フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

歴史に残る5月、2003年、イタリア。

ヨーロッパの5月は、
サッカー・シーズンの終る月でもあります。
勝ったチーム、負けたチーム、雪辱を果たしたチーム、
どのチームにとっても、5月はひとつの到達点であり、
その感動は大きな余韻を残します。

とくに2003年の、この5月のことは
イタリアの記憶に長く残ることでしょう。
そう“歴史に残る5月で”す。
学校で教える歴史はともかく、
サッカー史には確実に残るでしょうね。


抜け目ない老獪・ベルルスコーニ、
インテルを褒め上げる。


イタリア国内リーグ、カンピオナートでは
ユベントスが27回めの優勝を果たしました。
でも、このチームが優勝しても
誰もたいして驚きません。
だって優勝常連チームですから。
ティフォーゾたちにしても、感動的な大喜びというよりは、
「よし、よし、いつもの事だ」
ていどに受け取っていることでしょう。
(負けた時のほうが大騒ぎなんですよ!)

ですから、この5月がサッカー史に残るというのには
別の理由があります。
みなさん、もうお判りですね。
ヨーロッパで一番強いチームを決める
チャンピオンズ・リーグの決勝戦を闘うのが、
イタリアの2チームと決まったのです。
これは歴史上初の快挙です。

残ったのはミラノのACミランと
トリノのユベントスです。
来る5月28日水曜日、
決戦の場は英国マンチェスターにある
世界屈指の競技場のひとつ、
オールド・トラフォードです。

ミランは、準決勝戦ではウクライナ人の
シェフチェンコのゴールで1ー1と同点に追いつき、
ホーム・アウェイ方式の計算でインテルを下しました。
数年前、シェフチェンコをディナモ・キエフから
どうしても買い受けたいと言い張ったのは、
ミランの会長であるシルヴィオ・ベルルスコーニでした。

ベルルスコーニ会長は、もちろん試合を観に来ました。
そして試合後、彼は自分の宣伝も怠りませんでした。
そこにいた総てのテレビ局に長々とインタビューさせ、
自分のチームであり勝利者のミランをさしおいて、
敵であり敗者のインテルを誉め上げたのでした。

自分が勝ったときに寛大そうに相手を誉めるのは簡単です。
相手が強ければ強いほど、それに勝った自分は
もっと凄いということですからね。
でも、彼が自分の寛大さと礼儀正しさと
指導力をアピールしたのには、
別の理由がありました。
イタリア首相の彼は、老獪な政治家でもありますから、
次期の選挙を視野にいれながら、
自分のチームの栄光をうまく使って、
自分自身もついでに売り込んだというわけです。
抜け目がないでしょう?

アズーリのメンバー、返り咲く!


ご機嫌おおいに斜めなのは、
インテル会長のマッシモ・モラッティです。
彼はこの4年間というもの、500万ドル以上も
インテルにつぎこんできました。
その結果がこれです。
大金をはたいて一握りのハエを手に入れただけ、
みたいなことになってしまいました。

インテルのクーペル監督は、クビという事態です。
会長が次に監督に据えたいのは、
ローマのエキスパート、カペッロか、
ラツィオの新星、若きマンチーニのようです。

さて5月28日の決勝戦でミランが闘うユベントスですが、
準決勝で打ち負かしたのは現ヨーロッパ・チャンピオンの
レアル・マドリッドでしたね。
デル・ピエロ、ネドヴェド、
トレセゲの猛ゴールがレアルを襲いました。

ロナウドが後半に参戦し、
うまくモンテーロのファウルを誘って
ペナルティー・キックを得たのですが、
フィーゴが11メートルシュートの
計算を間違えました。
その瞬間、レアルの連覇への夢は、
ユーベの守護神ブッフォンの腕の中で
露と消えたのでした。

あのW杯での悪夢から1年が経ったいま、
イタリア・サッカーはヨーロッパの頂点にいます。

ユベントスとミランの強さを、
トレセゲ、モンテーロ、ネドヴェド、
ルイ・コスタ、ダービッツ、
シェフチェンコ、リバウド、ロック・ジュニアなど
外国人選手たちが負っているのも事実です。
でも、先のW杯で苦い涙を飲んだアズーリのメンバーも、
この両チームには何人もいます。
彼らは悔しさをバネにして、立派に返り咲きました。

デル・ピエロは本当に素晴らしかったですよ。
ブッフォンも、インザーギ、ガットゥーゾ、ザンブロッタも
負けず劣らず、かっこよかったです。

28日に勝って、ヨーロッパ・チャンピオンとして、
11月のトヨタ・カップで日本にまた戻れるのは、
ユベントスかミランか、どちらでしょう??
W杯での苦すぎる負けの記憶を吹き飛ばせますねえ。

訳者の一言
イタリアの年度末は6月です。
学校も6月に終って、秋からが新学年度。
いま、学生は進級テストで大忙しのころです。
そして、長い長い夏休みに入ります。
6月後半、7、8、9月前半と3ヶ月近く
夏休みみたいなものです。
その間、遊び呆ける学生もいますが、
海外へ勉強に出かけたり、
イタリアの学生は思いのほか勤勉です。
翻訳/イラスト=酒井うらら


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2003-05-19-MON

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