フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

さよなら、マルコ・パンターニ。


バレンタイン・デイの夜、
ひとりの男が自らの命を絶ちました。
だれも、彼の支えになることはできませんでした。
彼を愛するものは、彼のそばにいませんでした。
彼が輝かしいキャリアの頂点にいたころに、
とことん彼を利用した人々は、とっくに
彼のまわりから姿をけしていました。
彼は、洟をかんだティッシュ・ペーパーを
ゴミ箱に捨てるみたいに、
ありったけ利用された揚げ句に、捨てられました。



きょうは皆さんに、
この悲しいできごとを
お知らせしなければなりません。
マルコ・パンターニが、自殺しました。


散らばっていた薬、
そして彼の書き残したもの。



マルコ・パンターニはたった34才でした。
彼の最期の場所になったのは、
リミニという街のレジデンスの一室でした。

彼は、この40年間で、イタリア人に、
最も愛された自転車選手でした。
それなのに、だれにも気付かれることなく、
彼はひとりぼっちで、この世を去りました。
薬と大量のコカインだけが、
彼をかこむように散らばっていたそうです。

死の前に彼が書いたのであろうカードが
部屋に、残されていました。
いくとおりにも解釈できる内容ですが、
彼の魂の、常識をはるかにこえる優しさと、
痛いほどの繊細さが、そこに読みとれます。




──さまざまな色のなかで、
  すべての色の上のひと色、
  オレンジがかったバラ色。
  バラはバラ色、そして
  赤いバラはもっとも価値がある。


花言葉によれば、
赤いバラは愛と情熱のシンボルです。
彼が失ったと思った「愛」の・・・

僕は2003-6-30付けで
マルコ・パンターニについての記事を
ここに載せました。
僕はその記事の最後にこう書きましたね。
Forza Marco!!(頑張れ、マルコ!!)


その日はバレンタイン・デイでした。
人々が、愛を告げる、その日でした。



彼がすでにドラッグの虜だったことを
そこに書きましたが、
悲惨な状態のマルコがドラッグから抜け出し、
ふたたび人生を愛するために戻ってくれることを、
僕はほんとうに強く願っていたのです。

しかし結果的には彼はひとりぼっちになり、
彼の繊細な魂は孤独にたえられませんでした。

孤独というものは、
鋭い針のようにこっそりと
人の頭脳に忍びこみ、突きささったまま
日ごとに苦しみをふくらませるものです。
そのあまりに酷く深い苦しみのために、
しまいには自由への行為としての「死」を、
孤独におちいった人は考えるようになります。

くりかえします。
その日はバレンタイン・デイでした。
人々が、愛をかわす日でした。
まさにこの愛の日に、
マルコは・・・。

彼の死を知ったとき、
イタリア中の人々が、
しばし立ち止まりました。

彼が自殺した?
そういえば我々はいつから
彼のことを忘れていただろう?
チャンピオンだからというよりは、
ひとりの人間としてのマルコ・パンターニに、
もっと愛情をそそげたのではないか?

このニュースをさまざまに思いめぐらし、
このことについて自分は無罪だと言える人は
ひとりもいないという思いに、
僕らはたどりつきました。
そして、後悔と悲しみに八つ裂きにされて、
イタリア中が泣きました。

どうしてこんなに悲しいことに
なってしまったのでしょうか・・・




なにがただしかったんだろう。
なにがまちがっていたんだろう。



6年前、パンターニは、
ジーロ・ディタリアと
トゥール・ド・フランスに勝利し、
自転車競技界を熱狂させました。
彼は、両レースとも文句無しの完璧な勝利で、
チャンピオンになったのです。

ところがその1年後、
彼はドーピング検査で陽性と判定されます。
そして、その時まで彼をさんざんに利用し、
私腹をたっぷり肥やしたであろう人々が
手のひらを返したように態度をかえます。
彼こそは自転車競技界のみならず、スポーツ界、
いや世界の諸悪の根源だとさえ言って、
マルコを突き上げました。
でも、本当に彼だけの責任だったのでしょうか?

マルコのおかげで素晴らしい感動を得た
多くの人々が、彼の死に失望して泣くのを
僕は目の当たりにしました。
彼がひとりぼっちになった時に、
なにも助けてあげられなかったことを
恥ずかしく思い、後悔し、
悲しみに引き裂かれている人々を、
僕は知っています。

でも、もう何も変えられません。
バレンタイン・デイに、
愛の日に、マルコはこの世を去ったのです。
人々をたくさん愛したのに
少ししか愛してもらえなかったことを
どんなに悲しんでいたんだろう。

恋人たちのだれもが
彼らの愛を祝っているころ、
悲運のマルコ・パンターニは
たったひとり、
最後の日々を過ごしていた
レジデンスの一室に閉じこもり、
自分は愛されていないと感じながら
自らの死を選びました。

でも、ほんとうに彼を愛しつづけた
少しの人々は、
これからも彼を愛しつづけられると知っています。
「死」は彼を連れていってしまいましたが、
彼のぜんぶを永遠に運び去ったのではありません。

僕らはマルコ・パンターニを、
死に神にちょっと貸しただけです。
マルコは僕らの心の中で、
先に逝った偉大な英雄たちといっしょに、
永遠に生き続けています。


訳者のひとこと

マルコが最後の日々をすごしたリミニは、
アドリア海に面した有名な街です。
夏は大変ににぎわいますが、アドリア海は
そと海ではないので冬は寂しい色になります。

新聞の見出しは上から
コリエレ・デッラ・セーラ紙
「パンターニ死す、ショックと苦悩」
ガゼッタ スポルティーヴァ紙
「彼は去った
 ──マルコ・パンターニが
 リミニのレジデンスで遺体で発見された──」

ネットラジオによると、
彼のご両親は、旅行先のギリシャで
彼の死を知らされたそうです。


パンターニのオフィシャルサイト
訪れてみてください。
トップページのアニメーションの最後に、
彼の言葉が記されていました。

 ときには、
 現実が悲しくて
 僕らは目を閉じてしまう

 でも、
 もしも伝える事をやめてしまったら
 人生を味わう事はもうできなくなるし
 僕らのストーリーを書けなくなる

 僕の言葉は自転車・・・
 そして、僕は書き続けたい
 僕の本のあの章を

 あまりに長い間
 置きっぱなしにしてるけど



──と、ありました。

翻訳/イラスト=酒井うらら



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2004-02-23-MON
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