フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

南米からの二人。

こんにちは、フランコです。
今回ぼくは、この記事を「ほぼ日」に送るのを、
一日だけ遅らせてもらいました。
ある試合の結果を見てから書きたかったのです。

さて、結果は・・・上々ですよ。
南米の人材がヨーロッパで大活躍、
という結果にもなりました。

ヨーロッパの最強クラブ・チームを決める
欧州チャンピオン・リーグも
終盤戦の盛り上がりをみせるなか
イタリアのインテルとユベントスを
準決勝に進めたふたりのヒーローがいます。
アルゼンチン人でインテル監督のエクトル・クーペルと、
ウルグアイ人でユベントスの選手の
マルセロ・ダブビオ・サラジェタです。


アルゼンチン人監督
クーペル、雪辱を果たす。

インテルとユベントス、
イタリアサッカーでは大御所のこの2チームは、
たがいに特別なライバル同士でもありますが、
それぞれ準々決勝戦で、スペインの人気チームの
ヴァレンシアとバルセロナを敗退させました。

まず、インテル対ヴァレンシア戦ですが、
クーペルはインテルに来る前は、
このヴァレンシアの監督でした。
ヴァレンシアが有名になったのも、彼の指導のもと
欧州チャンピオン・リーグの決勝戦に
2回進んだからだと言えます。
残念ながら2回とも優勝はできませんでしたが・・・

負けるのは相手より弱いからですが、
かならずしも、こちらが欠点だらけだからとも言えません。

クーペル監督のヴァレンシアが負けた相手は、
名にし負うレアル・マドリッドと
バイエルン・ミュンヘンです。
両チームとも欧州チャンピオンのタイトル王ですから、
勝つのは並み大抵のことじゃありません。

さてクーペル監督の現在のインテルですが、
こちらはカンピオナート(イタリア国内リーグ)では
いまひとつという感じで、
モラッティ会長が「監督を変えるか」と
考えていたところでした。
そこへ持って来て4月22日水曜日の
欧州チャンピオン・リーグ準々決勝の
対ヴァレンシア戦で、
そのクーペルが大仕事をやってのけました。
ネーリアズーリ(インテルの色、黒と青)の
ティフォーゾたちは、
この勝利を心にしっかりと刻みこみました。

インテルは前半、ヴィエリのゴールで1ー0にしたものの、
結果は1ー2で「たった1点差」で試合には負けました。
この「たった1点差」が重要で、
これで持ち点を同点にした結果、
アウェイで闘ったインテルが「勝利」という計算になり、
準決勝進出となったわけです。

(貴重なゴールを決めたヴィエリは膝を傷めてしまいました。
 9月までプレイできない恐れもあります)

この「勝利」はクーペルにとって、
もと彼が監督したチームに対する
おおきな雪辱となりました。
なぜって、そのチーム、ヴァレンシアの会長が
試合前にこう断言したのです。
「クーペルにはDNAレベルで負けが刷り込まれている」

インテルのマッシモ・モラッティ会長は、
カンピオナートの失望的な結果を見て、
クーペルをシーズン後には入れ替えるつもりでいた、
とさっき書きましたね。
彼はもう、いろんな人たちとコンタクトをとっていたのです。
マンチーニ、ザッケローニ、カペッロ、
果てはイギリスの選手選考委員である
スヴェン・ゴラン・エリクソンにまで
話をしていたのです。

でも、今はきっと考えを変えたと思いますよ。

インテルは確かに派手なサッカーをする
チームではありません。
色とりどりのファンタジーにあふれているわけでもない。
色でいったらグレーでしょうか。
最後まで力をつくし、悩み続けます。
なんだか人生そのものの縮図みたいじゃありませんか?

夢のような夢そのものではないかも知れませんが、
悪夢ってことも全然ありません。
現実を一歩一歩つみかさねて行くタイプなんです。

ウルグアイ人、サラジェタ、
農園より戻る。


いっぽう、夢を叶えてしまった選手がいます。
もうひとりの南アメリカからのヒーロー、
ウルグアイ人のサラジェタです。
彼はバルセロナとの試合で
勝利のゴールを決め(2ー1)、
ユベントスを4強にすすめました。

マルセロ・デブビオ・サラジェタが、
夢のいっぱいつまった旅行鞄をかかえて、
イタリアに来たのは19才の時です。

ところがユベントスでもエンポリでも幸運には出会えず、
スペインに移りました。

そこでもキャリアは予想をはるかに下回るもので、
スペインのセリエBでのセヴィリアの
ぱっとしない結果を残し、
2001年6月には、農業をするために
ウルグアイへもどる決心をします。

そして彼はヨーロッパで稼いだお金で
ウルグアイに農場を買い、
畜産業を始めたのでした。



ところが2001年11月になって、
ユベントスがふたたび彼を呼び戻します。
彼をイタリアに連れ帰り、
プレイできるコンディションを作り直し
(なんたって彼の身体は縦より横に
 太いくらいになっていましたから)
一軍に投入したのです。

とはいえ、彼は大して期待されてもいない補欠選手でした。
トレゼグエの故障で、ユベントスが
対バルセロナ戦に彼を使わざるを得なくなるまでは。

このチャンスを彼はのがしませんでした。
世界でも水準の高い
バルセロナのホーム、
カンプ・ノウ・スタジアムでの
欧州チャンピオン・リーグ準準決勝の晴れ舞台で、
彼はユベントスの準決勝進出だけでなく、
彼自身の夢と人生をかけたゴールを
見事に蹴り込んだのでした。
若いって素晴らしいことですねえ。

訳者の一言
これを訳していてイタリア民話を思い出しました。
イタロ・カルヴィーノという有名な作家が集めて、
現代イタリア語に訳した「民話集」があります。
邦訳もされています。
この中には「幸運をもとめて」旅にでる青年の話が
たくさんあります。
お姫さまと結婚できたりする。
「むかし昔あるところに・・・」は
イタリア語では
C'era una volta・・・と言います。
翻訳/イラスト=酒井うらら


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2003-04-28-MON

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