ゴール・キーパーのカリーニと交換に売られたのです。

動いた金は1000万ユーロ?
いや、それは額面上のこと?

ユベントスは、ローマやラツィオと並んで、
クラブチームのなかではイタリア株式市場で
高く評価されている組織のひとつです。
支払われた額も、1000万ユーロと伝えられています。

ただし、その直後にユーベがキーパーのカリーニを、
同じ1000万ユーロで
インテルに譲渡しているところを見ると、
この額は「数字上」だけのことで、
実際にその金額が動いたのではなさそうです。

つまり、実体は、
カリーニとカンナバーロとの
無償交換だったということでしょう。

8月31日に終了したマーケットですが、
経営難のチームが多い中で、
ユーべはエマーソン、カンナバーロ、
イブライモヴィッチを購入し、
良く動いたチームであることは確かです。

さあ、がっかりしたのはインテルのティフォーゾたちです。
だれもこんな売り渡し劇が待っているとは
思ってもいなかったというわけで、
抗議のメールが殺到したインテルのサイトが、
いっとき大混乱におちいるほどでした。

インテルのティフォーゾが
なにをそんなに騒ぐのかというと、
インテルとユベントスの間にある
歴史的ライバル意識が、今も健在だからです。
そのためにカンピオナート(イタリアリーグ戦)では、
この2チームの対戦を「イタリア・ダービー」と呼びます。
イタリアサッカーで「ダービー」と呼ばれるのは、
ふつうは「同じ都市に属するチームどうしの対戦」で、
当然ながら大いに熱く盛りあがります。
この2チームの場合は別の都市の所属ですが、
その、にらいみあいの凄さと熱さから
「イタリア・ダービー」と呼ばれているのですね。
より多く勝利するチームということでは、
ACミランが上ですから、
このライバル意識の激突ぶりが見ものなのです。

ローマのプランデッリ監督の
辞任の理由とは‥‥ああ!

今年も多くの移動のあったメルカートでしたが、
昨シーズン優勝のACミランに遅れをとった3大チームは、
それぞれ監督をかえました。

まずユーベがカペッロそ迎え、
次いでインテルが
マンチーニを新監督に据えました。

一方で、切なかったのは
ローマとプランデッリ監督の場合です。

カンピオナートが始まってから2週間後のこと、
プランデッリはローマの経営陣に会い、
涙のうちに辞任を申しでました。

彼の妻の病気が深刻であること、
そんな彼女についていたいことを話し、
仕事をする気になれないし、
仕事についやす時間のすべてすら、
彼女にささげずにはいられない、
というのが彼の気持ちでした。

悲しい話です。思いきった決断です。
でも、妻が重病に苦しんでいるという苦しみで
プランデッリが泣いているのをテレビで見た
イタリア中が感動しました。
ローマのティフォーゾたちだけでなく、
まさにイタリア中が感動しました。

そしてローマは、
プランデッリの位置にルディー・フェラーを入れました。
彼はW杯の時に、
ドイツ・チームを横浜での決勝戦にまで導き、
ブラジルとの決戦にいどんだ名監督です。

監督の座は退きましたが、
だれもプランデッリのことを忘れないでしょう。
ローマを監督することで得たであろう数百万ユーロより、
愛する女性の微笑みを選んだひとりの男のことを‥‥。



訳者のひとこと
あちらに金のために動かされる人あれば、
こちらに愛の決心をする人あり・・
イタリアから人間ドラマを語るフランコ節、
筆の冴えもさることながら、
彼の人柄と価値観がひしひしと伝わってきて、
「世界はひとつ」という感じがします、でしょう?
翻訳/イラスト=酒井うらら

2004-09-06-MON

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