サンタの国、
フィンランドから。

【第8回 
 氷のコンサートのこととバリアフリーのこと】

その夜、私はひとり
ユネスコの世界遺産になっている島にいた。
コート2枚重ねも靴下3枚重ねも効果なし。
体の芯まで冷え切っている。
島は海からの風が強く寒い。
体感気温−30℃だな。
3月だっていうのにね。
住んでる人もいるのに、辺りには誰もいない。

すると角から小学生の女の子2人が
犬を連れてひょっと顔を出した。
「マンボ」
そう呼ばれてせかされる小犬。
もしゃもしゃの毛がついていながら
全身を寒さで震わせていた。
こんな寒いところでマンボって名も‥‥。
暗闇に向かって散歩は続くようだった。

私はコンサート会場を間違えていた。
ふりだしに戻らなくちゃならない。
幸い開演が2時間遅れるらしいので間にあう。
フェリーには誰もいない。
真っ黒の海、ゴロゴロした氷の塊の中をいく。
侘しい。
ふと島で立ち寄ったレストランの、
たったひとりのお客さんを思い出した。
車椅子のおじいさんが
こんな寒夜にぽつり、ひとりで無口に飲み続ける‥‥。
なんとなくフィンランドっぽいな、
なんてしみじみしたりしてね。


津軽海峡の歌が聞こえてそうな。長い冬、ヘルシンキの海。

寒いのは私だけじゃない、マンボだって寒いんだ。
コンサートは氷の楽器。
当然野外。
会場に着くと、入り口は寒さで顔が硬直してるような
無表情で無口な人々でごった返していた。
動くとあったかくなると思うけれど、皆じっとしている。
夜遅いのに乳母車を押している人まで。
子供もけっこう来ている。
彼らは目出し帽で顔をほとんど覆った防寒がいいのか、
傍の雪山を滑り転げてはしゃいでいた。

氷の楽器の音楽は、氷の音とは違うの。
氷の音って、なんとなくイメージできるでしょ?
でも音楽っていうのは違うの。
この地が氷だった時代の記憶、
人が紡いできた言葉が弾き出されるように氷が詩を詠う。
太古、止まった時間、
流れる時間が交差していくような空間。
氷が自分から出る音に驚き喜ぶような印象もあったかな。


ノルウェー人音楽家、テリエ・イースングセット。
素手で氷を触ってる。


寒さで固まっていたような人々が、
氷のコンサートに心を溶かしていきます。
ふと何かの瞬間に近くの人たちと顔を合わせて
ニッコリ微笑みあったり。
はじまりは手袋のままで拍手していた聴衆が、
最後は手袋をぬいで必死に拍手しました。
普段言い慣れてないけれども、
寒空に拍手の音が吸い込まれるぶん声を出そう。
一生懸命「イエー! イエー!」といっています。
さらに恥ずかしさを振り切って
「ブラボ」っていってみた人まで。
「ボ」が尻つぼみで伸びがなかったのは、
それが彼の精一杯の勇気だったのでしょう。


忘れているとはいえ、やっぱり寒そうな背後の観客。

お客さんたちはスタッフたちに
ありがとうありがとうと興奮のほどを伝えている。
「弟子入りしたいのだが。あれを是非習ってみたい」
というおじいさんや、
楽器をいつまでも眺めている子供たち。
好奇心でいろんな人たちがあちこちからやって来て
のびのびと楽しめて、それでもって空間を共有する。
もちろんテリエの音楽あってこそだけど、
人に合わせようとする訳でもなく、
なんとなく気づいたら
人と人の間がバリアフリーの、こんな環境っていいな、
と改めて思った。

帰宅途中、歩道の向こうから
杖をもった女性が近づいてきた。
夜中に近い時間だ。
通り過ぎたときに気づいた。
彼女は目が見えず、それで杖をついて歩いていたの。
凍結して足場の悪い歩道をひとり、
夜道を歩くこの女性はとてもおだやかな表情で、
笑みを浮かべながら通り過ぎていきました。
こうやってのびのびとひとりで歩けるのよね、首都なのに。
ひとりで酒場へ通う車椅子のおじいさんがいたりするのも
街の普通の光景。

フィンランドではいたるところが
バリアフリーで整備されています。
どんな人にも街を移動しやすくしてある。
階段の横にはリフトがついていたり、
駅という駅にはエレベーターもある。
乳母車の人だって安心。
そうそう乳母車お断りのカフェって聞いたことがない。
でもバリアフリーを本当の意味でのバリアフリーにするのは
人なんでしょうね。


ビールを積んでいく。
首都なのにドナドナを歌いたいくらいの昼の光景。
トラムをじっと待っていたら
いきなりこういうのが通り過ぎていくわけだ。


つと思い出した。
私のお気に入りカフェでのこと。
その小さなカフェは昔ながらの風貌をしている。
10人も入るといっぱい。
お年寄りや妙にキザなデザイナーやら近所のおばちゃん、
作業服を着たまま一休みに来ている大工さんとか、
ポエム乙女なんかもいる。
そこへひとりのおばあさんがやってきた。
まっすぐショーケースの向こう側に突き進んでく。
おいしそうに並ぶ
パンでいっぱいのケースに両手を突っ込んで、
いきなりその場でもぐもぐと食べ始めた。

「おばあちゃん、まずコートを脱ぎましょうね。
 どうぞ席についてください」
そう言って厨房からでてきたお店の人は慌てる風もなく、
丁寧に席に案内した。
話をしているおばあさんの感じは痴呆症を思わせる。
おばあさんはコーヒーを飲んで一息ついて、
それから菓子パンをいくつか買って出ていった。
かなり唐突なことが起こったのに、
居合わせたお客さんたちは
「あ、そうだ、私もお持ち帰りしちゃおう」
「私も妻にたべさせようかな」
とのんびりしている。
おばあさんの食べっぷりに刺激された様子は伺えるが。
お店の人はじゃらじゃらとおばあさんが広げる小銭から
適当にお代を頂戴していた。

いろんな人がごったになってる、
そんな所でさえほっとできる。
毎日のように障害のある人も含めて
いろんな人の姿が日常の街の中でみられる。
誰もが楽に移動できたり一息ついたりという生活ができる。
フィンランドでは街で慌てて走っている人が見当たらない。
停まってたトラムに乗ろうと必死に走ったところ、
運転手さんに
「走らなくてもいいんだよ。
 ほれ、男とトラムは
 次から次へとやってくるもんなんだから」
とたしなめられてしまった。
ひぃ、そういうものでしたか。
でもって慌ててない余裕もあって
人が当たり前のように救いの手を差し伸べてくれる。
いろんな人がいて当然。街の作りも環境も心も、
すっごいバリアフリーだなあ、と思う。


もう少ししたらこんな春の光景になるはず。
できたら氷が溶ける前に
ゆっくり月夜の灯りで海の上をピクニックしたい。
今週中が最後だな。


氷のコンサートが終わりテリエと久々の再会を祝しながら、
私はこっそりと告白しました。
間違えて島に行ってしまったと。
実はそれ、
昨年企画にあがっていた段階の予定会場だったんですね。
どうも一年前にテリエから聞いた話が
私の頭に残っていたらしい。
なんとなくフィンランド的に私の頭は生きているようです。
一年前と今がいっしょくたっていう
記憶がバリアフリーなのは良くないかもしれない。
でもマンボ見られたからいいけど。

テリエ・イースングセットのサイトアドレス
http://home.online.no/~isungz/
CDについてはCD releaseをクリック

氷のコンサートがあったプロジェクトのサイトアドレス
http://www.ericmutel.com/
ここからスライドショーでその様子が見られます
http://www.ericmutel.com/flash/slideshow/slideshow-final.htm

圭子 森下・ヒルトゥネン

ヒルトゥネンさんが惚れ込んで訳された絵本を
2冊ご紹介します。

むろんフィンランド味です。
もっと深みにはまりたい方はぜひ。
そうでない方もぜひ。
ムーミンに負けないくらいお勧めです!


『ぶた』
絵と文:ユリア・ヴォリ
翻訳:森下圭子
価格:\1,575(税込)
発行:文渓堂
ISBN:489423291X
【Amazon.co.jp】はこちら


『ぶた ふたたび』
絵と文:ユリア・ヴォリ
翻訳:森下圭子
価格:\1,575(税込)
発行:文渓堂
ISBN:4894232928
【Amazon.co.jp】はこちら

ヒルトゥネンさんへの、激励や感想などは、
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2005-03-28-MON

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