フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ボローニャはナカタを待っていた!


「中田英寿は一歩をふみだすだけで、
 二歩ぶんの仕事をするチャンピオンだ」
このところ中田が大活躍しているボローニャの、
カルロ・マッツォーネ監督の言葉です。

カルロ・マッツォーネはイタリアの監督の中では
冷静なことで有名な人です。
そして‥‥若いほうではありません。
(「年寄り」と言うと怒るんです。
 ただじゃすまない。
 だから「若いほうではない」、ね。)

彼はたくさんのチームの監督を歴任してきましたが、
歴史上の3大チームであるインテル、
ユベントス、ミランについては例外です。
にもかかわらず、
彼はイタリアサッカーの巨匠、「偉大なマエストロ」と、
だれもが思っています。
イタリア・ナショナル・チーム「アズーリ」の監督で、
教授とよばれるトラパットーニには、
さすがにかないませんが。

マッツォーネはつねに尊敬され、
だれからも愛されています。
彼が自分の性格を隠さず、ごまかさないからです
偽善的な物言いや常套句などに
逃げこんだりはしません。
白黒をはっきりさせます。
「あいまいな見解」という
都合の良い風よけは、彼には無用です。
そのいさぎよさが、彼の身上です。


マッツォーネがナカタを
欲しがるに至った理由。



マッツォーネはローマを監督した時に、
まだまだ若かったトッティをデビューさせ、
ブレシャではロベルト・バッジョを中心にした
チーム形成に成功しました。

そしてロベルト・バッジョのファンタジーを
自在に生かしたチームプレイを造り上げることに
成功したブレシャは、セリエBへの転落の恐怖から
難なくのがれたのでした。

その腕をみこまれて、
昨年の夏からカルロ・マッツォーネは
ボローニャの監督をしています。
ボローニャは1930年代にはイタリア国内だけでなく、
ヨーロッパでもその名を馳せる優秀なチームでした。
でも1964年以来は国内リーグ戦優勝のしるしの
スクデットを勝ち取れないでいます。
いや、スクデットどころか
セリエB転落への崖ップチにいるのです。
そう、今シーズンの始めには、状況は悲惨でした。
あまりに悲惨だったので、会長は1月のマーケットで
中田の購入を希望しました。
中田の属していたパルマは経済的破綻に襲われていたので、
喜んで彼を譲ってくれました。

そして中田英寿はたった数回の試合で、
このチームの最重要選手になったのです。
このチームのティフォーゾ(熱狂的サポーター)たちは、
チームを性格付けるチャンピオンを長過ぎるほどのあいだ
待ち焦がれていましたから、中田はたちまち
このチームのアイドルになりました。
素晴らしいことですね。


マッツォーネいわく、
ナカタはトッティやバッジョと
同タイプ。



中田はとんでもない好プレイを続けています、
冷静さが身上のマッツォーネ監督ですら、
情熱的に盛り上がっているふうに、ぼくには見えます。
マッツォーネは、こう言います。

「私は今まで、トッティやバッジョなど
 上質の一撃で試合を決めることのできるスケールの選手を
 使いこなして来た。
 そして、中田はそのレベルであると言える‥‥」

なんですって?
中田が、あのトッティやバッジョと同じレベルですって?
さらにマッツォーネはこう続けます、

「同じタイプに属するという意味です、
 中田にはまだまだ改善の余地がありますが。
 偉大なチャンピオンというものは、
 彼がこれをしてくれればと
 こちらが期待する時に、
 それ以上にふたつめのことも
 してくれるものです。
 とくに敵側にとっては思ってもいない方向でね。
 中田には、これができるんです。
 バッジョやトッティのゴールの
 神業的なセンスは中田にはないかもしれません。
 でもボールを足に捕らえた時には、
 普通に優秀な選手なら2歩かかる仕事を、
 中田は1歩だけでこなしてしまう。
 彼の才能が普通ではないから、できるのです」



ナカタはとけ込むのがほんとうに上手!



さて、中田のいるボローニャはどんな街でしょうか?
世界最古の大学のある街で、
料理を芸術にまで高めたと言われるほど、
イタリアのなかでもグルメの街で知られています。
ひょっとして日本のグルメのみなさんも
ご存知かもしれませんね、
「モルタデッラ」という、
豚のミンチと、サイコロ状の豚脂とピスタチオで作る
太いハム(美味!)は、この街で生まれました。
トルテッリーニ(具入りの、
ワンタンふうのパスタ)入りのスープ、
ラビオリ、そしてボローニャ風ミートソースなどなど
この街を故郷とするおいしいものを
数えればきりがありません。

そう、この街の人たちはグルメであるばかりでなく
美しいものに敏感で、
そのぶん審美眼も厳しいんです。
そのボローニャの人々を、
中田は魅了してしまいました。
彼は行く先々で、その街にうまく馴染むことが上手ですね。
年ごとにイタリア人ぽくなっています。
最初はペルージャっ子、次にローマっ子、
そしてパルマっ子、今度はボローニャっ子と、
つぎつぎに表情がそれらしくなっています。

彼とボローニャの契約は6月までですから、
次はどこへ行くのでしょうか?
もしかして来シーズンは、いよいよファッションの街の
(ついでに言うと、ぼくも住んでる)
ミラノっ子になるんでしょうか?
おしゃれな彼にはぴったりの気もしますが、
ボローニャの人々は彼を引き止めるためには
何でもするつもりらしいです。
彼がここに残って夢を見続けさせてくれるなら、
その契約金のために募金をしてもよいとさえ
考えているようですよ。


訳者のひとこと

日本ではボローニャというと
国際絵本展が有名ですね。
ボローニャを訪れたとき、
街のど真ん中の三ツ星レストランで、
上品な老紳士が
「今夜はスープだけ下さい」などと
注文しているのを見て
ひっくり返りましたが、
大学教授で常連だからと、後で店の人が
教えてくれました。納得。

翻訳/イラスト=酒井うらら


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2004-02-16-MON

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